雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

宝物

2011年08月04日 | adorably autistic
おしゃべりはしない、または訥々としているけれど、
書き文字やキーボード入力なら
ずっと流暢に「ことば」を操れる、という
自閉っ子のお仲間の話はよく聞くのですが

うちの息子の場合、おしゃべり以上に
書き言葉は難しいらしく、「文を書く」のは
とても苦手にしています。

学校でも活用してもらっているスケジュールや
手順書は「書き言葉」というより、「文字情報」という
位置づけのようで、
「文」の読み取りもやっぱり苦手なようです。

なので、彼に「ことば」を教えるには、どうやら
実物や実体験と結びつけながら、話し言葉で
納得してもらうのが一番いいように感じ、
機会をとらえては、意識して親子で「おしゃべり」を
するようにしています。

逆さバイバイ(手のひらを自分に向けてのバイバイ)の
ようなことはなかった息子ですが、
そこそこ話し言葉でやりとりができるようになった今も
相対関係を言葉に反映させることはとっても
難しいらしく、
「…してあげる」と「…してもらう」「…してくれる」などは
頻繁に間違って使っています。

最近また何度目かのマイブームになっているアメリカの
幼児向けアニメには主人公姉弟が登場するのですが
「○○は△△の弟」であることは番組紹介に文字で書いてあるので
理解できるのだけれど、では「△△は○○の何か?」と
問われるとわからない様子。

兄と弟、姉と妹、親と子、祖父母と孫、おじおばと姪甥、
家族関係って、みんな相対的な関係で決まるのですよね。

それで、チャーリーブラウンとサリー、ルーシーとライナス、
アネムとズズ、など、本人が大好きなキャラクターを使って
家族関係をクイズにするのが最近の我が家のピロートーク。

で、先日もひとしきりそんなクイズをやった後、
最後に、「じゃあ、○○くん(息子)はお母さんの何?」と
訊いてみたら、息子は自信たっぷりににやりと笑って
答えたのでした。

「もちろん、タカラモノだよ」

元気です

2011年08月01日 | 母もいろいろ忙しい
あまりに長くご無沙汰したため、体調をご心配いただいている
むきもあるかもしれませんが、私も息子も元気にしております。

この春、私は退院後丸4年間お世話になった杖に
ついにお別れを言うことができ、ようやく補助具なしで
歩けるようになりました。
異常に疲れやすい、とか、気温や気圧の急変がちょっと
考えられないくらい体にこたえる、とか、体のあちこちが
(足の小指とか、二の腕の外側とか)なんの脈絡もなく
ピクピク動く(れん縮、というらしいです)とか
様々な症状は残っているものの、最低限の投薬で
安定を保てています。

息子は、中学卒業後、たったの1センチも身長が伸びないまま、
高等部の2年生になりました。
「キミの思春期とか、反抗期とかはどこへ行ったの?」と
問いたいほど、あいかわらず甘えん坊で、繊細で、従順で、
いつも笑顔で、動きがたまらなくアヤシイ自閉青年に育っております。

この1年と少しで彼が大きく変わったのは、とてもいろんなことに
自信を持って取り組むようになった、ということでしょうか。

そもそものきっかけは、昨年12月の誕生会に、初めて大勢の
人の前で、英語の歌を披露したことのようなのですが、
それ以来、何かにつけて、
「僕は高等部のお兄さんだから」
「僕は自力登校生なんだから」
「僕は字を書くのが得意だから」
「僕は英語が得意だから」
と、「自分には~できる」という意識を口に出すようになりました。

幼児期から、何事にも自信が持てず、くじけやすい彼のために、
ただただ安心感と達成感、自己有能感を育てるべく
心を砕いてきた母が拍子抜けするほど、今の彼は
生き生きと積極的に学校生活を送っています。

授業中の先生の質問や話し合いの席で「はい!はい!」と大きな声で
手を挙げてアピールするなんて、中学時代までの彼を知る
先生方には、びっくりするような光景かも。

理解があり、熱心で、彼の気持ちに寄り添ってくれる担任や、
彼のありのままを暖かく受け入れ、かばったり助けてくれたりした
やさしいクラスメートたちに囲まれていてさえ、

彼の能力が、標準的なそれとは言えない学校に行かせることで
「自分は常に100%頑張らなければついていけない」
「自分はどんなに頑張ってもみんなのようにはできない」と
つらい思いや悲しい思いを知らぬうちにさせていたのかも
しれないなあ、と

少し胸の痛む思いもしています。

恵まれた人間関係を引き寄せる力の強い息子、
今のクラスメートたちも、「よくもまあ、こんな子ばかり」と
感心するほど、みんなが揃って穏やかで、他人の良いところを
素直に認め、弱いところを助け合う、笑顔の絶えない、
気持ちの優しい、いい子ばかりです。

中学時代とはうって変わって、担任の先生と毎日
交換日記のように連絡帳を書きまくり合う、とか、
毎日のように電話で情報交換するとか、がなくなって
やや見えにくくなった感のある学校生活ですが
また折に触れて、皆様にご報告できればと思っています。

イオンの黄色いレシート~さらにその後

2011年04月30日 | わたしたちにできること
イオンからいただいた「黄色いレシート」運動の寄付金ですが
これに自分たちの募金も足して、
復興作業のために必要な長靴・作業用手袋・使い捨てマスクを
購入し、被災地にお届けすることが出来ました。

間に入ってくださったのは、ネット上でお知り合いになった
ママさんと、その方からご紹介いただいた、現地宮城県の
NPO法人の代表を務めるママさん。

どちらも、自閉症・発達障碍の子どもを育てる母親であると
共に、その力を地域の自閉症・発達障碍児・者のために
役立てて、児童デイや就労支援など、様々な活動を精力的に
されている方々です。

宮城のNPO法人では、震災直後から現地で積極的に
巡回活動等を行って、関連団体や個人への物的・人的支援を
続けておられ、

そのネットワークを通じて、私たちの送った支援物資は
石巻の特別支援学校の先生方やそこに避難しておられる
障碍児家族の皆さんの手に渡ったようです。

ご自分たちの生活もまだ通常どおりとは行かない中、
本来の事業だけでも忙しいのにも関わらず、
現地ニーズとのマッチングをしてくださったおかげで

先生方や生徒さんも多くが被災し、ご当人やご家族がお亡くなりに
なったケースもあったと聞く、特別支援学校に
間接的にでもお役に立つことが出来て、私たちの気持ちも
無駄にならずにすんだと感謝しています。

TVでは復興の兆しを伝えるニュースが目立ちますが
阪神のときもそうでしたが、最初に立ち上がるのは
道路や鉄道などのインフラ、そして全国的な組織と
資金力を持つ大企業。
地域で、地域の人々と支えあってきた、小さな企業や
商店、そして一瞬で何もかもを失った個人が
再び立ち上がるには、長期にわたる物的・人的支援が
欠かせません。

間に入ってくださった宮城のNPO法人さんも
その例外ではなく、支援事業の火を消さないために
頑張っておられます。

支援金の振込み先は下のとおりですので、是非
ご協力をお願いいたします。

ゆうちょ銀行
記号:18140
番号:26397141
口座名義:特定非営利活動法人みやぎ発達障害サポートネット

しちじゅうしちぎんこう
七十七銀行
なかけちょうしてん
名掛丁支店 普通口座
口座番号:5958962
口座名義:特定非営利活動法人 みやぎ発達障害サポートネット
     理事長 大塚美智子

※なお、みやぎ発達障害サポートネットさんは認定NPOなので
5000円以上の寄付金に対しては所得税控除が受けられるそうです。

イオンの黄色いレシート~その後

2011年04月11日 | わたしたちにできること
イオンの本部からは、
「お気持ちは嬉しいが、黄色いレシートは地域の皆さんが
地域の福祉団体を応援したいという気持ちからいただいたものなので、
義援金とは関係なく、受け取って欲しい。もし気持ちがあるなら、
店頭での義援金募金等に協力してほしい」
とのメール回答が来ました。

その後、最寄の登録店舗から、寄付金受け取り関係の
書類が届いたので、店の責任者の方に問い合わせてみました。
すると、やはり、黄色いレシートと義援金は別事業として
やっているものだし、寄付金(イオン用のプリペイドカードで
もらえる)の換金は不可、ということになっているので、
義援金に回す、というのはやはり認められない、とのこと。

その代わり、会の活動として、どこかしかるべき受付先を
探して、そこに寄付するための支援物資を購入するのは
かまわないとのことです。
(通常は、事前に購入申請を出した品目以外は
 原則認められません)

地方公共団体単位で個人や小口の物資を受け付けているところは
少なそうですが、関西の自治体や民間のボランティア団体では
いくつかあるようですし、そういうところをあたって
何かお役に立てる方法を探してみようかと思っています。

支援物資受付情報のサイト↓
お願いタイガー!災害版」
必要物資・支援要求マップ 311help.com
こんな物資を求めています|東北関東大震災・共同支援ネットワーク
東日本大震災 支援物資/ボランティア登録募集

「イオンの黄色いレシートキャンペーン」登録団体の皆様へ

2011年03月14日 | わたしたちにできること
私の属する地区の自閉症児親の会は、イオンの
「黄色いレシートキャンペーン」の登録団体です。
各種福祉団体、ボランティア団体など、主に地域福祉に
関わる団体が登録団体として、最寄の店舗に
専用ボックスを設置していただけます。


毎月11日には、全国のイオングループの店舗で
黄色いレシートが発行されます。
イオンでお買い物をした方が、そのレシートを
登録団体のボックスに入れてくださると、
当該売り上げ高の1%を
イオンから登録団体に寄贈してくれるというシステムに
なっています。

これはイオングループの社会貢献活動として
行われているもので、2009年度には、その寄贈額は
全国で2億6千万円を超えました。

本年度も、もうすぐ各団体への寄贈が行われるはずです。

そこで、私は今日、イオングループへメールを出しました。

私たちの会への寄贈を辞退すれば、その分を
今回の東北・関東大震災被災地への義援金または
支援物資に換えていただけないか、と。
そうしていただけるのなら、至急、会のメンバーへの
承認をとりつけます、と。

返事はまだいただいていません。
でも、同様の声が多ければ、動いていただけるのでは
ないかと思います。

私たちだって支援はあれば助かる。でも、今は
もっともっと困っている人たちのところへ、
私たちに寄せられた善意を送ってあげて欲しい。

福祉施設や、現地での復興対策のために使ってもらえれば
決して黄色いレシートを投函してくれた人たちを
裏切ることにはならないはずです。

もし、このブログをご覧になっている方で
黄色いレシートの登録団体に属している方、属している
団体をご存知の方、
賛同してくださるならば、同様のメールをイオンに
送ってくださるよう、呼びかけていただけませんか。

イオンという一大企業に動いてもらえれば、
金額の面でも、物資調達の効率の上でも
きっと私たち1人1人が動くより
現地の人たちのお役に立つことと思うのです。

どうぞよろしくお願いします。



涙の年越しそば

2010年12月31日 | 驕らず焦らず諦めず
とうとう2010年も終わり。
愛用のPCが壊れたり、父が亡くなったり、他にもあれこれと
なんだかここ数年で一番波乱万丈の1年だったような気がします。

父の喪中なので、今年は年賀状の用意をすることはありませんが
それ以外はごく普通の年末でした。
大晦日、近所のスーパーの閉店間際の値下げを狙って買い物をし、
帰ってから年越しそばを家族で食べるのもいつものこと。

8時すぎに大きな海老天入りのおそばを作ると、息子が
「年越しそばだ~。お母さん、これ、12月31日の特別の
 食べ物なんだよね~」
「うん、そうだよ。おそばみたいに、長~い間頑張れますように、
 っていうお願いの食べ物だね」
と答えて、いつもどおり食べ始め…

と、3口ほど食べた息子が、急に隣りの部屋へ駆けこんでいきます。
様子を見に行くと、体を丸くして、泣いてる…?
「どうしたの?熱すぎた?」
「ううん」
「なにか嫌なことあったの?」
「なんでもない」
「泣いてるんだから、なんでもないことないね。
 どうして泣きたくなっちゃったのかな」
「なんでもないよ」

ゆるりゆるりの問答の末、やっと引き出せた答えは
「おそばは苦手」
はあああああああ~~~~っ?

キミ、これまでずーーっと、大晦日にはご機嫌で
年越しそばを食べてきたじゃない?
夏にはざるそばだって「おいしい」って食べたじゃない?

でも、何度訊いても「おそばは苦手。おいしくない」との答え。
うーむ。今日の味もこれまでと全く変わらない味付けだし…
これまで気づかなかったおそばの味に、今日突然気がついた、と
いうことなのでしょうか?
それとも成長とともに味覚が変わってきた?

結局、ぽろぽろと涙を流して「おそばは苦手」と言う息子に、
「じゃあ、来年からは『年越しうどん』にするね」と言って
やっと立ち直っていただきました。

一緒に暮らして16年、彼の好き嫌いはもうきっちり
把握していると思っていたのですが、まだこんなびっくりが
出てくるとは…

なにはともあれ、来年からは我が家から「年越しそば」が
姿を消すことだけは決まったようです。

「星の国から孫ふたり」

2010年12月12日 | 母もいろいろ忙しい
縁あって、映画「星の国から孫ふたり」上映会と同映画の
槙坪夛津子監督の講演会の実行委員会に加わることになりました。

この話が決まってから、慌てて門野晴子さんの原作を
読んだのですが、これが面白い!
カリフォルニア州バークレーでアメリカ人の夫と共に
学生相手の下宿屋を営む娘さんのところに生まれた孫が
2人とも自閉症。

門野さんの著作を知らず、「孫ふたり」のタイトルを見ただけで
「かわいそうな障碍児の孫を一生懸命理解しようとする
 やさしい努力家のおばあさんのお涙ものがたり」だと
思い込んで、今まで手にしなかったことを後悔するほど、

ぴりっと辛口で、愉快痛快。
孫たちの「怪獣ぶり」を余すところなく描ききり、それを
「面白いやつらだなあ~」とある種第三者的に
距離をもって、観察するなんて、「自閉症」を身近に感じる
機会も少なく、旧時代の偏見をどっぷり染み込まされて
生きてこられたはずの、この世代の人にもできるんだ~、
なんて、

門野さんが聞いたら怒られるような、変な感心の仕方を
してしまいました。
それに、アメリカンとジャパニーズのミックスである
エリックくんの発語が出てくると、その独特な英日語の
ちゃんぽんぶりが、わが息子の昔の状態とうり二つ。

日々の生活の大変さと、将来が見えない不安とで、
詳細に記録を残していなかったことを後悔している今となっては
私の記憶に残っているだけの、その愉快なちゃんぽんぶりが
息子の状態像とぴったり重なって、かな~り面白く読めました。

さて、この原作が、どんな映画になるのかしら、と
楽しみにしていたのですが、舞台は日本になっているし、
おばあさんは原作よりもすこーし舌鋒が鈍って(やわらかく)
いるもののの、

自閉症を克服しようとか、障碍に負けないで努力する、という
形でなく、お涙ちょうだいもなく、
「自閉症とともに生きる」人たちの姿を、からっとした
空気感で描いた、秀作にできあがっていました。

自閉症啓発という目的もあってか、説明的な台詞も多く、
エンターテインメントとはさすがに言えませんが、
学校や公的機関などで、自閉症を含む発達障碍への理解を
深めてもらうには、とっても良い作品だと思います。

自らが関節リュウマチほか、数多くの難病に冒され、
電動車いすの上からメガホンを取られた、という槙坪監督とは

難病つながり、アメリカでの自閉症療育つながりで
会場準備中や休憩中もすっかりお話がはずんでしまい、
個人的にもとっても楽しい経験をさせていただきました。

今回、実行委員会を立ち上げたのは、高等特別支援学校の
コーディネーター、M先生(なんか、私の周りにはM先生が
多いなあ)だったのですが、実行委員会に加わらないかと
声をかけていただいたことに感謝しています。
準備活動を通して、いろいろな立場で動いている心ある人たちと
お知り合いになれたのも、今後の財産になりそうです。

この映画、学校での上映会などにも貸し出しが可能だそうです。
お近くで上映会のある人は是非。⇒公式ブログ

映画『星の国から孫ふたり~「自閉症」児の贈りもの~』予告篇


当日の様子はこちら


誕生会

2010年12月08日 | ちいさな幸せ
息子の通う特別支援学校高等部では、月に一度、
その月生まれの生徒を祝う誕生会が開かれます。

そこではバースデイボーイズ&ガールズが
「一芸披露」をする決まりです。
これまでにも、少林寺拳法、ピッチング、PCキーボードの
早打ち、手作り紙芝居の披露、ウルトラマン知識の披露、
キーボード演奏、それはそれはいろいろあったのですが

12月生まれの息子、担任の先生と相談して決めてきたのは
歌と「アナウンスの真似」。

バス車内のアナウンスをそっくりそのまま再現するのは
息子の楽しみでもありと特技でもあり、これは
納得いったのですが、

自分から「歌を歌う」と言ったのは正直びっくりでした。
息子は耳がよく、宇宙語しかしゃべっていない頃から
カセットテープに合わせてとてもきれいに
童謡を歌っていましたので、音程やリズムが
正確であることはわかっています。

でも、本人にとって「人前で歌う」のはとても抵抗がある
ことのようで、他人が見ていないところでは歌っていても、
人が見ているとわかるとぴたっとやめてしまうことが
よくありました。

小学校時代の音楽会や、中学校の合唱コンクールでも
きちんと歌ってはいましたが、1人で歌わせると
蚊の泣くような小さな声になってしまいます。

あれほど息子の心をいつも汲み取り、支えてくれた
中学時代の担任K先生でさえ、彼が「普通の大きさの声」で
人前で歌うのを初めて聴いたのが3年生のときで

「こんなに歌がうまいとは知らなかった」と
べた褒めしていただいたものです。

その息子が、高等部の3学年の生徒と先生が揃った
その前で、1人で歌を披露するというのです。
それも、2曲。
1曲目は「高原列車は行く」。言わずと知れた
昭和の名曲ではありますが、どうしてこんな昔の曲を
知っているのかというと、You Tubeにこの曲と
機関車トーマスの映像を組み合わせたビデオが
投稿されていて、すっかりお気に入りになったようです。

2曲めはお気に入りの英語の曲のCDから「おお、スザンナ」を
もちろん英語で。

はてさてどうなるのか、と気をもんでいましたが、
結果から言うと、ハンドマイクの助けもあり、とても
上手にこなせたようです。

中学校時代は英会話の授業には参加していましたから、
息子が英語ならそこそこしゃべれることを知っている
仲間はたくさんいましたが、

今の高等部には息子が英語を理解できることすら
知らない人がほとんどですから、

日頃、細い小さな声で、日本語すらたどたどしく
話す息子が、まさかこんな風に歌えるとは思われて
いなかったらしく、

普段の息子を知っている人、特に音楽の先生には
とてもびっくりされたようです。

みんなからずいぶん褒めてもらったのでしょう、息子は
「おかあさん、ぼく、歌も英語もとっても上手なんだよ」
とご機嫌でした。

ちょっとずつ殻を破って、私の知らない力を
つけていく息子。
頼もしいやら、ちょっと寂しいやら。
障碍があっても、やっぱり高校生男子なんですね。

プレゼント

2010年12月02日 | ちいさな幸せ
いつも穏やかな笑顔で帰宅することの多い息子ですが、
今日はなんだかとろけそうな満面の笑みで
帰ってきました。

「うれしそうだねえ。なんかいいことあったの?」と
訊くと、
「ほら、これ、もらったの」
とカバンのなかからごそごそと取り出したのは
一枚の絵。

「Rくんからプレゼントだって」
12月生まれの息子のために、Rくんが授業で
息子の似顔絵を描いて、担任の先生と一緒に
教室まで届けてくれたのだそうです。

毎日嬉しそうに小学部の教室に通い、Rくんと
触れ合うことを何よりの喜びにしている息子への
小学部の先生の配慮なのでしょう。

Rくんの描いた息子の絵は、やっぱり笑顔です。

教室で絵を受け取ったときの息子は、「ありがとう」と
Rくんにお礼を言って、「目が嬉しそうだなあ」と
いうくらいのおすましモードだったようですが

家に帰ってくると嬉しさ爆発、という感じで、
ずっと手に持って歩き、「うふうふうふ」と
吹きだしを顔の周りに描いてやりたいような
浮かれモードでした。

2学期もあと3週間あまりですが、これですっかり
エネルギー充填されて、学期末までしっかり頑張れるかも。
Rくんさまさまです。

やっぱりRくん

2010年11月17日 | ちいさな幸せ
一年を通しての一大イベント、創作祭も無事に終わり、
学校生活もまた平常どおりに戻りました。

2学期も半ばになった今も、やっぱり息子の毎日の
学校生活での何よりの楽しみは、小学部のRくんとの
触れ合いです。

毎日、スクールバスが着くまで、Rくんが今日は乗っているか
どうか、どきどきしながら到着を待ち、
Rくんが乗っていれば、満面の笑みで迎えて
手をつないで小学部の教室まで連れて行き、

乗っていなければ、「ショック~」「がっかりです~」と
明らかにテンションが下がり、

スクールバスに乗り遅れたRくんがお母さんの車で
登校すると、またテンションが急上昇。
もちろん、自分の授業中にRくんが廊下を通るのを
見かけても、飛んでいくようなことはなく、
自分が今すべきことをわきまえて我慢している様子ですが

そのあまりのわかりやすさに、先生の方が思わず
「じゃあ、ちょっとだけ挨拶してきていいよ」と
許可を与えてしまうほど、なのだそうです。

基本的に他人とのコミュニケーションは受身の
姿勢の息子ですが、
Rくんに会いたさに、休み時間に小学部の教室まで
行ってきていいかの許可を担任の先生に求めたり、
小学部の先生に教室に入る許可を求めたり、

自分の次の予定を頭に入れて、Rくんとの遊びを
切り上げて教室に戻ったり、
小学部の行事の関係で教室に入れてもらえなかったときには
ひとりで気持ちを切り替えて別の行動に変えたり、

単独行動に必要な学びの機会をずいぶん与えて
もらっているようです。
強いモチベーションに支えられているだけに
どんな授業より意欲的に取り組めるのでしょう。

「授業そのものより、それ以外の時間の人とのやり取りから
 多くを学んでいくタイプ」と
担任の先生に評価される息子ですが

まさに今はRくんの存在が、彼にとっては人との関わりを
持つためのモチベーションであり、何より楽しい余暇活動であり、
円満円滑なコミュニケーションをとれたことへのトークン
(ご褒美)になっている感じです。

それでも、
「いっそのこと、小学部に入れてもらったら?そうしたら
 お勉強も給食も、ずっとRくんと一緒にいられるよ」
との母のそそのかしには
「それはないよ。僕は高等部の生徒なんだからね」
と、クールに答えるところは、

やっぱり「高校生のお兄さん」としてのプライドなのかも。