イタリアまるかじり

料理を通じてイタリア文化探検する。

温故知新・あの人に会いたい。(4月27日)

2015-04-29 18:43:01 | その他

1980年に5年の駐在を終えドイツから帰国して、長瀬の有力取引先の大手米国化学メーカーとの仕事が待っていました。このメーカーの日本勤務のTさんに27~8年ぶりに再会しました。今回はO氏に再会のセットアップ依頼しT さんのお住まいの藤沢で昼食会となりました。

    

左から2人目がTさん、相変わらずダンデイで物静かな雰囲気でした。Tさんにゆかりのある長瀬の4人がTさんのお住まいの藤沢でお会いしました。80年代の古き良き時代の昔話に花が咲き楽しいひと時を持ちました。信頼関係の上に築かれたこのメーカーとの仕事は、クレームや苦しい時もありましたがやりがいがありました。その時の日本での受け皿がTさんで、大変お世話になりました。

二軒目では久しぶりにウイスキーを頂く、いい酒でした。

「あの人に会いたい」第二回目は長瀬で一番国際派と言われたS大先輩に、再びO氏のアレンジにて5月10日にお会い出きる事となりました。


北大ESS,先輩M氏を偲ぶ会(4月26日)

2015-04-27 11:03:10 | その他

北大ESSと国際学生教会(ISA)の同窓10名がレ・シューにて昨年末逝去された2年先輩のM氏の偲ぶ会を行う。

M氏は5年間の癌との闘病生活、2年前はレ・シューの同窓会には代表として出席されていた。北大卒業後は大手商社に勤務され、ドイツ、バーレーンなどの駐在員経験もあり、温厚実得な人柄で皆さんに愛されて本日の偲ぶ会となりました。これからは「出会いと別れ」、圧倒的に別れが増えていきますが、彼の様に爽やかな引き際が出来るかどうか??

  

 

 

 


JFKその生涯と遺産展(国立公文書館)4月15日(月)

2015-04-16 13:16:19 | その他

画像1

 国立公文書館(NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN)に旧職長瀬産業のO氏と1:30待ち合わせ。O氏はニューヨーク支店に3度13年間勤務、最後は支店長の要職を勤めた。O氏とは退職後2度目の出会いです。今回は小生が誘ったが、国立公文書館に入るのは初めてで無料でした。

O氏はこの日アテネフランセの3時間フランス語の今期初日の授業を終えてから来られたとの事で、小生のイタリア語等、共通の話題がありそうです。

 ケネデーは、3年弱の大統領職の短い期間に・キューバ危機・ベトナム戦争・ベルリン危機・宇宙計画・公民権運動等あり、ご承知の様に1963年11月22日ダラスで45歳の若さで凶弾に倒れました。

ケネデーの実像については諸説あるが、アメリカでは最も人気の高い大統領である様です。

会場にはケネデイ自身の草稿やメモ、有名な大統領スピーチ、家族の写真など展示されていました。

特にキューバ危機の際米国防総省でデフコン2と位置ずけ、デフコン1の戦争状態の手前で、それ以降現在までデフコン2は無い。(デフコン -- DEFENNSE READINESS CONDITION)

1963年でのフィデラ カストロは33歳、ゲバラは1967年ボリビアで銃殺された時は31歳。

温故知新 -- 長瀬で一番国際的な大先輩と会える様O氏に依頼。

 

 


若冲と蕪村展(サントリー美術館)4月13日(水)

2015-04-13 19:47:18 | その他

4月13日(水)歩天組3名六本木のサントリー美術館にAM10:00に集合。223点にものぼる書画の展示に圧倒され、浅学菲才の小生の若干の知識では消化できる訳はありませんが、充実した展示会を堪能しました。 若冲については、数点はTVや展示会で観覧した記憶がありますが、蕪村の作品に接するのは初めてで、優しく親近感のある俳画もあり楽しかった。

子規は画家としての蕪村は高く評価されていたが、俳句についても芭蕉と並び称されるべき存在として敬愛していた様である。

本日の展覧会の画集は3,000円と他の展示会より500円程高いが、これからじっくりと鑑賞します。

サントリー美術館は六本木の防衛庁の跡地の「ミッドタウン」の3Fにあり、超近代的な空間である。昼食はミッドタウン内をうろうろと探した。場所代が高いので食事内容は高くていまいちではあったが、展示会の内容が良かったのでこの日は満足度高い。

4~6月中に下記の展覧会あり、歩天組で取り上げる事としました。

1.大英博物館展 (4月18日~6月28日) --  東京都美術館
2.大アマゾン展   (3月14日~6月14日) -- 国立科学博物館
3.鳥獣戯画展  (4月28日~6月7日)  -- 東京国立博物館

生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 

                         

下記はネット抜粋。  

正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。

「若冲と蕪村」展 展示風景

 


義弟の「しのぶ会」を屋形船で。4月5日(日)

2015-04-06 13:56:52 | その他

4月5日(日)義弟と30年来親交のあった男性一人と女性3人が、都立大学近くのお寺に墓参りした。   その後「三河屋」の屋形船で品川桟橋 ~ 墨田公園 12の橋を通る。 10,800円約2時間半のコース。

今回は友人の皆さんの企画に誘われて始めての屋形船に乗船しました。

義弟の感謝、うれし涙か生憎の雨でしたが船内は暖かく満席で楽しく「しのぶ会」をもてました。

       

料理は刺身、天麩羅他味、鮮度良く量は多すぎる程でした。

   

天麩羅は揚げたてをアナゴ、イカ、海老、野菜他もりだくさんを順番にサーブする。凄い量であり旨い。

今日の品川ケーブルTVで偶然彼女が写っていて、教師資格を取得した三河屋の娘さんとの事です。

屋形船を仕切っているのがお母さんで25年、この仕事を続けている。(品川ケーブルTV)、彼女の父親は船の後方で天麩羅をあげているとの事。

  

義弟の遺影と一緒に屋形船を楽しむ。写真は義弟宅で「イタリアンフェスタ」をした2年前のもの。

  

 

あちこちで女子会、大変なパワーが船内に溢れている。

  

 

スカイツリー、朝日ビール本社ビル、桜はまだ何とかもっている。

 

屋形船ではカラオケやかつらなど趣向をこらして、あっと言う間に時間は過ぎた。

 

 

 

義弟は小生より1歳年上、出会いより別れの方が圧倒的におおくなってきますが、今回の様な心温まる「しのぶ会」は深く印象に残る。賑やかで明るく一寸シャイな彼にふさわしい会でした。

今回の企画に呼んでいただいた事に感謝します。