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小沢一郎は、米国から橋本首相の首切り命令に応ずる竹下登首相の姿に呆れ果て、日本の独立に意欲燃やす

2010年10月09日 23時51分45秒 | Weblog
(つづく 3)

小沢一郎は、米国から橋本首相の首切り命令に応ずる竹下登首相の姿に呆れ果て、日本の独立に意欲燃やす
(板垣英憲)より

◆小沢一郎元代表は、慶応義塾大学経済学部出身である。
東大、京大進学に失敗したとはいえ、慶応ボーイとして建学の祖・福沢諭吉翁の名言「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」を想起するならば、いかに薫陶を血肉化していることがよく分かる。
 
言うでもなく、慶応義塾大学建学の精神は、「独立自尊」である。小沢一郎元代表が、「日本の独立」を人一倍思っていることは明らかである。
「日本・米国・中国」の独立国の関係を正三角形で捉えようとするのは、極めて自然な考え方である。
 
だが、大東亜戦争後、65年が経過しているというのに、米国は,そう思っていないようである。
日米安保条約の下で、自国の安全を米国の核の傘と米国人の血によって、保障されようとしている限り、当然のことである。
米国人に心の底で侮られていると考えるべきである。
小沢一郎元代表は、おそらく、そうした日本の精神的惨状を憂いてきたに違いない。
さりとて、日本が憲法を改正しない以上、偉そうなことは言えない。

◆ところで、竹下登元首相は平成元年(1989)春、首相の座を降りた後も、依然として政治の実権を握り、政界最強の実力者として「院政」を敷き、「闇将軍」の異名をとり、事実上の日本の舵取りをしていた。
米国との「窓口役」を引き受けながら、その立場により、「キングメーカー」と言われて権勢を誇っていた。
それは、小沢一郎元代表には、屈辱的な姿の何ものでもないと映っていたであろう。
 
しかし、米国にとって竹下元首相が使いやすい政治家あったのは、米国が竹下元首相のの弱みを握っていたからである。
それが日本国民にバレたら大変なスキャンダルになるところであった。
 
竹下元首相は、中曽根康弘元首相時代、3期にわたり蔵相を務めていた。その在任中、新札を発行した。
その際、米国FRBから監視役が1人、日本銀行に派遣されてきていた。

このとき、30兆円分の新札(旧福沢諭吉紙幣)を刷らせたのだが、竹下元首相は、同じ番号の新札を別30兆円刷らせ、これを戦後補償金として台湾に渡した。
このことが後に、米国レーガン政権(当時)にバレてしまい、米国にとって脅しの材料として利用され、米国の要求には、どんな難題でも聞かざるを得ない立場に置かれたのだという。
まったく、情けないチョンボである。

◆早稲田大学出身の竹下元首相はキングメーカーと言われながら、それは本当のところは、米国の命令に従ったにすぎなかった。
橋本龍太郎首相が退陣したときは、そのことがはっきりと表れた。
慶応大学法学部出身の鼻っ柱の強い橋本首相は、訪米した際、クリントン政権から、「日本版の金融ビッグバン」を強要された。
それまでの間、クリントン政権は、日本がバブル経済崩壊により苦難の状況のなかにあるのを知りながら、「超低金利政策」の実行を強要していた。
米国の要求があまりにも理不尽であると感じた橋本首相は、思わず口走ってしまった。
 
「ひどいことを言い過ぎると、日本が買っている米国債を売ってしまいますよ」
 
米国ディビッド・ロックフェラーが、この発言に怒った。
直ちに、竹下元首相に連絡してきた。
 
「橋本を総理大臣の座から降ろせ」
 
「分かりました。辞めさせます」

◆これをキッカケに、一時沈静化していた米国の「日本バッシング」が、また再び始まったのである。
橋本首相の不用意な発言は、竹下元首相の逆鱗に触れた。
この結果、橋本首相は、以前のようには、竹下元首相に会えなくなった。
面会を申し込んでも、門前払いされたという。
竹下元首相は、
 
「アメリカとの間に、折角、良好な関係を築いていたのに、何ということをしてくれたのだ」
という思いがあったのであろう。
竹下元首相は「橋本降ろし」を決意していたのである。
 
長引く不況のなかで、橋本政権の支持率は、20%を割り、さらに低下の一途を辿っていた。竹下元首相は、橋本降ろしの準備を始めた。
 
「龍ちゃんを降ろすにしても、花道だけはつくってやらねば」
 
そうした状況のなかで、「橋本退陣」をいち早察知した小渕恵三外相が、内心ほくそえんでいた。
地雷撤廃条約をめぐる国際会議出席のため、カナダを訪問した岐路、ニューヨークに立ち寄り、ディビッド・ロックフェラーを訪問し、挨拶した。
 
「橋本の次は、わたし、小渕恵三が首相をやらせてもらいます。何卒、よろしく」
 
このころ、小沢一郎元代表は、党首に再選された野党新進党を解党、自由党結党に動いていた。

米国から橋本首相の首切り命令に応ずる竹下登首相の姿に呆れ果て、日本の独立にますます意欲燃やしたのである。
                   
(つづく)

板垣英憲マスコミ事務所

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