F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

友ヶ島・和歌山城

2018年06月02日 19時51分19秒 | 旅行記
道の駅「みさき夢灯台」で目覚める。ちょっと、うるさかったので朝早く起こされました。

少し早いと思ったのですが、加太に向けて出発。7時半過ぎに着きました。友ヶ島第1便は09:00。どうしようかと思いましたが、釣り人が多く、8時10分に第1便を出すという。ラッキーでした。





着きました。20分の航海でした。



ところで、友ヶ島という島はありません。「友ヶ島」は地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称なのです。



その中でも砲台が設けられたのは、「沖ノ島」です。友ヶ島の砲台は「由良要塞」(司令部は淡路島の洲本市由良にありました。)の一部でした。25の砲台で大阪湾口を守ろうと、明治20年ごろから作られたようです。

というわけで沖ノ島に上陸しました。



表札は友ヶ島です。



どういう方向に回ればいいのか。



とりあえず海岸沿いに。正解でした。立派な松。



対岸の淡路島が見えます。実は淡路島南部にある諭鶴羽山に高校の同級生が飛行機で遭難してご夫婦で亡くなりました。淡路島でもここでも手を合わせました。



陸軍が作った道です。



廃墟になった元旅館。



漂着物。きたねえ。



第2砲台跡。27cmカノン砲(4門)。





第1砲台跡。27cmカノン砲(4門)。





すぐ近くに友ヶ島灯台。





少し歩いて、「海軍聴音所跡」。





スクリュー音を聞いて、その場で目標を確認していたのでしょう。荒れ放題なのが気になりました。

圧巻は「第3砲台跡」です。説明するのが難しいのですが。



この階段を降りて。



暗い通路を抜けて。



階段を上ると。







28cm榴弾砲2門の砲台跡が、これが4つ並んで、合計8門。相互に連結されています。

弾庫。







管理棟。





砲弾です。



友ヶ島の砲台。立派な施設、言い換えれば破壊しようにも完璧にできていて破壊できなかった施設。もう少し、金をかけて保存してもいいのではと思いました。

砲台は日本全国至る所にあります。使われたというのは聞いたことがありません。日本全国の砲台を一括管理して保存してはと思います。細い道をおそらくモッコでレンガを運んだ名もない人夫、何十万といるそれら人たちの汗の結晶だったのですから。

11時30分、迎便が来ました。



加太から和歌山市に移動しました。一度来たことがある和歌山城の100名城スタンプをゲットするためです。都市部を運転するのは緊張しますが、運よく駐車場に入ることができました。

広い城内を歩いて天守閣に。





60年前に再建されました。





ゲットしたスタンプ。



道の駅「青洲の里」まで来ました。華岡青洲の生誕地です。



見学するつもりだったのですが、受付の人に一瞥されて元の仕事に戻られてしまいました。仕方がないので、写真だけ。





道の駅「柿の郷くどやま」で停泊。300円のうどんがありました。障碍者の自立支援施設が運営しているようです。おいしかった。