よろしくお願いします。
吉野川分水飛鳥工区は前回、高取町で東部幹線水路から分岐する1号工区、飛鳥川から頭首工を経て分岐する2号工区、そのうちの第二頭首工から分岐する左側水路についてお伝えをしました。今回お送りするのは第一頭首工から分岐する右側水路を追いかけて行こうと思います。岡交差点に架かる橋の下、東部幹線水路から放流された用水は飛鳥川を伝って約300メートル先にある第一頭首工で分水路へと分岐する。水路は上の写真にあるように、コンクリートのフタに覆われて飛鳥板蓋宮跡付近の田園風景の中を流れて行く。飛鳥寺の蘇我入鹿の首塚から板蓋宮跡へと続く遊歩道はもう何度もお伝えしたことがある所、菜の花や彼岸花の季節のみならず、明日香村に来ると必ずと言っていいほど通る道、その道に沿って大きなタイルが敷かれたようにあるのが吉野川分水路だと言うのを、この巡りを通じて初めて知った次第です。
飛鳥寺の裏手から町道を過ぎると水落遺跡がある所へ、ここは以前『ブラタモリ』でも訪れていてこの遺跡にある水時計跡を紹介されていました。当時の天皇の皇太子が造ったのは水が落ちることで時刻を知らせる「漏刻」と言う装置、だからここを水落遺跡と言うのか・・・、とまあそのことは置いといて、その場所の横を何げなくと言った感じで分水路が通っている。北側真正面に天香久山を見ながら田園風景が広がる所を分水路は畦道に沿って流れていく、はるか昔には藤原京があって都として栄えた場所、先ほどの漏刻も水を頼りにされた装置だったから、往時から水の恵みがありがたく思われていたのだろう。今はその水が田畑の実りを潤す重要な役割を、この水路を通じて担ってくれている、引き続きその水路を追いかけて行ってみることとしましょう。
水路は大きな県道を過ぎた所で姿を消してしまう、ちょうど明日香村と橿原市の境界線辺り、ここからはいつものように抽象的な地図と感覚と、マンホールや分水槽を頼りに進んで行かなければならない。飛鳥川の右岸側は畦道と田んぼだけで自転車で通るのが難しい、ここは自転車道を通って庭球場がある所へと向かう、確か前にここでそれらしいものを写真に撮った気が・・・。その思惑通り分水槽を見つけることができた、ここには藤原京廃寺巡りや万葉歌碑巡りで来ていて、その時にこの分水槽が気になって写真に撮ったと思う。この先もマンホールは見つけるもののはっきりした経路は分からず、藤原宮跡の小さな水路も分水とつながりがあるのだろうと勝手に仮定して宮跡周辺を進んで行くと、藤原京資料館の横に大きな分水槽があった。ここは何度も通っているし資料館にも行ったこと・・・藤原京のジオラマがある所です・・・があるのに、分水槽は無意識に見落としていたんですね。ここから先は住宅地に入ってしまい、水路の痕跡も全く見つけられなくなってしまう、先には田畑もないのでここで終わっているか、暗渠となって飛鳥川へと通じているのか???いずれにしても巡りはここで終わりです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
吉野川分水飛鳥工区は前回、高取町で東部幹線水路から分岐する1号工区、飛鳥川から頭首工を経て分岐する2号工区、そのうちの第二頭首工から分岐する左側水路についてお伝えをしました。今回お送りするのは第一頭首工から分岐する右側水路を追いかけて行こうと思います。岡交差点に架かる橋の下、東部幹線水路から放流された用水は飛鳥川を伝って約300メートル先にある第一頭首工で分水路へと分岐する。水路は上の写真にあるように、コンクリートのフタに覆われて飛鳥板蓋宮跡付近の田園風景の中を流れて行く。飛鳥寺の蘇我入鹿の首塚から板蓋宮跡へと続く遊歩道はもう何度もお伝えしたことがある所、菜の花や彼岸花の季節のみならず、明日香村に来ると必ずと言っていいほど通る道、その道に沿って大きなタイルが敷かれたようにあるのが吉野川分水路だと言うのを、この巡りを通じて初めて知った次第です。
飛鳥寺の裏手から町道を過ぎると水落遺跡がある所へ、ここは以前『ブラタモリ』でも訪れていてこの遺跡にある水時計跡を紹介されていました。当時の天皇の皇太子が造ったのは水が落ちることで時刻を知らせる「漏刻」と言う装置、だからここを水落遺跡と言うのか・・・、とまあそのことは置いといて、その場所の横を何げなくと言った感じで分水路が通っている。北側真正面に天香久山を見ながら田園風景が広がる所を分水路は畦道に沿って流れていく、はるか昔には藤原京があって都として栄えた場所、先ほどの漏刻も水を頼りにされた装置だったから、往時から水の恵みがありがたく思われていたのだろう。今はその水が田畑の実りを潤す重要な役割を、この水路を通じて担ってくれている、引き続きその水路を追いかけて行ってみることとしましょう。
水路は大きな県道を過ぎた所で姿を消してしまう、ちょうど明日香村と橿原市の境界線辺り、ここからはいつものように抽象的な地図と感覚と、マンホールや分水槽を頼りに進んで行かなければならない。飛鳥川の右岸側は畦道と田んぼだけで自転車で通るのが難しい、ここは自転車道を通って庭球場がある所へと向かう、確か前にここでそれらしいものを写真に撮った気が・・・。その思惑通り分水槽を見つけることができた、ここには藤原京廃寺巡りや万葉歌碑巡りで来ていて、その時にこの分水槽が気になって写真に撮ったと思う。この先もマンホールは見つけるもののはっきりした経路は分からず、藤原宮跡の小さな水路も分水とつながりがあるのだろうと勝手に仮定して宮跡周辺を進んで行くと、藤原京資料館の横に大きな分水槽があった。ここは何度も通っているし資料館にも行ったこと・・・藤原京のジオラマがある所です・・・があるのに、分水槽は無意識に見落としていたんですね。ここから先は住宅地に入ってしまい、水路の痕跡も全く見つけられなくなってしまう、先には田畑もないのでここで終わっているか、暗渠となって飛鳥川へと通じているのか???いずれにしても巡りはここで終わりです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち