まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1656 登録有形文化財巡り、伊賀市編・前編

2021-10-18 08:03:16 | 文化財
よろしくお願いします。














春に伊賀上野方面を2回に渡って走った記録についてはもうお伝え済みですが、その走りの中で登録有形文化財を巡った記録は別枠でのお送りとすることにしました。今回はその1回目、実は伊賀編は前に一度しているのですが、今回は久しぶりの伊賀上野、それと前に訪れた時には未訪問だった所や新たに指定された所もあると言うことで、再訪と言うことにしました、前に行っている所も含めて、巡って行くこととしましょう。
JR伊賀上野駅から出発してすぐに服部川を渡り、その川沿いを少し行った所にあるのが上野市上水道水源地送水機関室。写真1枚目、2枚目にある柵の向こうにある建物はレンガ造りでいかにも、と言う感じだがもちろん今はもう現役ではない。続いて3枚目、4枚目にある寺院、伊賀上野の中心部は高台にあるが、ここはその上り口になる場所のある寺院。これとは別の文化財を巡るためにたまたまここを通りかかった時に三重塔があるんやな~、と漠然に思いながら写真を撮ったが、後で調べたらこれが登録有形文化財だった。写真をよく見てみると山門の横にが掲げられてますねえ、この時は他に気が行ってたためここでは自分(一人称)のレーダーが働かなかったんでしょうかねえ~。




















高台へと上って伊賀上野の中心部へとやって来ました、やっぱり上野と言えば城と言うことで、まずは定番の伊賀上野城へと行ってみる。上野高校の横にある坂道を上って城の裏手へと入り、そこからは城の領域となる未舗装の道を上って天守閣へと近づいていく、その途中にあるのが俳聖殿、特徴のある建物は松尾芭蕉の旅姿を模した形をしている。ちなみに前のゾーンの下4枚にある写真は松尾芭蕉家代々の菩提寺となっている愛染院、この境内にある故郷塚は伊賀市の記念指定物となっている、芭蕉つながりと言うことでこちらで取り上げました。
さて、上野の町はは伊賀上野城はもとより歴史的にも古い建物も多く、登録有形文化財も各所に点在している。上野市駅から1本南を通っているのが旧大和街道、奈良から進んできて鍵屋の辻へと至り、そこから急な坂を上るとこの道へと至る。この界隈には登録有形文化財の上野文化センターの建物や、由緒ありそうな商店の建物などが連なっていて、進みのスピードもついつい緩めてカメラをあちらこちらへと向けてしまいたくなる。郵便局の手前には上野の道路元標があり、ここが上野の道路の起点となっている、前にお伝えした五平餅を食べた店はここから南へ分かれている道へと入ってすぐの所にある、文化財巡りはこの道へと入って行くこととしましょう。















碁盤の目状になった町の中を進んで行ってまずは写真1枚目、2枚目にあるのが赤井家、武家屋敷として一般に展示されているとのことで、観光の一端を担っています。まあ自分(一人称)は有料はスルーなので、次に訪ねた蓑虫庵ももちろん写真に収めるだけです・・・となると味気ないのでなぜ「蓑虫」なのかと言うと↓↓↓

「芭蕉翁の門弟服部土芳(どほう)の草庵で、貞享5年(1688)3月庵開きの祝いとして芭蕉翁が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名づけられました。」

とのことです。そして最後に巡ったのが民家の中に埋もれるようにしてある銭湯、なかなか由緒ある建物と石柱の門が文化財とされている。まさに昭和風と言う感じで、古い郵便ポストの向こうにある駐輪場には昔の映画のポスターや、懐かしのキンチョールの看板が掲げられている。そうか!!伊賀上野の町がいつ来ても懐かしい気持ちにさせられるのは、この町にはいまだに昭和の雰囲気が残っているからか。小学校の遠足で来たのが初めてで、それ以降も何度も来ているし、平成を過ぎて今回、令和の世のなっても初めて来たわけだが、町の至る所に昭和の影が漂っている。この雰囲気はずっと残してほしいところですけど、人はどこまで古さに我慢できるでしょうか、昭和が終わってまだ35年経ってないですからね。伊賀市付近の文化財巡りは次回に続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち