まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.783 西国街道(1)・その道中の陽気なこと!

2017-07-25 01:32:28 | みち
おはようございます。











GW連休中日、気ままに京都方面を走っているわけですが、京都市内中心部では二条通を走り二条城前から堀川通を経て国道171号線へとやって来ました。気ままにとは言っても気持ちのどこかでは今回は西国街道を走ろうと考えていたので、まずは順調に来ているとでも言ったところでしょうか。このまま大阪方面へ向けて走って時間が許す限り行ける所まで行ってみようと思っています、最終目標は・・・まだ決めてません、いずれは輪行で奈良へ帰らなければならないはずだから電車代のことも考えて・・・とそれは追々として、とりあえず走って行くことにしましょう。
東寺から西へ少し行った所に羅城門跡があり、西国街道はそこから始まることとなる、まずは国道171号線の歩道を進んで行くが途中で細い道へと入り国道を沿うようにして進んで行く。写真2枚目にあるのは吉祥院界隈の風景、それほど旧街道の雰囲気を感じることはない、ごく普通のどこにでもあるような町並、ここを通り抜けて行くと桂川に架かる久世橋へとたどり着く。









久世橋を渡った後旧街道を見逃してしまい仕方なく国道を進み、途中で駅へと向かう道へと入りJR東海道本線を跨ぐ跨線橋を渡ってJR向日町駅へとたどり着く。市の境界線は跨線橋上にありそこは自転車で走るには危なすぎる所、もちろん止まることもできず境界を示す表示の写真を撮ることはできなかった。駅前には旧街道を示す地図があったが、歩行者はこの線路を地下道で渡ることとなりその道が西国街道の経路となっているらしい、自転車も通れるらしいから怖い思いをしなくても良かったわけである、これはしたり・・・。市名は向日市だがJRの駅名は向日町、競輪は向日町競輪と言った具合で「向日町」と言う呼び名が一般的になっている分、「向日市」と言うのはイマイチ影が薄いイメージがある。ちなみにこの向日市、日本では3番目に狭い市だとか、都心に近くて面積が狭いと言うことは是即ち人口密度が高いと言うこと、もちろん京都府内の市ではダントツの1位である。ちなみに隣接する市が長岡京市だが都としての長岡京があったのはこの市だったとのこと、地図で確認すると西国街道の東側に長岡京跡を示す表示とその付近に大極殿と言う地名が存在している。長岡京については今までほとんど知らないことばかりなので、これから掘り下げていきたいところ、またいずれ走りに行くこととしておきましょう。














JR向日町駅はもちろん向日市の代表駅でJTB時刻表でも◎で記されているが、付近はそれほど賑わいを感じるほどの場所と言う感じではない。市の中心部は阪急線側にあると言うことで、旧街道はJRの駅から南西方向へと伸びていて、やがて賑わいを感じることができる阪急京都線の踏切へとたどり着く。その踏切のすぐ近くにあるのが東向日駅、周辺にはショッピングセンターがあり人や車の行き来が多い、この踏切前から分かれる道が物集女街道へと伸びていて、樫原を経て嵐山方面へと道が続いている。西国街道は踏切を渡ったすぐの所、写真2枚目にある常夜燈が立つ所で府道から左へと分岐する細い道へと入って行くことになる。この道は緩やかな上り坂で旧街道の雰囲気が漂う町並がその坂道に軒を連ねている、途中には道標や常夜燈、お地蔵様などこれぞ旧街道の風景と言ったものが目に付くようにあり、緩やかな上りも左程苦にはならない。道はやがて上り詰めた所で踏切の所で分かれた府道と再び合流する、その場所には写真下から3枚目にあるように向日町の道路元標、下2枚目にある文化財っぽい建物とその横には平べったい道標が立っている。この写真では分かりにくいが道標には

「右 西国街道  中 あたごみち  左 たんばみち」

とある。自分(一人称)が来た方向からこの道標の示す行先には合わないから、多分西の方から見た道順になるのだろう、左へ行くと物集女街道を経て丹波街道、中の「あたごみち」とは愛宕山へと通じる道と言うことだろうか。「愛宕山」と言うと思い出すのが『ちりとてちん』で草若師匠が謳い文句のように話していた「その道中の陽気なこと!」、師匠は地獄へもそう言いながら旅立って行った。自分(一人称)の走りも5月の暖かさに誘われてこの先も~その道中の陽気なこと~と行きたいところ、旅はまだまだ途中です、この先西国街道はどんな風景を繰り広げてくれるでしょうか、この続きもまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。        まちみち



No.782 大和郡山城

2017-07-23 23:19:24 | ふうけい
おはようございます。













ここではもう何度も見たことのある風景の写真を貼ったのですが、今回のテーマは近鉄電車ではなくその後ろに写っている大和郡山城、いままで何度もやって来ては写真に撮っている所ですが城門の中に入ったことはほとんどありませんでした、何でかって?それはもう少し後の話としておきましょう。
大和郡山市はこれももう何度もここでお伝えしたことがあるのでお馴染みの所だと思います。この市には意外な日本一があります、金魚、と言いたいところだがそれは別に意外でもないし日本一の座は愛知県のどっかに持って行かれている、何かと言うと市の名前、「やまとこおりやま」は四国中央市と並んで日本で一番長い市名だとか、ホンマどうでもいいことで日本一です、どうせなら高校野球ででも日本一になってくれればとも思うのですが。この地の有名人と言えば巨人の亀井義行、NHK『ニュースチェック11』の三宅惇子、鉄チャン南田裕介マネージャーなど、「君がいた夏は~♪」でお馴染みのJITTERIN'JINNもそうやったんや、知らんかった、甲子園ではもうお馴染みのこの応援歌、でも自分(一人称)は映画『ラブコン』で

「大谷のことめっちゃ好きや~」「冗談やめろや~」

のやりとり、夏祭りのシーンでこの曲がかかっていたのが印象に残っている。奈良県の中では産業が盛んで人口密度も高く奈良盆地の中心にあって県内でも重要な位置にあると言ってもいい大和郡山市、その地の支えともなっているのが大和郡山城、いつもは電車が走る風景でしか紹介できなかった所がどんな所なのか行ってみることとしましょう。










と言うことで城門を入ってからの写真を並べてみたのだが、これだけではよく分からない、まあ中へ入ってみてまず一言で言ってしまえば何もありません。写真6枚目にある石垣が天守閣があった場所だと思うが、ここにどれだけの規模の天守閣があったのかは予想につかない。実はここには前にも何度か来たことがあったが何もないことは知っていた、だからここには来る気がならなかったわけである、要は表から見るだけで充分な所と言うわけなのです。写真5枚目にあるのは城内にある城址会館、旧奈良県立図書館でお城とはあまり関係のない建物、元は興福寺にあったものが移設されたわけだが、今ある櫓が復元されるまではこの建物が石垣の上に建っているのが見えていたので、子供の頃はこの建物がお城の天守閣だと思っていた。まあ奈良県内には天守閣が残っているお城がないので無理もないが、国鉄(当時)の特急にしても空港にしても、ないものにコンプレックスを持ってしまうのは仕方のないこと、だから子供の頃はよくお城のプラモデルを作りまくっていた。松山城、小倉城、小田原城・・・いろいろと作りまくって置く場所がなくなったのでさかさまにして天井に貼り付けたら、重みで落ちてしまってバラバラになってしまった、それ以来プラモデルを作るのはやめた。








実際のお城を見たのは大阪城が初めて、まだその頃は環状線に大阪城公園駅はなく森ノ宮駅で下りたのだが、駅を下りてすぐ目の前の立派なお城を見た時、大和郡山城に騙されたと思った。見様によればお城にも見えなくない図書館の建物がお城の基準になってしまっていたわけだが、大阪城と比べると月とスッポン、桜とペンペン草みたいなもの、それ以来奈良にお城はないものだと思うことにしていた。まあ小学生の頃の悲しい思い出だし、大和郡山城も今は櫓が復元されて何とか格好はついているからそれはそれで良しとしておきましょう。大和郡山市にはこの城以外にも筒井城や片桐城、奈良市になるが辰市城などここに天守閣があったんかと言いたくなりそうなほどのペンペン草なお城が点在しているし、天守閣がなくても自治で城の機能を備えたと言う環濠集落も多くある、それだけこの町が歴史の流れに翻弄されてきたと言うことでしょう。このブログではこれまでも何度か大和郡山市を紹介してきましたがだいたいがお城の周辺、市の中心部と言った辺り、そんなわけで毎日当たり前のように何気なく走っている大和郡山をチョイと掘り下げてみたいと思います。まあ近場だからテーマ探しに手っ取り早い所だし手抜きしてるんやろ~なんて思わないでね、次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち

No.781 浜寺界隈、レトロ駅舎

2017-07-21 01:31:10 | 南海
おはようございます。











今回は4月に堺方面を走った時の話を軸にして、浜寺界隈の風景をお送りしていきたいと思います。仁徳天皇陵から西へと坂を下って行くと阪堺線の御陵前電停があり、その交差点から南へと分かれている道が紀州街道、ここでも前に紹介したことがある道です。この道を先へと進んで行くと旧街道の雰囲気はないがいかにも庶民的な賑わいを感じる所へとたどり着く。ちょうどその辺りが南海本線の諏訪ノ森駅付近、と言うことで駅へと行ってみると踏切の向こうには登録有形文化財にも指定されているレトロな駅舎、ホームの配置も変わっていて特徴のある駅として近畿の駅百選にも選定されている。普通しか停まらない駅だが周辺は民家や商店が多く少し雑然とした雰囲気、あまり長居もできないので近くを通る府道へと出る。ここからは南へと向かって走る、すぐに進行方向左手側に阪堺線が沿うように走りやがて浜寺駅前駅、駅名に駅前が付いていると言うややこしい駅名、その駅名がさす駅前とはこの駅のすぐ横にある南海浜寺公園駅、ここの駅舎もあまりにも有名過ぎるが今は高架工事中のため写真4枚目にあるように囲いの向こう側に隠されてしまっている。で代わりの駅舎はと言うとこれも写真3枚目にあるように味気のない仮駅舎、高架工事中の今しばらくはこんな風景が続くのだろう。













南海本線の西側、府道が通っているその向こう側は浜寺公園が広がっている、浜と付いているから海が近いとイメージがあるが、公園の更に向こう側には工場群が広がっていて海を見ることも雰囲気を感じることもできない。一方の駅の東側はさっきまでの庶民的な町並が一変したかのような高級住宅地、落ち着いた雰囲気の中をチョイとだけ巡ってみることに。目的はこの界隈にある登録有形文化財物件だがどの建物がそれなのかは分からなかった、とりあえず目についた風景をいろいろと撮ってみたが、住宅の人が見たら怪しい人間やと思われそう。それにしても高級住宅地のイメージがあった浜寺界隈にこのような趣のある風景があるとは思わなかった、もっと今風な家がカクカクとした感じで並んでいるだけかと思ったから意外な発見だった。









浜寺公園駅を出て少し行くと高石市に入り、さっきまでの高級住宅地の風景もまた一変して庶民的な雰囲気の町並へと戻る。府道を南へと進んで行くと高架の下をくぐる、この高架は羽衣駅から分岐する高師浜線で、少し東の方に行くと写真3枚目になる伽羅橋駅へとたどり着く。駅は住宅の入り込んだ少し分かりにくい所にある、駅名になっている伽羅橋は元は紀州街道に架かる橋だったが、今はそれが府道にとって代わったので橋はこの近くにある公園に移設されたとのこと、登録有形文化財物件なのだがこの時は時間の都合で巡ることができなかった。そう言えばこの時の走りでは前以ての予習もしてなかったせいか登録有形文化財巡りがことごとく空振りしてしまいほとんど探し当てることができなかった、このまま中途半端なままでは済ませたくないのでまた改めて走り直さなければならないな・・・。
今回の走りで最後にやって来たのが写真4枚目にある高師浜駅、前の会社に勤めていた頃、南海沿線のいろいろな駅を廻っていたがそれは主に高野線の方、でも本線もいろいろと廻らせてもらっていて、この駅にもよく来ていた。なかなか趣のあるレトロな駅舎は諏訪ノ森駅、浜寺公園駅のレトロ駅舎シリーズを踏襲しているかのよう。自分(一人称)が行っていた時には売店(もう今はなくなっている)の横にニャンコさんがいてよく頭を撫でさせてくれた、もう相当なお歳だったらしくいつもおとなしくなさっていたが、同僚から聞いた話では来た人が誰も頭を撫でて行くので禿げてしまったとか、や~、申し訳ないことをしてしまいました。たった二駅だけの高師浜線の終点駅、2両編成の電車が羽衣とこの駅の間をシャトル運転しているが、務めが終わって塒に帰る前に夜遅くに難波駅のホームに回送で入って来たのをよく見たことがある。そんなわけでこの日の走りはここまで、駅前で相棒君をたたんで帰ることにする、高師浜線に乗るのは何年ぶりだろうか、たった数分二駅だけのローカル線の旅を楽しんで行こうとしましょう。また次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。        まちみち


No.780 球音、橿原の杜に響く

2017-07-19 09:00:22 | 日記
おはようございます。









一昨日(17日)、サトスタへと行ってきました。夏の甲子園を目指しての県大会予選も中盤に入りシード校も順調に勝ち上がりました、この日見た試合はそのシード校のひとつ、高田商と生駒の対戦です。試合開始は午前9時でしたが球場に着いたのは9時20分頃、駐車場は満杯で入れないこと、でも自転車は駐輪場が余裕あったのでその辺りに置いて球場へと急ぐ、もちろん試合は始まっていてブラスバンドの鳴り響く音と歓声が聞こえてくる、入場料を払って早速中へと入る。
入口に屯していた女子高生の人垣をかき分けてスタンドの座席が空いている所を探して廻る、外野席は解放されてなく内野席はもう人いっぱい、1塁側の一番端っこの最上段の席が空いていたのでそこに陣取ることに、ちょうど真横にカメラの櫓が立っていてライト側が見にくいが特に不自由はない。場所的には周囲はほとんどが高田商の応援の人たち、お揃いのTシャツを着て応援している、そして自分(一人称)の横の座席には次の試合に出場する王寺工の選手たちも、この後の対戦だと言うのに緊張している様子もなく試合を観戦している、補欠の選手かなと思ったが背番号2の選手もいる。さあ、試合の方だが3回まで進んで2-2の同点、1回に生駒が2点を先制、高田商が1回、2回に1点ずつ取って同点に追いついている。











高田商は去年智辯学園と対戦した試合をサトスタで見たのだがその時は先制したものの逆転されて結局コールド負け、その後秋の大会で準優勝、近畿大会では1勝したものの次の履正社に敗戦、しかしその履正社が神宮大会で優勝して神宮枠が近畿に与えられたことによって今年のセンバツに23年ぶりに出場。そのセンバツでは初戦の相手が秀岳館、これはどう考えても勝ち目はない、せめて笑い者にならないような試合を・・・と思ったが案の定相手にならないと言った感じ、11-1で負けました。でも上の写真にも写っている古川投手が4回までは強力打線を1点に抑えたのと1点を取ったのはまあ良しの材料としておきましょう、勝っても喜ばない、ホームランを打っても笑わない、他人を重んじることをモットーとして17点も取られた桜井よりはまあいい印象は残してくれたと思います。
さて、試合の方は6回まで8-2と高田商がリード、全国では通用しないチームもここでは順当にリードしています、生駒はあと一歩のところでコールド負けを逃れて7回表、まずホームランで反撃の狼煙を上げるとその後も連打でこの回3点を返して8-5、欲を言えばもう1点返してほしかったが試合は分からなくなってきた。生駒は昨秋の大会で古川投手にノーヒットノーランをされているとのことで意地もあるのだろうがここまでホームランも2本記録している、まだ分からない、周りはほとんどが高田商の応援の人たちばかりだが自分(一人称)は生駒を応援していた。しかし自力では勝る高田商、全国では通用しなくても奈良では4番目のチーム・・・この辺りが書いてて虚しい、智辯学園も県内一でも全国では25番目くらいだし・・・7回、8回に追加点を挙げ、最後はワイルドピッチで3塁ランナーが生還、この時点で12-5で試合終了、生駒は雪辱を果たすことができなかった。でも秋にはノーヒットノーランをやられた投手から2本塁打で5点、ここは素直に健闘を称えてあげたい、一方の高田商、シード校としてまずは順当に勝ち上がり、多分準決勝までは行くでしょう、もし順当なら相手は・・・いや、ここはそんなこと軽々しく言うことはやめときましょう、野球は何が起こるか分かりませんので。







奈良テレビで予選期間中に放送される『ドラマチックナイン』、放送時間が遅くなってオンタイムで見られるようになった。ここでMCをしているのが高校野球大大大好き芸人のかみじょうたけし、『アメトーーク』でもディープな話で盛り上げてくれた人です、板東英二の物真似はあんまり似てないけど。番組では『アメトーーク』で話していた昨年の奈良県大会決勝の天理の涙雨の話もしていました、ネタの使いまわしかよ・・・↓↓↓




先にも書きましたがここまではシード校も順当な勝ち上がり、多分ベスト4に残るのはこの4校で濃厚じゃないかと思います。ここ近年甲子園に出場した4校、しかし善行レベルとなると高田商は先述通り、天理は暗黒の時代、智辯学園は昨春優勝もその後は相変わらずの2回戦ボーイテイストと寂しい限りです。奈良大附は2年前のセンバツにやっとのことで初出場、その時は敦賀気比相手にたった1安打、3-0で負けました、でも同じ相手に大阪桐蔭は11点も取られたんやで、同じ選手に満塁本塁打2本も打たれとんねんで、と言うことはこの大会に限っては奈良大附>大阪桐蔭・・・まあそれは良しとしてそろそろ夏にも実を結んでほしいところです。今年の春の大会決勝では智辯学園にまさかの逆転サヨナラ負け、夏の大会も4度の準優勝、そろそろいい思いをさせてあげたいところです、まあ善行ではまだまだ厳しいと言った感じになりそうですが、これも強くなっていく一歩ですから。
天理はもう昔の名前で出ています状態、ここいらでそろそろ何とかしないと本当にやばいところです。元プロ野球選手を監督、コーチに向かえてチームがどう変わるかと思ったが、予選では初戦の香芝戦で大苦戦、なめてかかったわけではないのでしょうがこの先も前途多難かなと言った感じ、もし仮に順当に4強に残っても相手は多分智辯学園、勝てるでしょうかねえ。一方の智辯学園もセンバツ優勝の後は鳴門、盛岡大附に不覚をとられてしまう体たらくぶり、箔もそろそろはがれてきた感じです、その辺りが未だに智辯和歌山よりも低く見られる要因なのでしょうねえ。でもシード4校の中で一番の本命はやはりここ、甲子園ではポカも多いけど全国に通用する力はPL、仙台育英、横浜、平安(天理が勝てない相手ばかり)を倒してきたことで実証済み、いつも大阪桐蔭で止まってしまう旗をそろそろ生駒の峯を通り越して大和平野に持って来てくれることを期待したいところです。そうは言ってもまだまだ予選は中盤戦、この先はどうなるか分かりません、ここは楽しみに行く末を見守っていくこととしましょう。高校野球の話になると熱くなってしまうのは僕の悪い癖、これに懲りずにまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち

No.779 各駅巡り・養老鉄道(5)

2017-07-17 21:01:26 | 鉄道
おはようございます。













夏の甲子園に向けて各地で予選が真っ盛りと言ったところですが、今回の話は春のセンバツが始まったばかりの頃、各駅巡り養老鉄道編です。大垣から桑名まで、結構長い距離の路線もやっと半分までやって来ました、前回は鈴鹿山脈の大きな山々を左手に見ながらの各駅巡りのはずが旧街道の風景がメインになってしまいたった一駅の紹介だけで1枠を使ってしまいました、今回は何とかもう少し先まで行ってみようと思います。
と言うことでまずたどり着いたのが駒野駅、ローカル線にしては立派な駅舎とホーム2面3線の大きな駅、周辺は特にこれと言った特徴のある町ではないがJTB時刻表を見るとこの駅には◎の印。この駅の最寄りになる県道が揖斐川に架かる橋を渡って海津市の中心地へと通じていることから、駒野駅が海津市の中心駅となっているわけである、しかし町の中心は川の向こうなわけだから駅もローカル線の雰囲気が漂っていて静かだった。駅を後にして線路に沿う道を行く、感じからしてここも旧街道っぽい、さっきから走ったきた続きとなる所かも知れない。その道中で電車を見かけたので立ち止まって1枚、それが写真4枚目にあるものだがあれほど単一色の電車はきれいだと言っていたのにやって来たのは何か、何かな~、けばけばしい感じのラッピング電車、興醒めしてしまうわ~。












旧街道風な道から国道258号線を経て次の美濃山崎駅、相対式ホームで電車が行き違いができる駅、駅舎はなくホームの両側から駅に入ることができるようになっている。周辺は集落がチラホラあるだけでいかにもローカル線の駅と言った感じ・・・って自分(一人称)このフレーズ大概いろんな駅に使っていますが、要はそう言う例えしかできないと言うことです、特にこの駅はそう言った例えしかできないほど何もない駅で乗降客数も養老鉄道の中では最小とある。周辺は民家がチラホラあるだけだが風景は開けていて揖斐川が近くに流れている雰囲気もうかがえる。駅を後にして再び国道へと戻り先へと進んで行くと写真4枚目、揖斐川に架かる海津橋へとたどり着く。ここからは川に近い道を通って行くがこの道がなかなか趣深い、写真5枚目以降にあるように旧街道の雰囲気が漂う町並が続いている、となるとやはりここはずっと養老鉄道に沿って通っている街道と言うことなのか。普通に考えると東海道桑名宿から分岐して養老まで続いている街道と言うことになるのだが、その道の名称やルートがイマイチ分からないのでネットで調べようとGoogleでキーワードを入力して検索すると、自分(一人称)のブログ名が出てきてしまった、これじゃ~調べられないわ・・・









次の石津駅はその町並の中にある駅、駅舎はあるが無人駅でホームは1本だけ、さっきの何もない町の駅がホーム2本あって、町らしい雰囲気の中の駅が行き違いできないホーム1本だけとは何かアンバランスやな~。実は自分(一人称)は前に一度養老鉄道の前身、近鉄養老線の頃に大垣駅から自転車を持ち込んで乗ったことがありこの駅で下車したことがある。なぜこの駅だったかと言うと木曽三川に架かる橋を渡るため、本当ならもうひとつ先の駅の方が近いのだが予算の関係で・・・この頃からそんな事ばかり考える旅をしている・・・この駅で下りたんだったと思う。もう何年も前の話なので駅の印象などはほとんど残ってないが、まあ自分(一人称)にとってはこの時が唯一のサイクルトレインでこの駅が唯一の下車駅なので記念すべき駅であると言える。石津駅を後に次の駅までは線路沿いの道を進んで行く、またまた電車がやって来た、今度は単一色の懐かしい感じがする車両、やっぱりこれがいいんだよな~、simpie is bestが一番、ベストが一番って言葉がダブってしまっているけど変なラッピング電車よりはあるがままと言うのが一番なのです。そんなわけで続きはまた次回と言うことで、その時もまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。        まちみち