多摩大での講義6回目/全12回、今回は寺島実朗本人の講演。
今回は雑談中心、面白い話がふんだんにあった。内容要点。
1.オバマの政策
金融規制 -- ウオール街へ挑戦し、強欲金融主義者への規制、
国民皆健康保険 --1300万人と言われる保険に入ってない人達への救済。
この2点は良くやった、一方日本の民主党はあまりに無策、無能。
ではなぜ中間選挙で下院歴史的大敗北、上院首の皮一枚?;
A.失業者が実質20%以上(公表10%台)
企業業績は回復しているが、多くは多国籍企業で生産拠点が中国などに移転、雇用には貢献少ない、
グリーンBZは雇用増の仕組みではない。雇用と言っても「デイトレーダー」など不安定な仕事は増加。
結果増税;雇用の回復が無い上に増税で中間層のふところに手をつっこんだことにより、若年、中、老の
国民の反感買う。民主党や中間層の民主党離れ。 --かいつまんでこんな要点。
2.日本、オランダ、アメリカ、ロシアとの歴史秘話
オランダ:17世紀に急速に成長、ベネッツアをモデルとしていた。この国は共和制。
大西洋ー喜望峰経由の航海はスペイン、イギリスがたちはだかり、オランダは太平洋経由を何度も失敗しながら
5隻の船がアジア、特に日本を明確に目指し1隻「リーフデ号」だけが豊後(臼杵)に漂着。
日本の石見銀山、ラシャ(毛皮)が武将に売れるとの情報があった。
その頃イエズス会(カソリック) の宣教師がオランダの漂着者に対して、家康に「彼等は海賊なのでただちに死刑とすべき」
と進言、家康は「とりあえず彼等をつれて来い、直々に話をする」。
家康はキリスト教にも他に流派があること、オランダ人は商人でキリシタンではない、王政ではなく共和制
である事を見抜く。彼等の持ち物に21門大砲があったが、金を与えて買う。
その大砲は関が原の戦いで使用。
漂流者の1人が三浦案針(ウイリアムアダムス)、もう1人ヤンヨーステン(この人は現在の東京駅の近くに
住んでいて、今の八重洲の名前の由来である。
以後出島で貿易交流が始まるが、基本的に東インド会社と幕府との交流、徳川時代実に166回オランダの
カピタンが来日、(朝鮮使節は10回も無い?)、オランダ通じて欧米のかなりの情報が入っていた。
尚浦賀で「リーフデ号」が廃船となったが、アメリカのペリーが浦賀にまず最初にやって来たのはこの浦賀の
情報が260年以上たって生きていた。
オランダのアメリカへの影響
プリグラムファーザーズ:英国国教会の締め付けを受けたプロテスタントはオランダに亡命、そこから
米国に渡る。
米国の 「民主主義」「自由主義」「共和制」の骨格はオランダの影響大。ニューヨークはオランダの植民地。
米国では国教を決めてはいけない、宗教的自由。
ロシアと日本。オランダ
1703年 大阪伝兵がロシアに漂着、ピョートル大帝がサンクトペテルブルグに連れて来て、ロシア初の
日本語学校開設、ペリー来航の160年前。尚若き日のピョートル大帝は船大工に身を隠してオランダで
技術を学ぶ。以降ロシアの文明開花。ロシアはタタールのくびき、モンゴル帝国の略奪に恐怖を抱いていたが、
日本に魅力を感じ、以後南下策(トルコへの圧迫など)と同時に東に向かってレザノフなどが日本に向かった。
尚ウラジオストックは「東に攻めよ」の意味。そういえばアメリカの参謀に「ウエストモアーランド」と言う
名前の人物がいました。
「海の都の物語ーベネッツア」塩野七生を思い出しながら、面白かった。
寺島実朗は三井物産、札幌出身で多摩大学長他両手に余る肩書きを持って話も面白い。
小生の注文としては、評論家としては一級品であろうと思うのですが、現実の生の政治の世界で辣腕を
ふるってほしい。国民の知的水準も上がっており、批判だけで生産性の無い評論家、マスコミにはうんざりしている。
そういう私は清き一票だけではいかんとおもいつつ。
今回は雑談中心、面白い話がふんだんにあった。内容要点。
1.オバマの政策
金融規制 -- ウオール街へ挑戦し、強欲金融主義者への規制、
国民皆健康保険 --1300万人と言われる保険に入ってない人達への救済。
この2点は良くやった、一方日本の民主党はあまりに無策、無能。
ではなぜ中間選挙で下院歴史的大敗北、上院首の皮一枚?;
A.失業者が実質20%以上(公表10%台)
企業業績は回復しているが、多くは多国籍企業で生産拠点が中国などに移転、雇用には貢献少ない、
グリーンBZは雇用増の仕組みではない。雇用と言っても「デイトレーダー」など不安定な仕事は増加。
結果増税;雇用の回復が無い上に増税で中間層のふところに手をつっこんだことにより、若年、中、老の
国民の反感買う。民主党や中間層の民主党離れ。 --かいつまんでこんな要点。
2.日本、オランダ、アメリカ、ロシアとの歴史秘話
オランダ:17世紀に急速に成長、ベネッツアをモデルとしていた。この国は共和制。
大西洋ー喜望峰経由の航海はスペイン、イギリスがたちはだかり、オランダは太平洋経由を何度も失敗しながら
5隻の船がアジア、特に日本を明確に目指し1隻「リーフデ号」だけが豊後(臼杵)に漂着。
日本の石見銀山、ラシャ(毛皮)が武将に売れるとの情報があった。
その頃イエズス会(カソリック) の宣教師がオランダの漂着者に対して、家康に「彼等は海賊なのでただちに死刑とすべき」
と進言、家康は「とりあえず彼等をつれて来い、直々に話をする」。
家康はキリスト教にも他に流派があること、オランダ人は商人でキリシタンではない、王政ではなく共和制
である事を見抜く。彼等の持ち物に21門大砲があったが、金を与えて買う。
その大砲は関が原の戦いで使用。
漂流者の1人が三浦案針(ウイリアムアダムス)、もう1人ヤンヨーステン(この人は現在の東京駅の近くに
住んでいて、今の八重洲の名前の由来である。
以後出島で貿易交流が始まるが、基本的に東インド会社と幕府との交流、徳川時代実に166回オランダの
カピタンが来日、(朝鮮使節は10回も無い?)、オランダ通じて欧米のかなりの情報が入っていた。
尚浦賀で「リーフデ号」が廃船となったが、アメリカのペリーが浦賀にまず最初にやって来たのはこの浦賀の
情報が260年以上たって生きていた。
オランダのアメリカへの影響
プリグラムファーザーズ:英国国教会の締め付けを受けたプロテスタントはオランダに亡命、そこから
米国に渡る。
米国の 「民主主義」「自由主義」「共和制」の骨格はオランダの影響大。ニューヨークはオランダの植民地。
米国では国教を決めてはいけない、宗教的自由。
ロシアと日本。オランダ
1703年 大阪伝兵がロシアに漂着、ピョートル大帝がサンクトペテルブルグに連れて来て、ロシア初の
日本語学校開設、ペリー来航の160年前。尚若き日のピョートル大帝は船大工に身を隠してオランダで
技術を学ぶ。以降ロシアの文明開花。ロシアはタタールのくびき、モンゴル帝国の略奪に恐怖を抱いていたが、
日本に魅力を感じ、以後南下策(トルコへの圧迫など)と同時に東に向かってレザノフなどが日本に向かった。
尚ウラジオストックは「東に攻めよ」の意味。そういえばアメリカの参謀に「ウエストモアーランド」と言う
名前の人物がいました。
「海の都の物語ーベネッツア」塩野七生を思い出しながら、面白かった。
寺島実朗は三井物産、札幌出身で多摩大学長他両手に余る肩書きを持って話も面白い。
小生の注文としては、評論家としては一級品であろうと思うのですが、現実の生の政治の世界で辣腕を
ふるってほしい。国民の知的水準も上がっており、批判だけで生産性の無い評論家、マスコミにはうんざりしている。
そういう私は清き一票だけではいかんとおもいつつ。