まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.630 中ツ道、橘街道

2016-12-16 09:02:38 | みち
おはようございます。











平城京と明日香を結ぶ道として古くからあった3本の幹線、上ツ道、中ツ道、下ツ道とあるのですが、上ツ道、下ツ道はここでも何度も取り上げてきたように知名度があるのに比べると、中ツ道はどうも地味でここでもあまり取り上げたことがありません。ちなみに2つの道はワープロでは一発変換できるが、「nakatsumichi」だけは変換できません、何かな~不憫やあ・・・。さて、この道は自分(一人称)が一番よく利用する道なのですが、それは明日香まで走り通すためではなく、途中で折れて桜井方面に向かう時や、天理から帰る時に使うとかで、この道を南まで走り通すことはほとんどありません。そのわけは走り通さないと言うよりも走り通せないため、中ツ道は途中で途切れてしまって畦道のような所を折れて折れてを切り返し行かなければならないから、歴史のある道なのですがその扱いは他の2つの道に比べると、やっぱりあまりにも不憫です。
大和郡山市に入った所で県道から分かれた道には、近年「橘街道」という愛称がつけられて、この道を花で飾ろうと言う計画があるようです、この前もその一環となる働きかけがあったとのニュースもありました。でも特別人の手をかけることをしなくても、上の写真にあるように旧街道の雰囲気を感じることができる風景は十分に見ることができます。町並が途絶えると田園風景が広がり進行方向左手前方には三輪山、後方には若草山、右手前方には金剛葛城の山並、正面には二上山、後方には生駒山と県内ほとんどの奈良盆地から見える山を臨むことができる、本当にいい道なんですけどねえ・・・。










天理市内に入ってものどかな風景は続き、所々で旧街道を思わせる道標や常夜燈を見ることができる。田園風景に集落にと風景の変わり具合を見ながら先を進んで行くと田原本町へと入るが、中ツ道は最後の写真にある集落を抜けた所、展望が開けて大和三山が見えてきた所で真っ直ぐに進むことができなくなってしまう。仕方がないのでここからは車がやっと通れるくらいの細い道を折れて折れての繰り返しで南へと進んで行く、本来中ツ道が通っていた場所からは大きく外れてしまって位置が分からなくなってしまう。目印となるのは耳成山、道は真正面に耳成山へと向かっているので、この山を前方に見るように道を手繰っていけば何とかなるはず、とりあえず進んで行ってみましょう。








田原本と桜井を結ぶ県道の少し手前で中ツ道は再び姿を現す、その目印となるのが写真1枚目にある道標、これを見つけると道は間違えてなかったな、とホッとする。県道を過ぎると旧街道の雰囲気を漂わせている町並、正面には耳成山が大きく見えてくる、この辺りはもう藤原京に入っているはず、ここに都があったことを思わせる道も風景も雰囲気も感じられない普通の住宅地だが、耳成山はずっと変わらなくこの位置で古代からの歴史の流れを見てきたのだろう。近鉄耳成駅前を通り過ぎると間もなく横大路との交差点、ここは前にも紹介した所で、ここまで地味な存在でしかなかった中ツ道はこの先からは藤原京の真ん中を貫く幹線として明日香へと向かって行きます。










さて、上記の中ツ道を走ったのとは別の日に桜井方面を走った時のこと。最初の方で「橘街道」の話をしましたが、写真1枚目に橘街道と書かれた道標があります、もうひとつは伊勢街道=横大路のこと・・・となると橘街道はいつの間にか中ツ道とは別の道となっているのか?との疑問が。ちょうど奈良へ帰る時だったので、この疑問にひかれてこの「橘街道」と呼ばれている道を走ってみることにしました。まずは近鉄大福駅、中ツ道が隣の駅なのでその場所よりは結構東を通っている、更に道なりに北の方へと進んで行って県道を越えると、写真3枚目~5枚目にある古い町並の中を通る。趣のある町並だがもちろんここは中ツ道ではない、更に北へと進むとさっきの中ツ道が途切れてしまう所の近くを流れる大和川の支流が沿う道へとたどり着く。沿道は整備された公園がいくつかあって市民の憩いの場と言った感じ、その道は田原本町に入った所で中ツ道と合流する、どうやら中ツ道は途中で途切れてしまうこともあってか、橘街道と言う名前をこちら側の川沿いの道に譲ってしまったかのようだ、やっぱり不憫な存在なのか、中ツ道・・・。この道に関しては新しい発見だったので、橘街道巡りとしてまた機会を設けて走ってみようと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち






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