息子が今使っている連絡帳は普通の大学ノートです。
見開き2ページが一日分。
左側にその日の時間割と各時間の学習内容が
簡潔に書かれていて、
右側には障担K先生の所感と私から先生への連絡を
書くようになっています。
この連絡帳を息子が帰ってくるなりすぐチェックするのが
私の楽しみです。
中学の授業は1限50分(体育大会や文化祭など大きな行事の
準備期間は放課後にクラスごとの練習時間を確保するため45分)
なのですが、
息子の様子を見ていると交流級でこそ最初から最後まで
授業を受けているものの、
障級の授業では「あと10分というところでギブアップ」
「残り5分休憩」「本人から疲れたと申告あり残り20分休憩」
とやたら「休憩」の文字が出てきます。
人によっては目くじらを立てそうな内容ですが
私はいつも「実に丁寧な『放し飼い』をしてもらっているなあ」と
感心しています。
『放し飼い』というのは『放置』と外見こそ似ているけれど
全く違います。
まず、安全で快適な環境でなければできないということ。
放し飼いされる側と放し飼いする側の信頼関係がなければ
なりたたないということ。
そして、動物の場合であれば無理矢理エサを口に押し込んだり
水を飲ませたりすることは無理で
動物が自ら食べたくなるような良質のエサを育てたり
動物がストレスなく過ごせる環境を整えたり
動物のニーズを汲み取って、間接的に動物に働きかけるのと同じように
息子の頭に無理矢理知識を詰め込んだり
ソーシャルスキルを叩き込もうとするのではなくて
息子が自ら学びたくなり頑張りたくなるような雰囲気を作り
ストレスが少なく安心してくつろげる環境を整えたり
息子のニーズや気持ちを汲み取り、間接的に学ぶ意欲を育てて
気持ちが十分温まったところで「ここぞ」と必要な情報を入れ込む。
ぱっと見は熱心に指導しているようには見えないけれども
子ども自身の特性と、その時その時の心の動きまで
注意して観察する意識とセンスがなければ
こういう『丁寧な放し飼い』はできないと思うのです。
息子の性格や特性を知ったうえで、その日その時の息子の
状態に合わせて、「学習=我慢・苦痛」にならない
ぎりぎりの線を探っているからこそこういう対応になるのだと
私は考えています。
これを見ていれば、今の息子は無理に頑張らせれば
50分は静かに座っていられるけれど、自ら集中して
何かに取り組めるのはだいたい40分くらいであることも
わかります。ある意味、息子の本当の姿を知る
貴重な統計資料ともいえるでしょう。
障碍のある子への指導は、どうしても指導のテクニックとか
働きかけの密接さなど「直接的な」アプローチ、
「眼に見える」熱心さにのみ光があたりがちですが
本来とても臆病で繊細な神経を持つ自閉っ子に接する私たちは
この「丁寧な放し飼い」の精神、「機が熟するのを待つ」心の大切さを
折々に見直すべきではないのかと思っています。
見開き2ページが一日分。
左側にその日の時間割と各時間の学習内容が
簡潔に書かれていて、
右側には障担K先生の所感と私から先生への連絡を
書くようになっています。
この連絡帳を息子が帰ってくるなりすぐチェックするのが
私の楽しみです。
中学の授業は1限50分(体育大会や文化祭など大きな行事の
準備期間は放課後にクラスごとの練習時間を確保するため45分)
なのですが、
息子の様子を見ていると交流級でこそ最初から最後まで
授業を受けているものの、
障級の授業では「あと10分というところでギブアップ」
「残り5分休憩」「本人から疲れたと申告あり残り20分休憩」
とやたら「休憩」の文字が出てきます。
人によっては目くじらを立てそうな内容ですが
私はいつも「実に丁寧な『放し飼い』をしてもらっているなあ」と
感心しています。
『放し飼い』というのは『放置』と外見こそ似ているけれど
全く違います。
まず、安全で快適な環境でなければできないということ。
放し飼いされる側と放し飼いする側の信頼関係がなければ
なりたたないということ。
そして、動物の場合であれば無理矢理エサを口に押し込んだり
水を飲ませたりすることは無理で
動物が自ら食べたくなるような良質のエサを育てたり
動物がストレスなく過ごせる環境を整えたり
動物のニーズを汲み取って、間接的に動物に働きかけるのと同じように
息子の頭に無理矢理知識を詰め込んだり
ソーシャルスキルを叩き込もうとするのではなくて
息子が自ら学びたくなり頑張りたくなるような雰囲気を作り
ストレスが少なく安心してくつろげる環境を整えたり
息子のニーズや気持ちを汲み取り、間接的に学ぶ意欲を育てて
気持ちが十分温まったところで「ここぞ」と必要な情報を入れ込む。
ぱっと見は熱心に指導しているようには見えないけれども
子ども自身の特性と、その時その時の心の動きまで
注意して観察する意識とセンスがなければ
こういう『丁寧な放し飼い』はできないと思うのです。
息子の性格や特性を知ったうえで、その日その時の息子の
状態に合わせて、「学習=我慢・苦痛」にならない
ぎりぎりの線を探っているからこそこういう対応になるのだと
私は考えています。
これを見ていれば、今の息子は無理に頑張らせれば
50分は静かに座っていられるけれど、自ら集中して
何かに取り組めるのはだいたい40分くらいであることも
わかります。ある意味、息子の本当の姿を知る
貴重な統計資料ともいえるでしょう。
障碍のある子への指導は、どうしても指導のテクニックとか
働きかけの密接さなど「直接的な」アプローチ、
「眼に見える」熱心さにのみ光があたりがちですが
本来とても臆病で繊細な神経を持つ自閉っ子に接する私たちは
この「丁寧な放し飼い」の精神、「機が熟するのを待つ」心の大切さを
折々に見直すべきではないのかと思っています。
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