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まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

マンツーマン介助の効用

2006年02月25日 | 楽しい学校生活
マンツーマンで介助がついていることは、では息子だけに
いいことなのかというと、もちろんそうではありません。

まず、学校にいる間、ずっと大人が傍についていて、
音が辛ければ外に一緒に出てくれ、周りの子との通訳を
してくれ、時には遊び相手になり、勉強を教えてくれ、
お母さんがわりに食事や着替えの世話も焼いてくれる、という生活を
するわけですから、

どの子にも「大人は自分をわかってくれる」
「大人は自分を守ってくれる」という気持ちがわき
強い信頼関係ができあがっています。

また、手がある、ということで、集団のニーズの前に
個人のニーズを犠牲にしないですみます。
人の泣き声が何より辛い子と、すぐ泣いてしまう子を
安全確保のためにひとつのスペースに押し込めておくような
ことをしなくてすむのです。
集中して課題に取り組めるのが5分の子どもと、
20分の子どもを、同じ教室において指導をすることが
できるのも、マンツーマン体制だからこそ、です。

「それぞれの子の個性に合わせて」と口で言うのは簡単ですが
とことんその子の個性に合わせようと思ったら
23人いる子どもには23通りの対応と23通りのカリキュラムが
必要になってきます。
これほど個々の子どもの個性の強い集団だと、
個のニーズが保障されていてこそ、共通する部分を一緒に学ぶ
集団の効果が出てくるのだと思うのです。

時々
「そんなふうにずっと介助を受けていたら、いつまで経っても
 自分でできないのでは」
と言われることがありますが、私は息子の暮らしを見る限り
そんな心配はないと思っています。
介助とは「何もかも代わりにやってあげる」ことではないし、
介助の先生はちゃんとそのへんを考えてくれているからです。

介助というのは、「その時間その子の幸せを保証する仕事」だと
ある介助の先生が言っていました。
時には全面的に手を貸すこともあるけど、
時には「自分でやる」ためのお膳立てをしたり、
物理的でなく精神的な支えとなったり…
その子その子の持つ能力と性格とその日の調子と
今その子に求められている課題とを
しっかり把握していなければ、有効な介助はできません。

大人しくて穏やかなちびくまだけど、毎日毎日
ただ手がかからないというだけで放置されたり、
表面的にできるところだけを見て自分でやりなさいと突き放されたり、
本質がわからないまま周りを真似てついていくだけ、というような
生活だけはさせたくない、と思っていた私にとって、
マンツーマン体制を持つこの学校はとてつもなく
魅力的だったのです。

この間家庭科のお手伝いに行って、5年生の定型発達の子どもたちでも
まだまだマンツーマンで教えてもらいたいところは沢山
あるのだということを実感しました。
まして、知的障碍こそなくても、発達上の課題のある子には
「問題行動が起きてから」介助をつけるのではなくて、
集団生活の最初から「問題行動を起こさなくてもすむような」
しっかりした体制で支えてもらうことが、とても大切なのでは
ないかと思います。

日本のあちこちで、やっとそういう子どもたちを
支援する取り組みが始まり始めましたが、
「手のかからない子にも手をかける」視点をぜひもっていただきたいな、と
思っています。



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