イタリアまるかじり

料理を通じてイタリア文化探検する。

鴨川の春の宴(3月27日)

2010-03-29 13:32:25 | その他
写真は小生達が所属している鴨川自然王国の理事長で、鴨川市の千枚田(棚田)の理事長も兼ねている。昨年の選挙で民主党から初当選して、代議士先生となった。
鴨川自然王国に参加してはや8年間の歳月が流れた。
初めてネクタイ姿を拝見、夜もとっぷり更けるまで政治談議や裏話少々で賑やかであった。

鴨川自然王国ゆかりの人間20名以上集まり、15名が宿泊。
自然王国の研修生の一人はスイスと日本人とのハーフでヂュセルドルフに永く住んでいたとの事で、久しぶりに錆びついたドイツ語で会話。

鴨川のI氏邸で春の宴

2010-03-29 13:20:05 | その他
3月27日(土)
 鴨川のI氏邸で鴨川自然王国の仲間が集まって春の宴。
 写真は60~65歳の同窓生。薪割り、田んぼの調整、料理、雑用と仕事分担。
 
 I氏は土地を借りていたが痔主(地主ではない)で最近手術して完全復帰までもう少々。
 心臓の調子悪いのが二人、腰痛と60肩が一人、異常なしが一人(但しここ数年健康診断していない)。 
 よたよたしながら夜には元気になる。

旧都立大前の桜

2010-03-27 07:12:46 | その他
写真は3月26日の旧都立大前の桜、開花宣言から5日間たっている。

この2~3日間氷雨(正確には凍雨と言うらしい)が続いたが、桜はめげずにほころびだして、来週あたりは満開か?
 
  世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心ぞのどけからまし (在原業平)

5年前の今頃は桜の開花を追うように四国お遍路通し打ちに旅立って行った事を思い出す。
その頃の拙句  桜宿 迎える女将は 夢二風 (内子町にて)

 
 

むかむかしながら「小沢一郎」何なんだろう?

2010-03-26 21:08:43 | その他
写真は「新潮45」別冊4月号、「小沢一郎」研究、桜井よしこ編集長

毎日マスコミに取り上げられる「小沢一郎」は何者か?小沢一郎に対して批判的になってはいるが、うんざりしながら読んでみた。この男は日本をどうしようとしているのか?
彼は;国の上に党があり、そしてその上に小沢が存在する。権力保持が究極の目的であってそれ以外、外交も社会福祉も側近もすべからく単純に手段としての機能としてだけ存在する。この本に寄稿した14名の人たちのおおざっぱな解釈はそんな風に思える。

特にビートたけしが「顔が全てを語っている」のなかの抜粋ーーーー
それにしても小沢さんも実力政治家と言われるような男なんだろうから、政治資金で自分の不動産を買わないで、民主党に全部寄付したりしたら、どうなんだ。若手の研修所を作りましたとか、もっとパフォーマンスをうまくやればいいのにと思う。自分名義の不動産を増やしただけでは「せこい」と思われるのがオチだよ。天皇陛下と中国の習近平国家副主席が特例会見した時に、従来のルールを破って「天皇陛下の政治利用」だと批判されて、「ルールって誰が作ったの」「君は憲法を良くよんだのかね、ん?」とか言ってしまう。
おいらが演出するんだったら、「申し訳ないけれど、これは日本の国のためなんだ。私は誰から殴られてもいいと思って、お願いしてしまったんだ」と言わせる。それを「俺のどこが悪いんだ」というような態度を取るから、国民から気にいられないわけだよ。やっぱり権力者は権力者なりの見得を上手に切ってほしい。しょせん,主役にはなれないんだね。良く脇役でうるさい役者というのがいるんだけど、それと一緒なんだ。---

小沢一郎だけをスケープゴートにする気持ちはないが、彼が消えると少しは政治が良くなるか?それにしてもますます写真のように悪相になっていく。 小生はまずは「経済復興、建て直し」が緊急の課題でそれに向かって政治が前進することを望みたい。

小沢一郎考察なんぞに時間かけるのは、なんだかもったいないと思った。

女房の実家の桃の花が咲いた。

2010-03-12 18:38:14 | その他
添付は女房の実家の桃の花。
このところ快晴で気温も高く快適と言いたいところだが、花粉症が襲って来る。
毎朝駒沢公園でラヂオ体操をご一緒するY氏も涙ぽろぽろ、小生は初期段階の鼻がぐすぐす。
他の友人も体がだるくなって風邪と同じ症状が出て元気ない。
来週には医者に行って酷くならない様に手当てをしたい。

3月2日長谷川等伯展(東京国立博物館)

2010-03-03 11:43:18 | その他
写真は上野の東京国立博物館に貼ってある「松林図屏風」

長谷川等伯(1539~1610)没後400年の特別展を鑑賞。
能登七尾出身、はじめ「信春」と名乗り主に仏画を描き、30代で上洛すると画題を
肖像画、花鳥画と広げる。秀吉、利休に重用され一躍時代の寵児となる。
国宝3件、重文約30件などほぼ全ての等伯の作品が公開された。
精緻に、時に豪放に描き分けられた作品は実に魅力てきであった。

特に等伯の生家能登の松林を描いたと言われる水墨画の最高峰「松林図屏風」は日本人の
感性に訴える。