原町のほとんどが一望できるようになりました。少し霞んでいます。
標高300mぐらいのところから周りの木々が異なり、茅のような枯れ草の上を歩きます。このあたりから上は山火事で焼けなかったのです。境目です。
尾根道を右に曲がり、東方向に向かいます。右折直前に見た「との山」です。
木々に囲まれ、眺望がなくなりました。右側に原、洲江地区、左側に瀬戸田が見えるはずなのですが。
そして、驚いたのは尾根道の左右にタラの木が群生していることです。タラは、日当たりがよく、ほかの木の陰にならないところで育つと聞いたことがあります。まさに、その通りの環境が尾根道の両側に続いています。タラの芽の採取時期は桜の八分咲きのころと同期しています。楽しみが一つ増えました。
尾根道からの東生口。
反対側の瀬戸田地区と佐木島、三原須波など。
新造船の一部を運んでいる運荷船と瀬戸田高校の近くに作られたNTTファシリティーズのメガソーラーです。
最後のコブを登ります。
地図上の頂上に到着。三等三角点のある場所が最高点です。標高は408.1mです。周りは木に囲まれ何も見えません。
そこから30mほど進むと眺望の開けた神社、休憩所のあるところに出ます。
時計を見ると11時45分、家から1時間15分で着きました。息を切らしながら登るような急登はなく、ゆっくり登ればちょうどいい運動になります。神社に参拝。鳥居に白高龍王とあります。祠の前に石碑。
屋根付きの休憩所。
見晴らしの良いベンチ。
なぜか国旗が掲げられていました。
眺望は素晴らしく、西側を除き、遠くまで見えます。真下に洲江地区が見えます。
因島、尾道方向。
瀬戸田、佐木島、三原方向。
眺望を楽しんだあと、昼食。コンビニで買ってきたおにぎり、バナナ、台所に転がっていたネーブル、山の上で食べる食事はなんでも美味しく感じられます。
お湯を沸かして、食後のコーヒー。これもたまりません。
頂上で約30分過ごしたあと、下山。東生口小学校の方への道があるとのことだったのですが、案内標識もなく、わからなかったので、もと来た道へ。一日四国がひとつとなりの尾根に続いているのでそちらに行ってみました。分岐点は、岩の下にある四十数番(忘れました。)のところです。
右へ登ると往路の尾根に、左へ降りていくと一日四国の周回路です。左へ行きました。急です。
右側の尾根が往路の尾根、左側の尾根に点々と見えるのが後半の祠です。
50番。
60番。
振り返ると・・中央の岩のところから降りてきました。
今日見つけた唯一の花。名前はこれから調べます。
ようやくとなりの尾根に着きました。途中、イノシシが暴れたあとなのか、崩落したのかわかりませんが、道がなくなっているところがありました。
70番。
降りるとどこに出るのか・・薬師寺を中心に原町の佇まいがよくわかります。ここから階段が整備されています。
80番。
そして、88番、八十八番が正しいのでしょう。
出てきたところは、原町天満宮の裏、「新墓地」の最上段でした。そこから見ると左の尾根から一番奥の岩、右の尾根と周回しているのが一日四国でした。一日四国は予想外に険しく、信心深くても来ることができない人も多いと思うと残念な気持ちになります。
往復3時間でしたが、いろいろ発見もあり、楽しい山登りでした。総括するとこうなります。
また、折を見て、霞んでいない写真を撮りに、タラの芽を採取しに行きたいと思います。
小さいとき 一本だけ スッと伸びた松が 1本あり(今は タラが群生しているあたり)、 子供心に あれは
恐竜?と思いながら 小学校から帰っていた事を 思い出します。
またお願いしたいことがありますので、連絡をいただけますか??
F老人様が毎回丁寧に編集されている
[原町散策]で元気を頂いています。
今回の[原町散策]で特に感動した画像
①画像:P1060058
(原町のシンボル、造船所のクレーンと大小島)
②画像:P1050987
(埋立て前は昔の遊び場であった、現グランド地)
③画像:P1060109
(我々の先祖が眠っています、合掌)
♪♪♪ たかくやさしい との山の
姿をあおぎ ぼくたちは..♪♪♪
(詩:橋岡宮子、曲:山本雅之)
此の校歌で育った小学校時代の[との山] は
高くて険しい山で ありました。
が、今は短時間で容易に登山が可能なようです。
その校歌の東生口小学校も21日が卒業式で、
24日閉校式とか、校歌斉唱は 涙、涙、でしょう。
瀬戸内の 生口島、
人口700人余の原町の良さを色々と、
F老人様の視点から全国津々浦々への発信、
宜しく御願いするものであります。
原町会一同
ご感想ありがとうございます。
最近、家人から昔の中学校の校門の位置は現在と違う場所にあったこと、映画館があったこと、自転車屋さんがあったことなどを聞きました。グラウンドは埋め立てられたのですね。
近々、もう一度登ってくるつもりです。F老人にはちょうどいい負荷になるのです。田舎暮らしは、都市生活ほど歩かないのでいい運動になります。
との山の情報を楽しく拝見させていただきました。
小学校のときに、友達と登ったきりで、いつか登りたいと思いつつ還暦が過ぎました。
との山も火事で変貌してしまいましたが、少しずつではありますが以前の姿にもどりつつあるようです。
時々、帰省で墓参りのとき、「よし、今度は登るぞー」と意気込みはあるのですが少々、腰が重いようです。
生口中の以前の校門は、もっと西側にありました。門の隣に、小林自転車店と映画館があり、その西には、飯田店(みせ)がありました。そのもう少し西には、バスの車庫がありました。
Fさんのコメントで半世紀前のことを、思い出してみました。