おはようございます。
今日は夜から☂とのこと、でも午前中はいい天気、そんな中を大阪方面へと走って来ました。行先は今最も話題の場所とも言っていいかも知れない所。
上は『あさが来た』、下は『真田丸』に関係する場所です、この走りの記録についてはまたいずれ機会を設けてお送りすることにしておきます。
先週は京都を走って来たのですが、見つけました、この場所です。
前に室町通を走った時に少し話題にしたあさの実家、漠然と堀川近辺にあると書いたのですが、それが上の写真にある場所です。堀川通と油小路通に挟まれた所、二条城の北側と言うことで、もしかしたら大政奉還の現場をリアルタイムで見ていたのかも知れません。
そう言えば今井家に新撰組が来ていたシーンがあったが、その頃の京都は御所を中心に戦火の舞台となった所、それにしてはあさの周辺は何か穏やかな平和な雰囲気で描かれていました。しかし今思えばこのシーン
であさが言っている台詞は現在では
「」
と言っているようなもの、この頃の子供たちの遊びにはタブーなんてものはなかったのでしょうか・・・って細かいことが気になってしまう、僕の悪い癖。
上の写真は大阪の道の起点となる高麗橋、先々週の『あさ』ではこの橋の角の茶屋でふゆが泣いていました、と言うことは加野屋はこの近くにあったとのことでしょうか。高麗橋の場所は堺筋と松屋町筋に挟まれた土佐堀通に近い所、その通りに沿って流れているのが土佐堀川、『あさ』のドラマの原案にもなっている広岡浅子氏の生涯を描いた小説名でもあります。そんなわけで周辺を走っていたらまず見つけたのがこれ。
大阪で両替商を営んでいた鴻池財閥の本宅があった場所の碑、淀屋橋の近く、御堂筋から少し東に入った所にありました。現在ではビルが建ち並びカクカクに入り組んだ所も、明治の初期の頃はドラマのセットと同じように「今日と言う1日が~♪」と歌いたくなるような広い空が見渡せる所だったのでしょう。
御堂筋に架かる淀屋橋を渡ると大阪市役所の向かい側に建っているのが日本銀行大阪支店、いかにも重厚そうな建物だが、ここが大阪の大恩人こと五代様、五代友厚の邸宅のあった所。ここから市役所の脇を抜けて中央公会堂前を過ぎると、堺筋に架かる難波橋が見えてくる。
写真1枚目、その難波橋を撮ったのですが、右側の方に見える建物が大阪証券取引所、橋の端っこにはライオンの像があるのですが、その横に何か黒いものが立っているのが見えます、これはもしかして・・・と行ってみるとありました、五代友厚の像が。結構デカいし高い所に立っているので首を斜めにして見上げなければならないが、その姿の後ろに見える『大阪取引所』の文字とのバランスが良くてなかなかいい風景だ。道行く人はこの像を見上げては、これが五代様か~てな感じでカメラを向けていました、もちろんドラマが始まる前からこの像は立っていたわけだが、当の五代友厚も「日本中の人気もんになってしもて」とつぶやいているだろう。
その後、松屋町通へと出て本町方面へと向けて走ると大阪商工会議所前へとたどり着く、ここにもさっきの像と比べると小ぶりにはなるが五代友厚の像が立っている。歩いている人が「これ五代の像やで」「え、ホンマや」と会話しているのが聞こえてくる、もちろんカメラを向けている人も、まあ自分(一人称)もその一人なんですけど。
さて、その五代友厚ですがどうやら最期の時が近づいてきているようです。幕末から明治の時代を駆け抜けるように生きてきた人物と言うのはドラマではもう御馴染みとなってしまっていますが、自分(一人称)は正直言って、この人物の名前も何も知りませんでした。今回のドラマで興味を持ってwikiで調べて、まるで門前の小僧さんよろしくってな感じで今日はその所縁に地を走ってみました。今回紹介した以外にも五代が残した足跡は大阪にはまだまだいっぱいあるとのことで、機会があればまたまた巡ってみようと思っています。
『あさが来た』はいよいよ銀行設立に動き出すようですが、一方で新ちゃんの方にも動きがあるようです。友ちゃんが話していた尼崎の紡績会社の話、新次郎はこれに関わるようなことになりそうとか・・・、ちなみにその紡績会社と言うのは後の『ユニチカ』のこと、そしてユニチカの初代マスコットガールがよのさんの後の生まれ変わりだと言う辺りは何かの縁でもあるのでしょうか。ちょうど時間となってしまいました、今回は是にて終了としておきます。 まちみち
今日は夜から☂とのこと、でも午前中はいい天気、そんな中を大阪方面へと走って来ました。行先は今最も話題の場所とも言っていいかも知れない所。
上は『あさが来た』、下は『真田丸』に関係する場所です、この走りの記録についてはまたいずれ機会を設けてお送りすることにしておきます。
先週は京都を走って来たのですが、見つけました、この場所です。
前に室町通を走った時に少し話題にしたあさの実家、漠然と堀川近辺にあると書いたのですが、それが上の写真にある場所です。堀川通と油小路通に挟まれた所、二条城の北側と言うことで、もしかしたら大政奉還の現場をリアルタイムで見ていたのかも知れません。
そう言えば今井家に新撰組が来ていたシーンがあったが、その頃の京都は御所を中心に戦火の舞台となった所、それにしてはあさの周辺は何か穏やかな平和な雰囲気で描かれていました。しかし今思えばこのシーン
であさが言っている台詞は現在では
「」
と言っているようなもの、この頃の子供たちの遊びにはタブーなんてものはなかったのでしょうか・・・って細かいことが気になってしまう、僕の悪い癖。
上の写真は大阪の道の起点となる高麗橋、先々週の『あさ』ではこの橋の角の茶屋でふゆが泣いていました、と言うことは加野屋はこの近くにあったとのことでしょうか。高麗橋の場所は堺筋と松屋町筋に挟まれた土佐堀通に近い所、その通りに沿って流れているのが土佐堀川、『あさ』のドラマの原案にもなっている広岡浅子氏の生涯を描いた小説名でもあります。そんなわけで周辺を走っていたらまず見つけたのがこれ。
大阪で両替商を営んでいた鴻池財閥の本宅があった場所の碑、淀屋橋の近く、御堂筋から少し東に入った所にありました。現在ではビルが建ち並びカクカクに入り組んだ所も、明治の初期の頃はドラマのセットと同じように「今日と言う1日が~♪」と歌いたくなるような広い空が見渡せる所だったのでしょう。
御堂筋に架かる淀屋橋を渡ると大阪市役所の向かい側に建っているのが日本銀行大阪支店、いかにも重厚そうな建物だが、ここが大阪の大恩人こと五代様、五代友厚の邸宅のあった所。ここから市役所の脇を抜けて中央公会堂前を過ぎると、堺筋に架かる難波橋が見えてくる。
写真1枚目、その難波橋を撮ったのですが、右側の方に見える建物が大阪証券取引所、橋の端っこにはライオンの像があるのですが、その横に何か黒いものが立っているのが見えます、これはもしかして・・・と行ってみるとありました、五代友厚の像が。結構デカいし高い所に立っているので首を斜めにして見上げなければならないが、その姿の後ろに見える『大阪取引所』の文字とのバランスが良くてなかなかいい風景だ。道行く人はこの像を見上げては、これが五代様か~てな感じでカメラを向けていました、もちろんドラマが始まる前からこの像は立っていたわけだが、当の五代友厚も「日本中の人気もんになってしもて」とつぶやいているだろう。
その後、松屋町通へと出て本町方面へと向けて走ると大阪商工会議所前へとたどり着く、ここにもさっきの像と比べると小ぶりにはなるが五代友厚の像が立っている。歩いている人が「これ五代の像やで」「え、ホンマや」と会話しているのが聞こえてくる、もちろんカメラを向けている人も、まあ自分(一人称)もその一人なんですけど。
さて、その五代友厚ですがどうやら最期の時が近づいてきているようです。幕末から明治の時代を駆け抜けるように生きてきた人物と言うのはドラマではもう御馴染みとなってしまっていますが、自分(一人称)は正直言って、この人物の名前も何も知りませんでした。今回のドラマで興味を持ってwikiで調べて、まるで門前の小僧さんよろしくってな感じで今日はその所縁に地を走ってみました。今回紹介した以外にも五代が残した足跡は大阪にはまだまだいっぱいあるとのことで、機会があればまたまた巡ってみようと思っています。
『あさが来た』はいよいよ銀行設立に動き出すようですが、一方で新ちゃんの方にも動きがあるようです。友ちゃんが話していた尼崎の紡績会社の話、新次郎はこれに関わるようなことになりそうとか・・・、ちなみにその紡績会社と言うのは後の『ユニチカ』のこと、そしてユニチカの初代マスコットガールがよのさんの後の生まれ変わりだと言う辺りは何かの縁でもあるのでしょうか。ちょうど時間となってしまいました、今回は是にて終了としておきます。 まちみち