まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.505 「庚申」って何?

2016-06-11 11:49:19 | チョイ走
おはようございます。





さて、この人は誰でしょう?



ご存知、小林隆さんと言う俳優さんです。ドラマ『古畑任三郎』では向島君役でイチローのお兄さんでした、イメージとしてはオールマイティな脇役、三谷幸喜にいいように扱われる人と言う感じなのですが・・・ってそんな話ではない。写真に名前が出ていますやん、この人は片桐且元と言う人です、現在放送中の『真田丸』では豊臣秀吉にいいように扱われています。
この片桐且元という武将、どのような人だったかはwikiをご覧いただくとして、奈良には結構所縁のある人、関ヶ原の戦い以降は大和国竜田藩、今で言うと王寺付近の辺り、の藩主を務めていました。その弟、片桐貞隆が藩主を務めていたのが大和国小泉藩、今で言うとJR大和小泉駅付近に当たる場所ですが今回はその辺りを巡ってみようと思います。








斑鳩町と奈良市を結ぶ県道9号線、三重塔がすぐそばに見える法起寺からすぐに大和郡山市に入りそのまま進むと交差点を過ぎた所で上り坂となる。その上り坂の途中に小さな交差点があり、そこを右に曲がると写真1枚目にある重厚そうな壁がつたう狭い通りに入る、ここは小泉陣屋と呼ばれるいわゆる片桐家所有の住宅だが、その表門の前を少し先に行くと写真3枚目、池の横に城郭風の建物が見える場所へとたどり着く。更に近辺を進んで行くと写真5枚目にある「片桐城址」の碑も見られる、この辺りが片桐城、小泉城のあった場所だと思われる。付近は少し小高い場所で普通の住宅地が密集した所、道は国道25号線からは相当離れているがここが龍田越え奈良街道で、ここを先へと進んで行くと富雄川に沿って通っている県道の交差点を越えてJR大和小泉駅へとたどり着くことができる。







その富雄川に出る手前にあるのが写真1枚目の常夜燈、この手前に直角に折れる道があり、地元の小さな商店街と言った感じのその道を入って行くと写真2枚目、3枚目にある寺院にたどり着く。道から見ると真正面に見えるからここが突き当りのように見えるが、道はここで少しだけ左へと折れ曲がっていて、その先は県道9号線、慈光院方面へと続いている。その道が折れ曲がっている所、寺院の片隅に当たる場所にあるのが写真4枚目にある道路元標、石が剥き出しになって斜めに傾いている姿は少し邪険に扱われているのかな、と言う感じ、そこには「片桐村道路元標」と刻まれている。この片桐村と言う地名は片桐家と関係しているのだろう、この付近は大和郡山市域の西側に当たりここは昔は生駒郡片桐村と呼ばれた所、その地名は大和郡山市に編入された際に消滅してしまったが片桐という名は学校やバス停や支所など、この付近至る所で見ることができる。












門をくぐって寺院の境内に入ってみる、東側は少し小高い位置に自転車道がありその向こうには富雄川の流れ、お寺は周囲の町並と同じようにひっそりとしていて人の姿は誰も見かけない。この界隈でよく見かける「庚申」の文字、この寺院、金輪院が大和国の庚申信仰の総道場として知られている・・・なんてwikiに書いていることをそのまま書き写してますが、そもそも「庚申」って何?まあ分かりやすく言えば甲子園の「甲子」とか「丙午」とかと同じ類のものです。ドラマ『鹿男あをによし』で藤原君が説明しているシーンでも出てきました、十二支である「子丑寅卯・・・」と十干である「甲乙丙丁・・・」の組み合わせにより60年に1度巡ってくる干支のひとつである。六十干支の表を見ていると最近話題の元素周期表を連想してしまうがそれはそうとして、ではその中にある庚申と言うのはどのような年に当たるのか、これもwikiからそのまま書き写し↓↓↓

「庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。」

更に、「申」が猿と結びついていると言うことで猿が庚申のつかいとされ、庚申塔には三猿が祭られているのは



この写真でもお馴染み、奈良町の庚申堂での風景です、この付近でよく見かける身代わり猿と言うのもここから来ている物だと思われるのですが・・・何か今回はこのブログをまとめながら、自分自身がいろいろと勉強させてもらった感じでした。まあ毎回いい加減なことばかり書いてるわけにもいかないですからね、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち