まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.509 ちょっといろいろありまして・・・

2016-06-18 08:45:58 | 日記
おはようございます。


その何かを悟ったような言動、孤高の人をまるで誇示するかのような眼差し、やって当然、出来て当たり前の様なプレーに対する姿勢、どこか冷めたような言動にチームに対する愛情が感じることができないところが大嫌いだった。130試合制にあって210安打の日本記録を打ち立てた翌年、選手名鑑に書かれた今年の目標が「レギュラー定着」、WBCで絶不調だった時には「心が折れた」を連発して自分の普通さを今更のようにアピール、かと言って最後の最後に結果だけ残して涼しい顔をしてアメリカに帰ってしまう。とにかく大嫌いだった『イチロー、スズ~キ』が今朝(16日)、日米通算安打数の世界記録を達成しました。



この記録に対しては異を唱える人もいるみたいですが実際に全世界にあるプロ野球と言うシステムの中で単純に一番多くのヒットを打ったのがイチローなのだから、これは素直に認めるべきでしょう。日本時代に売ったヒットを高校時代のヒットと揶揄ったこのお方↓↓↓



全世界にまあ何と小さな男と言うことを示してしまったようなもんでしょう。まあアメリカのみならずこの記録にはいろいろと物申したい人はいると思いますが、当のイチローはそれがどうしたみたいな反応、祝福される分にはいいけどその視線の先には更なる高みを見据えているのでしょう。世界一に未練タラタラな小さな男のことはもうほっときましょう。対して日本の御意見番ことハリさんは意外にまともな反応だったとのこと、最近はモノ言えば叩かれる張本氏ですが何かイメージを変えたいとでも思ってらっしゃるのでしょうか。
さて、初めに自分(一人称)もイチローのことを散々に書きましたが、やはり40を過ぎても頑張る姿はカッコいいですねえ、前に工藤公康氏のことを書きましたがそれと同じ感じです。イチローもここ何年かは出番もヒット数も減りもしかしたら引退・・・とまで言われていたが、出番さえ用意してもらえたらキッチリと結果を残す、やはり記録にも記憶にも残る男はさすがと言ったところです。まあニューヨークヤンキースは余程合わなかったと言うことでしょう、あのチームは駆け引きも何も関係なしにただ振り回すだけのイメージしかなかったから、そんなチームがなぜイチローを獲得したのかは分からないけど、イチローにとっては無駄な時間だった感じがします。違うチームだったらこの世界記録ももっと早く達成できていたのかも知れない。さて、そんなイチロー氏が次に狙うのはメジャー3000本安打、そんな節目も涼しい顔であっけらかんと達成してしまうのではないでしょうか。こうなりゃ何とか山本昌みたいに50まで頑張ってピートを本当に黙らせてほしいところです。


『OUR HOUSE』『ラブソング』と見ていたドラマが最終回を迎えました、共に視聴率の悪さばかりが話題になってしまったのは気の毒な事でした。そんなに作りも出来も悪くはなかったんですけどねえ、一度低視聴率と言う記号がつきまとうとマスコミの餌食になってしまい、それに合わせて「面白くない」との大合唱、視聴率と面白さを簡単に結びつけてしまう現代の風潮は本当にどうにかならんのかねえ。なんて高視聴率でもぜんぜん面白くないもんね、って言ってたらそれがニュースになってた。自分(一人称)と同じことを思っている人はいるもんなんだなあ、まあこの先面白くなりそうな兆しもあるんですけどどうなることでしょうか・・・。
特に両ドラマとも福山が悪いとか芦田さんが悪いとかエリー、じゃないシャーロットが悪いとかじゃないんだけど、『OUR HOUSE』はどうやら打ち切りだったらしく、最終回はやっつけ感ありありでした。母親が亡くなった四兄弟の下に後にやって来た新しいお母さんが外国人、それが紆余曲折を経てひとつの家族になっていく様子を描いていくと言う内容は、最初は結構面白いものだと思って見ていたのですが、最終回はいかにも予定調和と言う感じとテンションの上がらなさもあってか見ていて違和感ありあり、その辺りが残念でした。昔は同じ脚本家の『ひとつ屋根の下』などの大ヒットドラマもありましたが、現在ではもう家族もののドラマはダメになってしまったのでしょうか。
『ラブソング』、最終回は賛否両論があるところでしょうが、自分(一人称)はあれで良かったと思いました。最後に神代とさくらが顔を合わさないのはどうかと言う声もありましたが、二人をつなぐのは歌であって、さくらが離れていても歌を最後まで捨てていなかったと言うことでひとつの結末を迎えたと思いました。前にも書きましたが空一が良かったですねえ、さくらを思う気持ちは神代以上、自分(一人称)は彼にこのドラマでのMVPをあげたいですねえ。


自分(一人称)がよく見るのはNHK、朝ドラ、大河はもちろんのこと、連続ドラマ、特集ドラマ、地方発ドラマなどなのですがレベルは結構高いものばかりだと思います。ここ1週間で最終回を迎えたドラマが3本、その中でも『最後のレストラン』はなかなかな出来だったと思います。



内容は普通にあるレストランに突然今際の際の歴史上の人物が現れて、無理難題な注文を受け付けてシェフが悪戦苦闘するもの、しかし知恵を振り絞ってお客様に満足してもらえる料理を提供し、それを食べたお客様は満足して帰って行くと言うもの、扉を開けた先にはその人たちには死が待っているわけですが、皆笑顔になってその時代へと戻っていきます。第1話の織田信長に始まり、クレオパトラ、ジャンヌ・ダルク、土方歳三、マリー・アントワネット、ナポレオン、楊貴妃、坂本龍馬と来店しては料理に満足して帰って行くわけですが、ジャンヌ・ダルクだけはなぜか帰れなくてしばらく店で働くことになりました、この時は何じゃこれは・・・?と思いながら見ていたのですが、この辺りからいろいろと謎が生じてきます。
ジャンヌ役はトリンドル玲奈、『E hyphen』のイメージキャラクターを上野樹里から引き継いだ人です、なかなか可愛らしい子ですねえ、藤原紀香がライダーキックをかましていたバスガイドのドラマで先輩役をやっていたのが印象に残っています。ストーリーテラーでこのドラマのキーマンとなっていた千恵役は福田麻由子、『女王の教室』他いろいろなドラマで子役をやっていました、この子も『Q10』組でしたね。なぜこのレストランには歴史上の有名な人物がやって来て、最期が待っているのに笑顔になって帰って行くのか、その謎を担っていたのが彼女で、それは最終回で語られていました。初めは1話完結のドラマだと思っていたのが、結構ミステリーな作品に仕上がっていたのはこの二人の女優さんがカギを握っていたからだと言う感じでした。そしてもう一人、気になる人が大和田獏、常連客と言うことで役名はなく、毎回そのレストランで騒動に巻き込まれる役でした。いったい何者?と言うのは最後まで明かされず扉の外へと去っていきました、多分千恵ちゃんにとっての死神、イキガミ?、見届け人・・・と言った感じではなかったのでしょうか。それとも最後、目覚めた千恵が見ていた夢を食べるバクだったりして。


このところ自分(一人称)の周辺はいろいろとありまして、そのためにブログの更新が滞りがちになっています。少しつらい状況なのですがここは気分を晴らせる場所でもあるので、不定期になりがちでも記事は随時更新していく予定です。アクセス解析を見ると更新してない日でも多くの人(自分にとってはですよ)が寄ってくれているとのことで本当にありがたいことです。しばらくはこんな感じでの更新になると思いますが、引き続きお付き合いよろしくお願いいたします、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.508 各駅巡り・近鉄長野線(後編)

2016-06-16 03:09:34 | 鉄道
おはようございます。


ここんところ毎日ニュースを見ていても舛添舛添ばかり、結局辞めることになったんですねえ。東京都知事と言えば日本国首相よりも権限が強いと聞いたけど、結局はしょ~もない理由で辞めることになりました、ここは「オレは都知事や、何が悪いねん、続けたるわ~」と強いカリスマ性を以てでも意地を張ってほしかったですねえ。これがやったら、

「さすが、よう言うた、さすがや!」

でみんな面白がるやろうけど、舛添にはそんなカリスマ性はなかったと言うことでしょうね。どうせ下の人間なんか糸のほつれなほどのスキャンダルでも引っ張り出してきては辞任に追い込もうとするもんなので、だから政治家はタチが悪いと言うか何と言うか・・・で選挙で舛添を選んだ東京都民までもが「辞めろ辞めろ」の大絶叫、呆れて物も言えまへんわ。自分らが選んだ人を自分らの声で辞めさしてまた選挙、マスコミも喜んでまた特別番組、もう勝手にやってください。毎日毎日アホな騒動を見せられる東京都民以外の日本人が実はそう思っているんではないでしょうか。

「さあ、選挙だ!」

次に選んだ人、どうやって辞めさせるかもう今から考えときますか。自分(一人称)、別に税金が何に使われようが気になりません、納税は国民の義務ですから、その義務を果たした時点でそのお金がどう使われようが知ったことやありません。そんなのを細かく追い回して説明責任や辞任や何やかんや・・・もうこのへんにしときましょか。








近鉄長野線各駅巡り、まずは川西駅です。この線区の中では唯一の高架駅、ただしホームは1本で行き違いはできない。富田林市の中心から南へ外れた所にある駅だが、この付近には国道309号線が新旧二つの国道170号線と交わる交差点がある交通の要所であるので、車の通行を優先させる形で高架の駅となっているのだろう。駅前の坂道を上って小学校の前で左へ折れる道が東高野街道、ここからは南へ進んで次の駅に向かってみようと思います。










東高野街道は二つの国道170号線の間を通る道で、民家の間を縫うような形でくねくねと曲がりくねっている。やがて旧街道の雰囲気が漂う古い町並の中を通る道となり、その途中にあるのが次の滝谷不動駅、その名の通り滝谷不動の玄関口で毎月28日のお不動さんの日は大勢の人で賑わう駅である。更に最寄りには大学や高校もあるので通学の学生さんも多く、ホームも2面2線でほとんどの上下の電車がここで行き違うので前後の駅と比べると結構賑やかな所である。そうは言っても駅周辺は旧街道の町並と線路沿いには車が行き交うだけの国道170号線の何気ない風景でしかない所、東高野街道沿いには街道巡りの人に向けての案内をいろいろと表示していて、観光のアピールをしている姿もうかがえる・・・が写真6枚目、7枚目にあるその街道巡りの目玉ともなりうるはずの古い石の道標、その姿が横にあるごみ収集箱のせいで雰囲気がブチ壊しです、富田林市も何とか考えなかったんでしょうかねえ。








旧街道はこの先で国道170号線へと合流するので、そこからは車に注意を払いながら国道を進んで行きます。河内長野市に入ってたどり着くのが次の汐ノ宮駅、国道沿いに建つ少し洒落た感じの駅舎、ホームは1本だけで行き違いはできない。河内長野市を走る近鉄線にある駅はここ汐ノ宮駅と次の河内長野駅の二つだけ、後に取り上げる河内長野駅も今は来た電車がすぐに折り返すだけのダイヤになっているので、滝谷不動駅を出て河内長野市に入る電車はこの区間が単線なので1編成しか走ることができないことになる。まあ別にどうってことはない話だが、鉄道ファンってこういうのに結構萌えるもんじゃないんでしょうか。写真4枚目、5枚目はこの区間は無視していた東高野街道が再び国道170号線に合流してきた所、古い常夜燈と旧街道らしい町並がありますが、実はこの道の先はニュータウンの中を通る道であまりにも風情がない所なので、ここは旧街道を巡りませんでした。さあ、この先は終点河内長野駅はもう近い、前へ進んで行くことにしましょう。







河内長野駅にたどり着く手前、国道170号線から国道310号線が分岐する交差点の手前にあるのが写真1枚目にあるプレート、そこには近鉄長野線の変遷の内容が記されています。近鉄長野線は古い路線であり、その時代毎に運営される会社が変わっていった波乱万丈な歴史を経て現代に受け継がれてきた路線であると言うことでしょう。写真2枚目はその交差点、右の高架は南海高野線、以前はこの交差点と近鉄、南海が分岐する所に桜の樹があって、季節になるときれいな花が咲き誇っているのを見ることができた。



道を拡張して交差点を整備するためにこの樹が切られてしまった、自分(一人称)はいつも南海電車の車窓からその風景を眺めていたが、なくなってしまったのは誠に残念な気分だった。その代わりに交差点はきれいに整備され、車の往来もスムーズになった、ここは犠牲を払った分結果オーライと言ったところか。その交差点を右へ、南海高野線の下をくぐって先へと進むと南海河内長野駅前のバス乗場へとたどり着く、って今回は近鉄長野線がメインや、と言うことでその先の南海線の踏切を渡って隣接する近鉄河内長野駅が写真4枚目。賑やかな雰囲気の南海側とは違ってこじんまりとした駅舎だが、こちら側には高校があるので学生さんの利用が多い所である。
河内長野駅については自分(一人称)も思い出がいろいろとある駅なので、次回もう少し詳しく取り上げたいと思います。そんなわけで柏原から始まった近鉄道明寺線、長野線各駅巡りは今回で終了、次回からは南海高野線を堺東方面へ各駅を巡って走った記録をお伝えしていくこととなります。何度か話させてもらったかと思いますが、南海高野線は自分(一人称)が前に行ってた仕事でよく乗ってた(ほぼ毎日)路線、いろんな思い出がある路線です、会社を辞めて3年経ってもう高野線も許してくれたかな・・・と自分勝手に解釈して各駅を、今回は三国ケ丘駅まで巡りました。さて、その顛末をどのようにお伝えししていこうか、自分(一人称)も楽しみながら考え中と言ったところです。初めの部分で少し感情的な文章を披露してしまったことをお許しください、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。          まちみち


No.507 岐阜の旅・・・関市

2016-06-15 09:05:28 | 旅行記
おはようございます。





岐阜の旅もいよいよ終盤戦、岐阜市内から名鉄美濃町線廃線跡をたどりながら進んで関市へと入って来ました。






一時は見失っていた廃線跡をやっと見つけてたどり着いたのが写真1枚目、2枚目にある道標が立つ所、写真にあるように国道156号線が郡上方面へ、国道248号線が飛騨方面へと分岐する重要なポイントであることがうかがえる。美濃へはそのまま真っ直ぐ国道156号線を行けばすぐなのだが、廃線跡はここで90度進行方向を東へと変えて関市の中心部へと向かっているので、それに合わせて進んで行くことにする。市の中心部に差し掛かるに当たってその風景も変わってきて廃線跡もどこかへ行ってしまったのか場所が分からなくなってしまう。町中の賑やかな辺りに入ってくると国道248号線が美濃加茂方面へと分かれていき、真っ直ぐに伸びている道をそのまま進むと踏切へとたどり着く。地図で確認すると長良川鉄道の関駅に行くにはこの踏切を越えて遠回りとなるので、ここは名鉄の廃線跡を探すためにこの道を外れて行く。写真3枚目、4枚目にある民家の間を縫うように緩やかにカーブしているのが廃線跡、ここを先へと進んで行くと関駅へとたどり着く。









写真にあるのは長良川鉄道関駅の風景、廃線跡を進んでたどり着いた場所はこの駅に隣接する所にあったのだろうが、そこはもう更地になっていてホームの跡も残ってない様だった。駅の側にある踏切を渡って駅舎のある場所へ、市の中心となる駅だがシンプルで小さな駅舎はさっき列車を送り出したばかりでひっそりとしている。中を通り過ぎてホームへと入る、さっき裏側からチラッと見えたホームだが中から見ると結構大きな駅と言う感じがする。向こうのホームや車庫にはいろいろな車両が停まっていて、ここが一大ポイントとなる駅なのだと言うことがうかがえる。
関駅には前に一度来たことがある、前にもお伝えした岐阜市内から長良川沿いを走って来た時のことですが、どうもその時の記憶があまりないんだよなあ。駅舎の写真があったので確かにここに寄っているのは確かなんだが、町の様子もほとんど覚えていない、そんなに印象に残らない旅ではなかったはずなんですけどねえ・・・、その時はここから美濃加茂方面へと向けて、更に可児、明治村方面へと走ったんだった。さて、今回の走りも終盤を迎えてそろそろ帰りの心配もしなければならないところ、電車賃を抑えたいなら前回と同じように美濃加茂方面へ進むべきなのだが、せっかくここまで来たことだし名鉄線廃線跡巡りもここで終わったら中途半端だ、やはりここはこの先美濃市まで行くべきだろう、と言うか今回の最終目的地が美濃市なんだからもちろん行くべきである。これを逃すと今度はいつ来ることができるのかもわからない、と言うことで美濃市まではここから10キロ程先、早速行ってみることとしよう。







ここはもう廃線跡にはこだわらず、一目散に美濃市を目指すことにする。どうやら帰りは美濃市駅から輪行となりそうだ、初めての長良川鉄道、それはそれで楽しみなことである。風景は山が近くに見えるのどかな風景が続き、だんだん町から遠ざかって行く気がして少し不安な気になってくる。写真1枚目、ありましたなあ、こういう看板、昔住んでた所にもよく見かけました、懐かしい気分にさせてくれた一幕でした。やがて美濃市へと入る、その入口にある市の表示の看板、なるほど「の」の字が三つ、それで「みの」か・・・ってただの語呂合わせか、ちなみに最近よく見るのが三つ続く名前のタレントさんとは何の関係もありません。







美濃市をディープに巡るのは次回でのお伝えとしておきます、今回最後にお送りするのは上の写真にある旧名鉄美濃駅駅舎とホームの風景。ただこの日は工事中だったので内部の様子は少し雑然としていて見ることができない車両もありました、う~ん、何とも残念な気分・・・。でも何かいい風景ですねえ、静かな町の一角にたたずむようにあった駅舎と小さな電車、それが停まるホーム、やっぱりこういうのを見ると残すことができなかったのかなと言う気になってしまいます。しかし関~美濃間は完全に長良川鉄道との競合路線、名鉄としてはやはり部が悪かったんでしょうか。ちなみにこの駅舎は登録有形文化財に指定されているとのことで、ありますねえ、駅舎の入口の横にあのプレートが。まあ鉄道が好きな人が訪れる分にもいい美濃市ですが、この町にはいろいろな見所があるとのことで、観光協会で手にしたマップを片手に古い町並を巡って行ってみることとしましょう。その話は次回でのお送りと言うことで、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.506 滋賀の旅春編(6)・草津宿

2016-06-13 12:08:31 | 旅行記
おはようございます。





滋賀の旅春編はここまで琵琶湖の西側、JR湖西線に沿って走って来ましたが、堅田の町並を巡った後は琵琶湖大橋を渡って守山市へと入ります。橋を渡り終えてから中山道までが遠いんやなあ~、この区間は目にも走りにも退屈な所、まだこの先消化しておきたい予定もあるのだが、日も傾きかけてきて刻一刻と過ぎる時間に焦りも出てくる辺り、とは言っても自分(一人称)のペースは崩さずに進んで行きたいところです。







ここは素直に守山の市街地には入らず、道を斜め斜めへと駒を進めて栗東市へと入る、ショートカットしたつもりだが実際には距離も時間も左程素直に走っていても変わらないところだ。守山宿は古い町並や道標など見所が多い所で寄ってみたい気もしたのだが、今回は時間の都合で断念、またの機会の宿題としておこう。中山道への合流はJR栗東駅近くの交差点から、それが写真1枚目、糸へんに巻と書いて「綣」、「heso」と読む変わった地名である。この辺りにひとつ登録有形文化財物件の家屋があるのだが表示が掲げられてないのでどこか見つけることができなかった。道はこの先中山道と言っても旧街道の雰囲気はまるで感じることは出来ない普通の住宅地の中を通り過ぎて、やがて左横にJR東海道本線の線路が沿ってきて、その線路を途中でくぐって草津宿へと差し掛かって行く。ややっ、ここでも飛び出し0系がお出迎えですか、しかしよく見ると片腕がなくなってしまっています、なんて痛ましいこと・・・









中山道は町中の細い道となり、JR草津駅付近は車と歩行者が入り混じって走りにくい所、そこを過ぎるとアーケード通りの商店街へと入り、天井川の下を過ぎると写真1枚目の道標が立つ場所へとたどり着く。草津宿の中心部、ここは旧街道巡りではポイントとなる所で、東海道と中山道の分岐点となっているいわゆる追分と言う場所である。分岐点はいつでも人で賑わう所、あちらへ行く人、こちらから来た人が集う雰囲気は今でいう乗換駅と同じようなもの。京から来た人はこの先の旅路に思いを馳せ、京へ行く人はここで最後のひと踏ん張りを誓った所だろう、そんな旅人を迎えたのは写真2枚目、3枚目にある草津宿本陣、そしてその界隈に軒を為す宿場町である。写真4枚目以降にあるのは本陣の斜め向かいにある商店、登録有形文化財物件であるが、建物は江戸時代からあるものだとのことで、往時の街道風景を見続けてきたのだろう。この付近は旧街道の雰囲気が漂う町並が続いているが、登録有形文化財もいくつか見つけることができる所、そんな草津の町をゆっくりと巡って行ってみることとしましょう。












写真1枚目~3枚目は旧街道から少し外れた所にある料亭、まあコンビニ弁当で十分な自分(一人称)には縁も何もあったもんじゃない所です。明治時代からあったとのことで、店前の説明が書かれた板の袂にはいつものプレートが掲げられている。付近の狭い通りをくぐり抜けて再び旧東海道へ、さっきの本陣のあった場所からはそんなに離れていないが人の通りは結構あって賑やか、車も少し迷惑な感じで走っている、多分自転車も迷惑がられてんだろうな。町並は自分(一人称)がいつも少し否定的に書いてしまう観光に走ったような感じで、建物も旧街道の宿場町を意識した造りのものばかり、かと言ってたまにポツンと現れる町の中に生き残った感じの店や建物もあり、決して地元の人たちを蔑ろにしているわけではない。最後の2枚の写真にある建物はこの宿場町の終わりの辺りにある建物で、これも国の登録有形文化財、どんな所なのかは写真を見るとシャッターが閉まっていて分からないので、こちらをご覧いただくこととしておきましょう、自分(一人称)はここがこうだとかああだとか説明するのが苦手なので、いつもこんな感じで人任せになってしまうのですがご了承ください。
さて、これにて草津宿巡りはおしまい、ゆっくりと巡って行こうと思ったのですが、結局旧街道筋を右を見て左を見てハイ終わり、と言う感じで通り過ぎて行ってしまいました。時間は午後3時に差し掛かろうとしている頃で、そろそろ旅の終わりも考えなければならない頃に近づいてきているが、一応今日の最終目標は大津市内の登録有形文化財巡り、ここまで来たら何とかその予定はクリアして帰りたいところです。次回はその大津までの道のり、定番の旧東海道を走った記録をお送りしていこうと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.505 「庚申」って何?

2016-06-11 11:49:19 | チョイ走
おはようございます。





さて、この人は誰でしょう?



ご存知、小林隆さんと言う俳優さんです。ドラマ『古畑任三郎』では向島君役でイチローのお兄さんでした、イメージとしてはオールマイティな脇役、三谷幸喜にいいように扱われる人と言う感じなのですが・・・ってそんな話ではない。写真に名前が出ていますやん、この人は片桐且元と言う人です、現在放送中の『真田丸』では豊臣秀吉にいいように扱われています。
この片桐且元という武将、どのような人だったかはwikiをご覧いただくとして、奈良には結構所縁のある人、関ヶ原の戦い以降は大和国竜田藩、今で言うと王寺付近の辺り、の藩主を務めていました。その弟、片桐貞隆が藩主を務めていたのが大和国小泉藩、今で言うとJR大和小泉駅付近に当たる場所ですが今回はその辺りを巡ってみようと思います。








斑鳩町と奈良市を結ぶ県道9号線、三重塔がすぐそばに見える法起寺からすぐに大和郡山市に入りそのまま進むと交差点を過ぎた所で上り坂となる。その上り坂の途中に小さな交差点があり、そこを右に曲がると写真1枚目にある重厚そうな壁がつたう狭い通りに入る、ここは小泉陣屋と呼ばれるいわゆる片桐家所有の住宅だが、その表門の前を少し先に行くと写真3枚目、池の横に城郭風の建物が見える場所へとたどり着く。更に近辺を進んで行くと写真5枚目にある「片桐城址」の碑も見られる、この辺りが片桐城、小泉城のあった場所だと思われる。付近は少し小高い場所で普通の住宅地が密集した所、道は国道25号線からは相当離れているがここが龍田越え奈良街道で、ここを先へと進んで行くと富雄川に沿って通っている県道の交差点を越えてJR大和小泉駅へとたどり着くことができる。







その富雄川に出る手前にあるのが写真1枚目の常夜燈、この手前に直角に折れる道があり、地元の小さな商店街と言った感じのその道を入って行くと写真2枚目、3枚目にある寺院にたどり着く。道から見ると真正面に見えるからここが突き当りのように見えるが、道はここで少しだけ左へと折れ曲がっていて、その先は県道9号線、慈光院方面へと続いている。その道が折れ曲がっている所、寺院の片隅に当たる場所にあるのが写真4枚目にある道路元標、石が剥き出しになって斜めに傾いている姿は少し邪険に扱われているのかな、と言う感じ、そこには「片桐村道路元標」と刻まれている。この片桐村と言う地名は片桐家と関係しているのだろう、この付近は大和郡山市域の西側に当たりここは昔は生駒郡片桐村と呼ばれた所、その地名は大和郡山市に編入された際に消滅してしまったが片桐という名は学校やバス停や支所など、この付近至る所で見ることができる。












門をくぐって寺院の境内に入ってみる、東側は少し小高い位置に自転車道がありその向こうには富雄川の流れ、お寺は周囲の町並と同じようにひっそりとしていて人の姿は誰も見かけない。この界隈でよく見かける「庚申」の文字、この寺院、金輪院が大和国の庚申信仰の総道場として知られている・・・なんてwikiに書いていることをそのまま書き写してますが、そもそも「庚申」って何?まあ分かりやすく言えば甲子園の「甲子」とか「丙午」とかと同じ類のものです。ドラマ『鹿男あをによし』で藤原君が説明しているシーンでも出てきました、十二支である「子丑寅卯・・・」と十干である「甲乙丙丁・・・」の組み合わせにより60年に1度巡ってくる干支のひとつである。六十干支の表を見ていると最近話題の元素周期表を連想してしまうがそれはそうとして、ではその中にある庚申と言うのはどのような年に当たるのか、これもwikiからそのまま書き写し↓↓↓

「庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。」

更に、「申」が猿と結びついていると言うことで猿が庚申のつかいとされ、庚申塔には三猿が祭られているのは



この写真でもお馴染み、奈良町の庚申堂での風景です、この付近でよく見かける身代わり猿と言うのもここから来ている物だと思われるのですが・・・何か今回はこのブログをまとめながら、自分自身がいろいろと勉強させてもらった感じでした。まあ毎回いい加減なことばかり書いてるわけにもいかないですからね、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち