雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

卒業旅行(3)

2013年03月18日 | ちいさな幸せ
13年ぶりの米国行きでは、その他にも初めての
体験がいっぱい。

以前はビザ免除プログラムでは、機内で所定のフォームに
記入して、入国審査時に提示すればよかったのですが、
今、米国領に旅行するには、ESTAの事前申請が
必要になります。

ESTAの申請はインターネットで行いますが、申請手数料を
クレジットカードで支払う必要があります。
日本語サイトもあるので、ネット(ショッピング)に慣れていれば、
どうということもありませんが、これ、旅行社に代行してもらうと、
ビックリするような手数料をとられます。

TSAロック付きのお手軽サイズスーツケースも購入。
費用を浮かせるため、○天のスーパーセールを利用して、
日替わりセールの半額商品を買いました。
スーツケースも安く、軽くなったんだなあ、とびっくり。

医療費の高い海外行きでは、旅行保険も必須ですが、
これもネット申し込みならすごく安い商品が出ているものの、
一般の生命保険や医療保険と同様、既往症があると入れないものが
ほとんどです。今、元気だと言っても、私は一応今も
投薬を受けて、医療管理下にある身。
既往症があっても入れるものも数社ありますが、これらは
既往症を原因とするものについてはカバーしてくれません。
いろいろ調べて、やっと、AIUだけが、既往症があっても
加入OK、既往症の悪化にかかる医療費も上限があるけれど
負担してくれることがわかって加入しました。
その分、保険料が割高だけど、背に腹は換えられません。

食品の持込にも制限が出来ていました。
肉、肉加工品は、持ち込み不可。これには「肉エキス」も
含まれます。よって、レトルトカレー、カップラーメンの類は
全滅。その他の食品も、全て税関への申告が必要です。

最初は、インスタント味噌汁や緑茶のティーバッグを
持っていこうと思っていたのですが、通関の手間を考えて
今回は断念しました。

有名になった液体持込の制限にも注意が必要です。
液体と聞いてすぐに思い着くようなものだけでなく、
ジェル状の日焼け止め、保湿クリーム、リップバーム、
リキッド状の口紅やリップグロス、マスカラ、梅干、蜂蜜、味噌
なんかも「液体」になるらしいです。
知らずに持ち込もうとすると没収されます。

卒業旅行(2)

2013年03月17日 | ちいさな幸せ
年末に我が家に突然届いた封筒。表には「○○賞当選のお知らせ」。

明けてみると、なんと、昨年秋になんとなく応募していた懸賞があたり、
ソウル4泊5日旅行への無料招待か、ハワイ4泊6日旅行から
10万円引きの優待が選べるというのです。

指定されているツアーは、2月中旬から4月中旬までの出発で、
ちょうど春休みにぴったり。
優待は1人分だけですが、それでも、総額から10万円引となれば、
グアム旅行の予算に少し足せば、2人でハワイに行けそうです。

こういう時だけ、信心深くなる都合のいい私、
「これは、神様からの『今、ハワイに行って来い』という
思し召しなんだわ」
と解釈して、急遽行き先をハワイに変更することにしました。

13年ぶりの海外、やらなければならないことは山積です。

まず、パスポートの手配。申請書は最寄の市民センターでもらえるし、
戸籍謄本や住民票は簡単に取り寄せられますが、意外に苦労したのが
パスポート用の写真。

息子は、自然な姿では口が開いていることが多いのですが、
証明写真などで、口を閉じて、と指示をすると、むやみに口元に
力が入って、変な顔になってしまいます。
ところが、パスポート用の写真では、口をあいているのは不可、
笑顔も不可、変な表情も不可、あくまで、正面向きの真顔、という
指定があるのです。

デジタル時代ならでは、写真屋さんで、休憩を挟みつつ、
何度も撮りなおしてもらって、ようやくパスポート申請に
使えそうな写真が出来上がりました。

パスポートは申請のみ代理人でも出来るので(特に未成年の場合は
親は法定代理人なので簡単)、2学期中に申請に行っておいて、
冬休みに入ってすぐ、息子と一緒に受取りに行きました。
受け取りのときには、名前の自書と、口頭で氏名と生年月日の
確認がありましたが、これは難なくクリア。

パスポート番号がとれた時点で、卒業式の次の週に
出発するハワイツアーに申し込みました。

卒業旅行

2013年03月16日 | ちいさな幸せ
息子が高校を卒業したら、卒業旅行に連れて行きたいと
ずっと思っていました。

小学校6年の秋には、私がCIDPを発病して、およそ半年間
入退院を繰り返し、

中学の3年間は、車椅子生活から始まり、良くなったり悪くなったりを
繰り返して、最低限の家事と外出を除けば、起きている時間も
ほとんど横になったままの生活。

高等部に入学した時も、まだ左足をひきずって、杖をついてあるいて
いました。
それが、高2になってPTA役員として走りまわるようになると、
その忙しさに比例するように、体力も筋力もどんどん回復してきて、
とうとうこの春には、一度CIDP関係の投薬を中止してみようか、と
ドクターから提案されるまでになりました。

6年半もの間、私の不安定な体調を、夫以上に気遣い、
私に負担をかけないように、いつもいい子でいようと努力して
くれていた息子。

高等部の誕生会での特技披露や、学習発表会での出し物を通して、
自分が英語を話したり理解したりできるのは、自分が幼児期を
アメリカで過ごしたためであること、そして英語ができるのは
自分の特技として、他人から評価されるものであることを
意識しはじめた息子を、

高等部卒業を記念して英語圏への旅行に連れて行こう、と
思い着いたのです。最初に目的地にしたのは、グアム。
飛行機で日本から3時間、日本との時差が1時間。
立地の面でも、費用の面でも、ほとんど国内旅行の感覚で
行けそうです。

そのために、自分の働いたお金の中から、毎月少しずつ
積み立てて、旅行資金を作りました。
で、いよいよ昨年末、ツアーを選んで申し込もうとしていたら、
思わぬ知らせが届いたのでした。

卒業しました。

2013年03月15日 | 楽しい学校生活
あっという間に卒業式の日がやってきました。

今年は、高3担任団の提案で、校長先生の立つ演壇を中心に、
卒業生と在校生、来賓と先生方・保護者が向かい合う形で
席が配置され、卒業証書をもらう生徒がみんなの真ん中に
立つ形になっていました。

かわいい小学4年生の、先輩を送る言葉や、高2の
生徒会役員の送辞のあと、中学部を卒業する男の子や、
息子のクラスメートIくんが答辞を読み、
その後、高3の担任の先生が作ってくれた3年間の
思い出のビデオ上映。

高3のFくんとそのお母さんはどちらも自分の席で
号泣中。(遺伝子だなあ・・・)

小規模校ゆえに、小学部から高等部まで、子どもたちがみんな
知り合いで、普段から様々な場面で仲良く混じって過ごしていて、
他学部の先生方とも常に接触があって、事務員さんまで全ての子の
顔と名前が一致している、という、うちの学校らしい
温かですてきな卒業式でした。

午後は学校管理職と担任団、卒業生母子とPTA役員を中心とした
母子が参加しての「卒業生を送る会」。
先生方、卒業生の母の一言スピーチ、
校長先生やPTA役員の余興、先生方による生バンドの演奏と
それを伴奏にした卒業生の唄と踊り・・・と
これまた和やかで楽しい会になりました。

入学当初は小学校や中学校との大きな違いに戸惑ったり、
腹を立てたり、ということも多かったけれど、
PTA活動を通して、「もっと居心地のいい学校に」と
変えていった部分もあり、いろんな先生方ともざっくばらんに
意見交換をしたり出来るようになったこともあり、

総じて考えれば、親子とも、とても充実した3年間を
過ごせたと思います。
これで、息子の12年の学校生活はとうとう終了。
来月からは社会人としての生活が始まります。

カウントダウン

2013年02月20日 | ちいさな幸せ
この間お正月だったと思ったら、もう2月も下旬。
卒業まで、既に4週間を切りました。

あとは行事と言っても卒業前のテーブルマナー講習(ホテルで
フルコースを食べる)と「卒業を祝う会」くらいで、
すぐ卒業式本番になりそうです。

卒業制作として作っていた農園の柵やかかしも出来上がり、
卒業アルバムの写真の選定(今はデータをPC上で選ぶんですね)、
時期生徒会の選挙も終え、息子たちは教室に日めくりカレンダーを
教室中に張り巡らして、1日1日をカウントダウンしています。

私は私で、卒業式にPTAから出る記念品の選定だの、
卒業記念に学校に贈呈する物品の手配だの、
来年度に向けて、PTAの引継ぎに向けての資料整理だの、
あわただしく過ごしています。

今年は、学校でも家でも、ノロやインフルなどの感染症が
出ていないのがなにより。落ち着いているとは言え、
持病のある身には、何の引き金になるかわからない感染症が
一番怖かったりしますから。

このまま穏やかに卒業まで行けたら、最後の春休みには
息子と2人で卒業旅行に行こうか、と思って、
旅行ガイドの本を買って、行き先を模索する今日この頃です。

明けましておめでとうございます。

2013年01月01日 | ちいさな幸せ
またもブログ更新をサボっている間に、年を越してしまいました(汗)
息子がすっかり落ち着いて、穏やかに学校生活を送っているため、
ブログに書くネタもなかなか見つかりません。
それを考えると、昔は随分スペクタクルな毎日を
送っていたんだなあ、と思う今日このごろ。
ネット上には登場しませんでしたが、
息子も私も、おかげさまで慌しくも健やかに過ごしております。

いよいよ、あと3か月足らずで、息子も特別支援学校
高等部を卒業することになりました。
学校生活はわずか12年、あっと言う間で、卒業した後の
人生の方がずっと長いんだよ、と初先輩から
耳にたこができるほど聞かされてきたのに、
いざわが身がその立場になると、やっぱり「え~、もう?」と
思ってしまいます。

卒業後は、地元の作業所で、指導員さんたちの援助を
受けながら作業や実習に励む予定です。
ゆくゆくは一般就労できれば、とは思うのですが、
安定して仕事を続けるには、まだまだ様々な面で本人の成長を
待つ必要があるし、本人の良さが発揮できる環境を
慎重に選んでゆく必要がある、というところで
学校側と私の意見は一致しているので、
息子らしさを大切にしながら、のんびり長い目で
見守ってゆこうと思っています。

皆様にとっても、今年一年が健康と喜びに満ちた年に
なりますよう、お祈りしています。

元気に働いております。

2012年06月08日 | わたしたちにできること
あまりに更新をサボっていたら、「更新してへんからテンプレート無効にしたよ」とgooから通知が来ましたので、慌てて書き込んでおります。(やっぱりここは青空でなきゃ)

長い間音沙汰がないと、「また再発したの?」とご心配いただく向きもあるのですが、投薬と定期的な経過観察はまだ欠かせませんが、今のところ状態も安定して元気に過ごしております。

実は、昨年度は、息子の通う特別支援学校のPTA副会長を務めることになりまして、まあ、ご他聞にもれず、この仕事が忙しい忙しい(笑)。
とにかく、まだ知的の子どもたちにまで門戸が広がって間もない学校ですので、PTAの自主活動とか、元気に走り回れる子どもたちのための環境整備とかがほとんど無い状態で、そこに従来在籍していたタイプの子どもたちと、新しく受け入れの始まった、元気な知的の子どもたちとその親たちのニーズをうまくすり合わせて、新規事業を立ち上げていく段階です。

私から見てもさらにパワフルで熱い会長と「漫才コンビ」と呼ばれながらただただ駆け回った23年度でしたが、幸いにも仲間たちの協力や、学校管理職の理解や、先生方の応援にも恵まれ、「こんなことができればな~」と考えていたことが少しずつ形になってきています。

繁忙時にはほとんど毎日のように学校に顔を出しているようなときもあり、とにかくあちこちに頭を下げる機会が増え、正直「しんどくない」と言えば嘘になるのですが、ただただ前例を踏襲しているのとは違って、

「自分たちの欲しいもの」「自分たちが実現したいもの」のために働けるのは、「楽しいしんどさ」だな、と思っています。「お客さん」のつもりでああだ、こうだ、と文句を言っていたばかりの時と比べて、学校という場に頭を突っ込んだことで、ああ、それでだったのか、と理解できたりしたことも増え、

「あせらない」「おこらない」「あきらめない」という、息子に接するうえで自分にずっと言い聞かせてきたことって、学校にもあてはまるんだなあ、とまた新発見。

学校内を走り回るのに(廊下は走らないようにしませう)、杖をついていてはまどろっこしいから、とかなぐり捨てて働いていたら、そのうち筋力がついて、5年ぶりに杖なしで動けるようになった、というのも思いがけず嬉しいご褒美です。

CIDPを発病した時、あのまま寝たきりになったかもしれない体、これからもいつ動けなくなるかしれない体ということを考えれば、今こうして誰かのために元気に働けるというのは、とても幸せなことだと思います。

高校生の学習指導の内職もほそぼそと続けながら、今年もまた一般役員として、昨年自分が主になって企画運営した事業を定着させるべく、頑張っています。

とは言え、我が家の息子ももう高等部3年生。少しずつ後進に仕事を譲り渡して、息子の今後のためにも動き始めなければならないなと思っています。

「元気に明るく働くおとな」になりたいのは、実は「親も」なのですよね。

A Happy New Year!

2012年01月01日 | わたしたちにできること
あけましておめでとうございます。

色々ありすぎたこの1年、このお正月は「おめでとう」を控える
傾向にあるとのニュースも各所で見ましたが

大きな犠牲を払いながらも、こうして人が支えあい、
ながら、新しい年を迎えられたことを寿ぎたいと思います。

私個人にとっては、2006年のCIDP発病以来、毎年が
波乱万丈で、特に2010年はこれまでの10年でも一番と思えるほど
あれこれあった1年でしたから、2011年は今年こそ平穏で、と
願いをこめた年であったわけなのですが・・・

私の生まれ育った町・神戸がそうであったように、
傷つき、倒れた街が、人々が、また立ち上がり、息づき、
新たな明日を、未来を描いてゆける日が来ることを
祈ってやみません。

自らが傷ついたからこそ、人の傷を癒す術を知り、
自らが痛みに耐えたからこそ、人の痛みがわかるようになる。

史上例を見ないほどの厄災を生き抜いてくださった人たちに
今、心の傷を抱えながらも必死で生きていてくれる人たちに

生きていてくれてありがとう、と心から伝えたいと思います。
どうか、皆様にとって、少しでも穏やかな、幸せが実感できる
一年となりますように。

積み上げたもの

2011年11月26日 | 驕らず焦らず諦めず
私たちの住む町の公共施設で、毎週土曜日
無料で卓球台を貸してくれるところがあります。
珍しく何も予定の入っていない土曜日、
「いっぺん行ってみようか」と息子と2人で
出かけてみました。

カウンターで「卓球したいんですけど~」と
申し出ると、結構人気があるみたいで、
1時間待ちだとのこと。
しかたがないので、息子は近くのバスターミナルで
バスと車見物、私は隣のショッピングセンターを
うろうろして時間をつぶすことに。

「ひょっとしたら、1組キャンセルが出て早くなるかも」
と言われていたので、少し早めに1人で様子を見に行ったら
結局キャンセルは出ていなかったのですが、カウンターに
なんだか見覚えのある人が・・・

「あれ、Nさんじゃないですか?」
「そうですけど、えっと、ごめんなさい、お名前が・・・」
「Mです。アメリカから帰ってきた時お世話になった」
「ああ!まあ、お久しぶりですね。もう、大きく
 なられたでしょうね」
「今、高等部の2年です」
「まあ、そう!どうですか、その後、落ち着かれてますか」

アメリカからの帰国が決まって、市役所の福祉課へ国際電話を
かけて相談したときに対応してくれ、その後息子が燐市の
通園施設へ編入することになるまで、受け入れ先探しや
手帳取得などのあれこれを担当してくれた職員さんなのでした。

今はこの施設を運営している外部団体の職員さんになって
このセンターの受付と事務を担当しているとのこと。

なにしろ、意に反して急にこのS市に帰ってくることになって
それまで大学病院のICUにいた患者が
いきなりまじないで病気を治そうとする村に放りこまれたかのように
親子でとまどい、パニくり、不当な扱いや無理解や無策に怒り、
悔し涙を流しまくっていた頃のことですから

この人個人のせいではないとわかっていても
お世辞にも楽しい思い出がある相手ではなかったのですが
それでも「懐かしい」と感じ、今は素直に「その節は
お世話になりました」と笑顔で挨拶できるようになったのは

結局のところ、私も息子もトータルでは出会いに恵まれ、
息子が昔の笑顔もそのままに、ここまで心身ともに健やかに
育ってくれたからなのかも。

自閉の診断を受けてから13年、日本に帰ってきてからもうすぐ
12年。あっと言う間だったし、私自身は何一つ
大きなことを成し遂げたわけではないけれど、

日々の生活の中で、「自分が大切にしたいもの」を見失わず
1つ1つ積み上げてきたものが、昔は想像もできなかったような
今の穏やかな生活と心持ちをもたらしてくれたのかもしれません。

息子とひとしきり卓球を楽しんだ後、受付に借りたピン球を
返しにいったら、Nさんから話を聞いてたのか
他の職員さんたちも口々に息子に声をかけてくれます。

「卓球、上手ね」
「おかあさんと、ずいぶんラリーが続いてたね」
「おもしろかった?また来てね」

「はい。おもしろかったです。また来たいです」
と息子はにっこり。
「おかあさん、卓球楽しかったね~」と言いながら
ご機嫌で帰途についたのでした。




文化祭

2011年10月15日 | 楽しい学校生活
息子の通う特別支援学校では、毎秋に行う文化祭を「創作祭」と
呼んでいます。

歌やダンス、劇などのステージ発表のほか、授業で作った
作品の展示や、生徒の手作り品の販売、PTAの不用品バザーなど
小規模ゆえ、普段は静かな学校が、この日ばかりは
普段は本校にいない分教室の子どもたちや
保護者や兄弟や、卒業生や、今後この学校に来ることになりそうな
子どもとその保護者や、出身校の先生たちなど、
人であふれかえって、それはそれはにぎやか。
まさに年に1度の「お祭り」です。

本校生のステージ発表は午前中。
出勤日で見にいけない夫のために、ビデオカメラと三脚も
持参で、朝一番に駆けつけましたが、
会場は既に結構埋まっていて、三脚もたくさん。
わが子の頑張る姿をカメラに収めたいのは、みんな
同じなのですね。

今年のステージは、高等部1年、高等部2年、小中学部、
高等部3年の順番でした。
息子のいる高等部2年は、ほぼ毎日通学できているのが
息子を含めて男子5人だけ、そのうち台詞が言えるのが
4人、という小集団なので、息子たちは20分の持ち時間中、
ほぼ出ずっぱり。

YくんとNくんの少林寺拳法の披露、Kくんの剛速球披露など、
それぞれの得意技を生かした、楽しいステージになっていました。
なつかしのピンク・レディーの曲に合わせたダンスや和太鼓も
猛練習の成果か、なかなかのもの。

「マイクを通したアナウンス」と「英語の歌」が得意な息子は
台詞を言うたびにスタンドマイクのところまで走っていって
台詞を言ってはまた走って帰る、というアクションで
お客さんの笑いを誘っていましたが、

なんと最後の最後に、ハンドマイクを握り、ステージ上で
スポットライトを浴びて、サイドステップを踏みつつ
ABBAの「ダンシング・クィーン」を英語で熱唱。

たくさんのお客さんの前でも、臆する様子もなく、終始ノリノリで
フルコーラス歌い上げて、クラスメートと合流して、終了。

確かに、今年は「英語の歌を歌う」とは聞いていたんですが
まさかソロとは思いませんでしたよ~。
だって、息子は、歌うのは好きだけど、人前で大きな声で
歌うことは去年までほとんどなく、昨年末の誕生会で高等部の
みんなの前で歌を歌った、と聞いて、びっくりしたくらいなのに、

一足飛びに、創作祭のステージで、やりますか、普通。
1人会場で冷や汗びっしょりになった私をよそに
息子は大満足のていで引き上げてきて、
「上手に歌えたよ~」と自信満々でした。

「ステージで、1人で歌えるなんて、すごいね~」
「さすがに、発音が違うわね~」
知り合いのお母さんがたから口々に褒めていただいて
嬉しいやら恥ずかしいやら・・・

だけど、これでもう、
「うちの子は内気で、恥ずかしがり屋で…」って
いえないじゃないのっっ!!