おはようございます。
ここんところ毎日ニュースを見ていても舛添舛添ばかり、結局辞めることになったんですねえ。東京都知事と言えば日本国首相よりも権限が強いと聞いたけど、結局はしょ~もない理由で辞めることになりました、ここは「オレは都知事や、何が悪いねん、続けたるわ~」と強いカリスマ性を以てでも意地を張ってほしかったですねえ。これがやったら、
「さすが、よう言うた、さすがや!」
でみんな面白がるやろうけど、舛添にはそんなカリスマ性はなかったと言うことでしょうね。どうせ下の人間なんか糸のほつれなほどのスキャンダルでも引っ張り出してきては辞任に追い込もうとするもんなので、だから政治家はタチが悪いと言うか何と言うか・・・で選挙で舛添を選んだ東京都民までもが「辞めろ辞めろ」の大絶叫、呆れて物も言えまへんわ。自分らが選んだ人を自分らの声で辞めさしてまた選挙、マスコミも喜んでまた特別番組、もう勝手にやってください。毎日毎日アホな騒動を見せられる東京都民以外の日本人が実はそう思っているんではないでしょうか。
「さあ、選挙だ!」
次に選んだ人、どうやって辞めさせるかもう今から考えときますか。自分(一人称)、別に税金が何に使われようが気になりません、納税は国民の義務ですから、その義務を果たした時点でそのお金がどう使われようが知ったことやありません。そんなのを細かく追い回して説明責任や辞任や何やかんや・・・もうこのへんにしときましょか。
近鉄長野線各駅巡り、まずは川西駅です。この線区の中では唯一の高架駅、ただしホームは1本で行き違いはできない。富田林市の中心から南へ外れた所にある駅だが、この付近には国道309号線が新旧二つの国道170号線と交わる交差点がある交通の要所であるので、車の通行を優先させる形で高架の駅となっているのだろう。駅前の坂道を上って小学校の前で左へ折れる道が東高野街道、ここからは南へ進んで次の駅に向かってみようと思います。
東高野街道は二つの国道170号線の間を通る道で、民家の間を縫うような形でくねくねと曲がりくねっている。やがて旧街道の雰囲気が漂う古い町並の中を通る道となり、その途中にあるのが次の滝谷不動駅、その名の通り滝谷不動の玄関口で毎月28日のお不動さんの日は大勢の人で賑わう駅である。更に最寄りには大学や高校もあるので通学の学生さんも多く、ホームも2面2線でほとんどの上下の電車がここで行き違うので前後の駅と比べると結構賑やかな所である。そうは言っても駅周辺は旧街道の町並と線路沿いには車が行き交うだけの国道170号線の何気ない風景でしかない所、東高野街道沿いには街道巡りの人に向けての案内をいろいろと表示していて、観光のアピールをしている姿もうかがえる・・・が写真6枚目、7枚目にあるその街道巡りの目玉ともなりうるはずの古い石の道標、その姿が横にあるごみ収集箱のせいで雰囲気がブチ壊しです、富田林市も何とか考えなかったんでしょうかねえ。
旧街道はこの先で国道170号線へと合流するので、そこからは車に注意を払いながら国道を進んで行きます。河内長野市に入ってたどり着くのが次の汐ノ宮駅、国道沿いに建つ少し洒落た感じの駅舎、ホームは1本だけで行き違いはできない。河内長野市を走る近鉄線にある駅はここ汐ノ宮駅と次の河内長野駅の二つだけ、後に取り上げる河内長野駅も今は来た電車がすぐに折り返すだけのダイヤになっているので、滝谷不動駅を出て河内長野市に入る電車はこの区間が単線なので1編成しか走ることができないことになる。まあ別にどうってことはない話だが、鉄道ファンってこういうのに結構萌えるもんじゃないんでしょうか。写真4枚目、5枚目はこの区間は無視していた東高野街道が再び国道170号線に合流してきた所、古い常夜燈と旧街道らしい町並がありますが、実はこの道の先はニュータウンの中を通る道であまりにも風情がない所なので、ここは旧街道を巡りませんでした。さあ、この先は終点河内長野駅はもう近い、前へ進んで行くことにしましょう。
河内長野駅にたどり着く手前、国道170号線から国道310号線が分岐する交差点の手前にあるのが写真1枚目にあるプレート、そこには近鉄長野線の変遷の内容が記されています。近鉄長野線は古い路線であり、その時代毎に運営される会社が変わっていった波乱万丈な歴史を経て現代に受け継がれてきた路線であると言うことでしょう。写真2枚目はその交差点、右の高架は南海高野線、以前はこの交差点と近鉄、南海が分岐する所に桜の樹があって、季節になるときれいな花が咲き誇っているのを見ることができた。
道を拡張して交差点を整備するためにこの樹が切られてしまった、自分(一人称)はいつも南海電車の車窓からその風景を眺めていたが、なくなってしまったのは誠に残念な気分だった。その代わりに交差点はきれいに整備され、車の往来もスムーズになった、ここは犠牲を払った分結果オーライと言ったところか。その交差点を右へ、南海高野線の下をくぐって先へと進むと南海河内長野駅前のバス乗場へとたどり着く、って今回は近鉄長野線がメインや、と言うことでその先の南海線の踏切を渡って隣接する近鉄河内長野駅が写真4枚目。賑やかな雰囲気の南海側とは違ってこじんまりとした駅舎だが、こちら側には高校があるので学生さんの利用が多い所である。
河内長野駅については自分(一人称)も思い出がいろいろとある駅なので、次回もう少し詳しく取り上げたいと思います。そんなわけで柏原から始まった近鉄道明寺線、長野線各駅巡りは今回で終了、次回からは南海高野線を堺東方面へ各駅を巡って走った記録をお伝えしていくこととなります。何度か話させてもらったかと思いますが、南海高野線は自分(一人称)が前に行ってた仕事でよく乗ってた(ほぼ毎日)路線、いろんな思い出がある路線です、会社を辞めて3年経ってもう高野線も許してくれたかな・・・と自分勝手に解釈して各駅を、今回は三国ケ丘駅まで巡りました。さて、その顛末をどのようにお伝えししていこうか、自分(一人称)も楽しみながら考え中と言ったところです。初めの部分で少し感情的な文章を披露してしまったことをお許しください、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
ここんところ毎日ニュースを見ていても舛添舛添ばかり、結局辞めることになったんですねえ。東京都知事と言えば日本国首相よりも権限が強いと聞いたけど、結局はしょ~もない理由で辞めることになりました、ここは「オレは都知事や、何が悪いねん、続けたるわ~」と強いカリスマ性を以てでも意地を張ってほしかったですねえ。これがやったら、
「さすが、よう言うた、さすがや!」
でみんな面白がるやろうけど、舛添にはそんなカリスマ性はなかったと言うことでしょうね。どうせ下の人間なんか糸のほつれなほどのスキャンダルでも引っ張り出してきては辞任に追い込もうとするもんなので、だから政治家はタチが悪いと言うか何と言うか・・・で選挙で舛添を選んだ東京都民までもが「辞めろ辞めろ」の大絶叫、呆れて物も言えまへんわ。自分らが選んだ人を自分らの声で辞めさしてまた選挙、マスコミも喜んでまた特別番組、もう勝手にやってください。毎日毎日アホな騒動を見せられる東京都民以外の日本人が実はそう思っているんではないでしょうか。
「さあ、選挙だ!」
次に選んだ人、どうやって辞めさせるかもう今から考えときますか。自分(一人称)、別に税金が何に使われようが気になりません、納税は国民の義務ですから、その義務を果たした時点でそのお金がどう使われようが知ったことやありません。そんなのを細かく追い回して説明責任や辞任や何やかんや・・・もうこのへんにしときましょか。
近鉄長野線各駅巡り、まずは川西駅です。この線区の中では唯一の高架駅、ただしホームは1本で行き違いはできない。富田林市の中心から南へ外れた所にある駅だが、この付近には国道309号線が新旧二つの国道170号線と交わる交差点がある交通の要所であるので、車の通行を優先させる形で高架の駅となっているのだろう。駅前の坂道を上って小学校の前で左へ折れる道が東高野街道、ここからは南へ進んで次の駅に向かってみようと思います。
東高野街道は二つの国道170号線の間を通る道で、民家の間を縫うような形でくねくねと曲がりくねっている。やがて旧街道の雰囲気が漂う古い町並の中を通る道となり、その途中にあるのが次の滝谷不動駅、その名の通り滝谷不動の玄関口で毎月28日のお不動さんの日は大勢の人で賑わう駅である。更に最寄りには大学や高校もあるので通学の学生さんも多く、ホームも2面2線でほとんどの上下の電車がここで行き違うので前後の駅と比べると結構賑やかな所である。そうは言っても駅周辺は旧街道の町並と線路沿いには車が行き交うだけの国道170号線の何気ない風景でしかない所、東高野街道沿いには街道巡りの人に向けての案内をいろいろと表示していて、観光のアピールをしている姿もうかがえる・・・が写真6枚目、7枚目にあるその街道巡りの目玉ともなりうるはずの古い石の道標、その姿が横にあるごみ収集箱のせいで雰囲気がブチ壊しです、富田林市も何とか考えなかったんでしょうかねえ。
旧街道はこの先で国道170号線へと合流するので、そこからは車に注意を払いながら国道を進んで行きます。河内長野市に入ってたどり着くのが次の汐ノ宮駅、国道沿いに建つ少し洒落た感じの駅舎、ホームは1本だけで行き違いはできない。河内長野市を走る近鉄線にある駅はここ汐ノ宮駅と次の河内長野駅の二つだけ、後に取り上げる河内長野駅も今は来た電車がすぐに折り返すだけのダイヤになっているので、滝谷不動駅を出て河内長野市に入る電車はこの区間が単線なので1編成しか走ることができないことになる。まあ別にどうってことはない話だが、鉄道ファンってこういうのに結構萌えるもんじゃないんでしょうか。写真4枚目、5枚目はこの区間は無視していた東高野街道が再び国道170号線に合流してきた所、古い常夜燈と旧街道らしい町並がありますが、実はこの道の先はニュータウンの中を通る道であまりにも風情がない所なので、ここは旧街道を巡りませんでした。さあ、この先は終点河内長野駅はもう近い、前へ進んで行くことにしましょう。
河内長野駅にたどり着く手前、国道170号線から国道310号線が分岐する交差点の手前にあるのが写真1枚目にあるプレート、そこには近鉄長野線の変遷の内容が記されています。近鉄長野線は古い路線であり、その時代毎に運営される会社が変わっていった波乱万丈な歴史を経て現代に受け継がれてきた路線であると言うことでしょう。写真2枚目はその交差点、右の高架は南海高野線、以前はこの交差点と近鉄、南海が分岐する所に桜の樹があって、季節になるときれいな花が咲き誇っているのを見ることができた。
道を拡張して交差点を整備するためにこの樹が切られてしまった、自分(一人称)はいつも南海電車の車窓からその風景を眺めていたが、なくなってしまったのは誠に残念な気分だった。その代わりに交差点はきれいに整備され、車の往来もスムーズになった、ここは犠牲を払った分結果オーライと言ったところか。その交差点を右へ、南海高野線の下をくぐって先へと進むと南海河内長野駅前のバス乗場へとたどり着く、って今回は近鉄長野線がメインや、と言うことでその先の南海線の踏切を渡って隣接する近鉄河内長野駅が写真4枚目。賑やかな雰囲気の南海側とは違ってこじんまりとした駅舎だが、こちら側には高校があるので学生さんの利用が多い所である。
河内長野駅については自分(一人称)も思い出がいろいろとある駅なので、次回もう少し詳しく取り上げたいと思います。そんなわけで柏原から始まった近鉄道明寺線、長野線各駅巡りは今回で終了、次回からは南海高野線を堺東方面へ各駅を巡って走った記録をお伝えしていくこととなります。何度か話させてもらったかと思いますが、南海高野線は自分(一人称)が前に行ってた仕事でよく乗ってた(ほぼ毎日)路線、いろんな思い出がある路線です、会社を辞めて3年経ってもう高野線も許してくれたかな・・・と自分勝手に解釈して各駅を、今回は三国ケ丘駅まで巡りました。さて、その顛末をどのようにお伝えししていこうか、自分(一人称)も楽しみながら考え中と言ったところです。初めの部分で少し感情的な文章を披露してしまったことをお許しください、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
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