我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

コンテナ 一杯の愛」

2018年07月17日 | 日記

秋になって涼しくなったら、
燻製を始めようと思っているが、

肝心の燻しに使う桜の木が
昨年暮れの燻製で、全て、底を突き、
どうしたものかと考えていた。

今までは燻製の師匠、
山女魚小僧から分けて頂いたが、

「師匠、燻製の不祥の愛弟子ロバです、
桜の木が無くなりましたので、
又、送って下さい!」

などと、

「師匠、師匠!」と煽(おだ)て上げる
姑息(こそく)な手段で、
のべつ幕なし、催促する訳にもいかず、

さりとて、
自分で桜の木を調達となると、
これが結構、難儀なもの。


日本国家の象徴の花は「桜」

桜の木は、日本国中の
公園や学校などなど、至る所にあるが、
これには断じて手は出せない。

彼の米国大統領
故ジョージ・ワシントン氏が子供の頃に、

「桜の木は、私が切りました」

と白状すれば、
「正直者」と褒めてもらえるが、

親父が切ろうものなら、
正直者どころか、罰金もの・・


秋も近づき、関心事は桜の木。

春でもないのに四六時中、
頭の中は桜、桜、桜が満開。


ご近所に住む藤田さんの家には、
一本の大きな桜の木がある。

2年前、隣に住宅が2軒ほど建ち、
駐車場の上に桜の枝が覆い
邪魔になると言うので、
枝を数本切り落としたが、

既にあの頃は、花がご縁で、
互いの家を行き交う仲だったはず。


何故あの時、藤田さんに
欲しいと言わなかったのか、

今になって悔やまれてならない・・・


人間というものは
可笑(おか)しなものである。

お金であれ、愛であれ、
更に加えれば、桜の木であれ、

満ち足りている時には、
何ら不自由を感じないが、
一旦、失って仕舞うと・・・


人間は利口なものである。

失ったものを再び、取り戻そうとする
欲求が芽生えてくる。

欲求は動機づけとなり、
関心は行動を起こす。

先般の7号台風の後、
西村さんの庭の片づけを見て、
桜の木のことを問い質(ただ)し、
幸いにも桜を頂戴することができ、

その後、更に二つの幸運に遭遇し、
二本の枝にもありつけた。

それで昨日、コンテナボックスの
サイズに合わせカットして、
丁寧に汚れを洗い落として、
乾燥させた。


画像は、向こうがコンテナボックス。

テーブルの上で乾燥させる桜の木は、
コンテナ一つでは収まらない量。

当分の間、桜の木には困らないどころか、
散々お世話になったお礼の返しに
師匠に届けても良いと思っている。



親父の燻製でも、「美味しい」
と言って頂く人達がいらっしゃる。

煽てられているとも気づかず、
親父は嬉しくて、その人達の為に
せっせと燻製を作る。


今、コンテナの中には再び、
その人達への、桜の木の形をした
愛で満たされている。


誰かさんが言った、

「自分に起きる出来事は、
自分の思った事からしか起こらない」


今日の曲は、
「コンテナ一杯の愛」にかけて
「スプーン一杯〈溢れる程ほどの)愛」は、

ラヴィン・スプーンフルが歌う
「魔法を信じるかい」
 

「Do you believe in magic」

The Lovin' Spoonful

 

コメント (2)
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