まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.907 京街道守口宿

2018-03-03 22:22:51 | みち
おはようございます。














京街道を枚方から大阪へと向かっています、前回は淀川に沿って自転車道を走りました、あの忌々しい黒柳徹子の頭のようなゲートに悩まされながら走り抜けて守口市へと入りました。淀川を離れ町中をくぐり抜けるように進んで市の中心部へと向かって行く、写真1枚目、交通量の激しい国道1号線の交差点、ここの横断歩道を渡って国道から斜めに分かれている旧街道らしい狭い道へと入って行く、この道が旧京街道に当たる。道は国道より少しだけ小高い所となっていて周辺は市の中心部であるのにこの道沿いは静かで旧街道の雰囲気が漂う町並を見ることもできる。写真4枚目にあるのは道端に立つ小さな道標、そこには「なら、のざき」の文字がある、その次の5枚目の写真にある石段がここから分岐する守口街道に当たり、この先古堤街道へと通じて奈良まで行くことができる。道は先に進むにつれて守口市の中心地、京阪守口市駅の近くへと迫って行くが、京阪線と国道1号線に挟まれて賑やかであろうと思う場所のはずが、この界隈だけはまるで時間の流れが変わってしまったかのような穏やかな雰囲気、車の通りは普通にあるものの旧街道の雰囲気が漂う町並は周辺を取り巻く四角いビル喗からポカッと浮き上がったかのような感じだ。











写真2枚目にあるのは京阪守口市駅、写真を見ても分かる通り普通に大きな駅前の光景をこの道から見ることができる。さすがにこの辺りとなると歓楽街と言う感じで旧街道にはふさわしくない風景が繰り広げられていく。この道は「文禄堤」と言う名で、枚方からこの地を通って大阪市内まで続いていた淀川の堤防だった道の名残である、前回走った淀川沿いの自転車道から左に1段低くなった非舗装の道がここまで続いていることになる。と言うことはこの道の右側、国道1号線が通っている辺りが元は淀川の流れがあった所となるのか、その辺りはちょっとわからないが、豊臣秀吉が諸大名に命じて淀川の改修工事を行って整備された道が、京と大阪を結ぶ大動脈となったと言うことである。東海道は江戸日本橋から始まって53の宿場町を通り過ぎて京の三条大橋までとなっているが、大津市の逢坂の関を過ぎて山科へと入る手前の追分で左へと分かれて、その後この京街道を通って大阪まで至るルートとして認識されている。大津市で分かれた道はその後、伏見、淀、枚方と宿場町を通り過ぎ、通算57番目、大阪までの東海道の最後の宿場町がこの守口、写真4枚目にあるのぼりはそのことを示しているものである。守口市と言うと大阪市から一番近いベッドタウン、パナソニックの本社、京阪電車、中川家・・・などのイメージ、どちらかと言うと都会的であまり目立つような存在ではないと言う感じだったが、ここが宿場町だったと言うことでその見方も変わってきた、大阪府内にもたくさんの旧街道があって所々では古い町並を通り過ぎることも多い、都心に建ち並ぶ無味乾燥な高層ビルを尻目にそんな旧街道を巡るのもまた楽しいことである。










守口の中心地から離れると普通の住宅街を抜けて行く、この辺りはあまりにも普通過ぎる風景で本当にこの道で合ってるのか不安にもなってくる。街道巡りの目安となるとやっぱり古い町並が一番わかりやすいが、ここまで都心に近くなってくるとそんな町並もほとんど見かけなくなってくる、となるとここで頼りにしたいのが商店街、写真1枚目にあるのは京阪千林駅近くのアーケード商店街、写真を見ても分かるとおり先の方が少しうねったようにカーブしている辺りが旧街道らしい。このアーケードを抜ける処にはここが京街道のルートであることを示す大きな説明の看板があり、アーケードを抜けた後に続く商店街にも「京かい道」と書かれた街灯の柱が立っている。道はこの先も国道1号線を沿うように続いていて、住宅街とアーケードの商店街を抜けて最後の写真にあるJR京橋駅近くの国道1号線との交差点へと至る。往時は当たり前のことだが鉄道も高いビルもなく、目の苗には大阪城が大きくそびえていたことだろう、京街道の終点となるのはその大阪城と大阪府庁の横を通り過ぎて高麗橋へと続いている、そこが大阪のいわば日本橋みたいな所、高麗橋を起点として大阪からの旅が始まると言ったところだが、さて、この日の走りは京橋駅前で終了、せっかくここへと来たのでこの先は正月2日にこの場所から神戸まで走った記録を続けて行きたいと思います。そんなわけで今回も時間となったようです、また次回も気楽にお越しくださいませ。            まちみち


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