道の駅「大月」で起床。朝から騒がしい道の駅でした。お湯を沸かして朝食。
大堂山展望台というところに来ました。柏島が一望です。
養殖が盛んなようです。
観音岩展望台というところに行きましたが、どれが観音岩かわかりません。多分これだろうと思います。
降りてくると展望台へ行く道も分岐から反対側へ少し行くと。間違いなし。
橋を渡って柏島に行きました。以前、ここ出身の人と一緒に仕事をしました。信頼できる人でした。その人から聞いたのですが、太平洋戦争の空襲がたけなわだったころ、米軍部隊は何十機もの編隊を組んでこの島の真上を飛んで行ったそうです。この島が基準点になっていたのかもしれません。
今はダイビングの聖地となっています。
桟橋からダイビングする人たちが出発しています。
その他は普通の漁村です。海鮮丼を安く食べさせるので有名な店があるのですが、朝9時すぎです。
ジョン万次郎資料館に行きました。再訪です。
ジョン万次郎を語るとき、この人なしでは話が進みません。本土に連れて行って養子にし、学校教育を受けさせた、ホイットフィールド船長です。
これが万次郎たちを助けた捕鯨船ジョン・ハウランド号。
マサチューセッツ州の小さな港町ニューベッドフォードで教育を受けます。津本陽の小説「椿と花水木」は脚色が過ぎるようです。
カリフォルニア州の金鉱で稼ぎ、船を買って、帰国するあたりは冒険小説のようです。琉球の近くまで来て、船から自分のボートを降ろし、豊見城町の海岸につきます。その時、乗っていた「アドベンチャー号」です。
帰国してからの活躍はご存じのとおりですが、万次郎は日本語の読み書きがほとんどできなかったそうです。ましてや、武士の言葉は14歳で故国を離れた漁師の息子にはおそらくチンプンカンプンだったのだはないでしょうか。漢字を書くことから勉強したこと、万次郎の才能がわかります。一緒に帰国した他の人たちに比べれば一目瞭然です。
そして、それを記録していた人がいます。池道之助です。土佐清水市には「池家文書」として子孫の方が保存しているそうです。
ジョン万次郎について語ると尽きません。ジョン万次郎資料館から土佐清水市に移動し、以前、家族と食事をした「足摺黒潮市場」で昼食。名物のサバを食べました。
それから、ジョン万次郎の生家を訪れました。
近くには
古いものでは小さな神社の境内に、昭和4年に建てられた叙位を記念する碑がありました。徳川家達氏の揮毫です。あー、ジョン万次郎を満喫したなあという思いです。
第38番札所 金剛福寺に来ました。足摺岬の先っぽにあり、歩き遍路をする人はここにお参りするため何十キロも歩かねばならず大変です。境内は大きな岩と鍾乳石と思われる岩がありました。
二重の塔、お隣に日露戦争と太平洋戦争の慰霊碑がありました。
仏さまがいっぱいです。初めて見ました。
お大師様を祀る大師堂。
もう一つ、ジョン万次郎。
天気はよくありませんが、足摺岬に行ってみました。南国らしい植生のアーチをくぐって、
灯台。
約600m、アップダウンの遊歩道を行くと、白山洞門。さすがに誰もいません。独り占めです。
この後、中村市まで移動し、2日ぶりの温泉。とぼけた名前です。
すぐ近くの道の駅で停泊。「ビオスおおがた」、高知の道の駅はがっかりさせられることが多かったのですが、ここは違います。施設は充実しているし、静かだし、5時を過ぎれば弁当は半額になるし、酒は売っているし、いうことはありません。
台風は直撃しそうだし、風圧面積の大きいインディ君は横転しかねないので帰ることにしました。
本日のコース。
本日の走行距離・・・134km
本日までの航跡。
本日までの累積走行距離・・・673km
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