せっかくですので松江に行ってみることにしました。以前、公務の余禄で2時間ほど過ごしたことがありましたが、ゆっくり見るのは初めてです。
道の駅本庄から25分程度で、駐車場の営業時間が8時30分からなので、NHKの朝ドラを見てから出発しました。
駐車場はガラガラで、お城などで入場料を払うと半額になります。結局、300円でした。
「小泉八雲記念館」
お城と堀をはさんだ通り「塩見縄手」にあり、旧居に隣接して、愛弟子などが浄財を集めて作ったそうです。小泉八雲の生涯とご家族の軌跡がよくわかりました。特に、奥さんのセツさんなくして八雲はなかったと思いました。松江藩上級武士の娘として生まれたセツさんは、実家が維新とともに始めた家業に失敗し、婿養子をもらうも出奔されます。病気になった八雲ーラフカディオ・ハーンの世話係として住み込みます。ある日、子供に水に沈められそうになった子猫を連れて帰ってハーンに見せるとびしょぬれでブルブル震えている子猫をそのまま自分の懐に入れて、暖めてやったそうです。ハーンの人間性に魅かれたのでしょう。家族に恵まれなかったハーンは一緒になるとセツの実母、養父母も扶養することにし、より高い収入を得るため松江を去り、熊本の第5高等学校に転勤します。
幼いころから物語好きだったセツさんの語る古い話からいろいろな名作が生まれたそうです。・・・・セツさんのことを調べると深入りしそうです。
「小泉八雲旧居」
八雲は1890(明治23)年、尋常中学校と師範学校の教師として松江に赴任し、1年3月間在住します。そのうち、1891(明治24)年から5ヶ月間セツ夫人と暮らした家です。八雲が好んで眺めた庭園がそのまま残されています。
入り口から風情のあるたたずまいです。ルリヤナギという植物です。
7月から9月にかけて、可憐な花をつけます。
八雲が愛した庭です。この狭い庭に「いまなおひっそりと息づいている十六世紀の自然と夢の幸福感」を感じ、土塀の外で始まっている近代化によってこの庭もなくなるのではないかと考えたようです。
八雲の書斎。左目を失明し、右目も極度の近眼であった八雲が書面と目を極端に近づけることができるように高く作った机が再現されています。
表に出ると道を挟んでお堀で、遊覧船がゆっくり進んでいます。一人のときはこういうものを躊躇します。
「武家屋敷」
約275年前に立てられた中級武士の屋敷がそっくり残っています。長屋門をくぐると格式がありながら質素で大名や上級武士の屋敷にはないよさが感じられます。
当主の居間。
私的部分から見える庭。
長屋門の中間部屋。
「松江城」
いよいよ橋を渡って、登城です。その前に、松江市が作ったと思われる松江歴史館に寄りました。「入館」は無料であるが「展示物を見る」のは有料とわけの分からないお役人システムの上、何を展示してあるのかまったく分からず、とても、訪問者本位ではなく、運営本位の自己満足・・・・最初から有料でゆっくりできる施設にすればいいのに。
規模の大きな石垣が残されています。
天守閣の近くにある初代藩主などを祀った松江神社に参拝。
現存12天守のひとつ、旧国宝、松江城天守閣。昭和10年に国宝に指定されますが、昭和25年に重要文化財に。なぜ?なんで4つだけが国宝なの?
地階。井戸があります。
柱の太さと骨組み、現存天守閣を見るときの醍醐味です。
急な階段を登り、最上階に。
天守閣から中海方向を見る。
お城を満喫して、城内にある松江護国神社に参詣。
入り口で陸軍初代軍医総監 松本順が揮毫した灯篭を発見。
西南の役での戦死者を祀ったものでしょうか。詳しいことは分かりません。吉村昭氏の「暁の旅人」で数奇な運命を律儀で乗り切り、海水浴と牛乳を広めた人と記憶していますが。
食事をしてから帰宅と思いましたが、カーナビに使っているiphone5sが干上がり、充電しながらということで雲南市の道の駅・たたらば壱番地へ。
新しい道の駅です。お土産を少し買って、レストラン「むらげ」(村下:たたらで玉鋼を作るときのリーダー)で「奥出雲牛すじそば」をいただきました。
尾道・松江道路、山陽道、しまなみ海道で帰宅。
単独行でしたが
① 燃費が悪いので多人数で出かけたほうが安くつく。
② 夜一人で過ごすのは物足りない。
というところもありましたが、自由でいいところもありました。
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