一里塚跡~下諏訪宿
一里塚跡を過ぎ、山道から又ロードになる。
15時半、標識に導かれて進むと水戸浪士を弔う「浪人塚」あり。
元治元年(1864)、水戸藩、尊皇攘夷の急進派の若い武士たちが筑波山で挙兵する。
天皇党と名乗って、京都にの朝廷に嘆願しようと中山道沿いに侵攻してきた。
そこへ幕命を受けて高島・松本藩が阻止しようとして戦いとなり、多くの犠牲者を出しました。
その御霊を弔う浪人塚があります。
つくばに住み始めて35年になる私、住めば都で最近筑波山を心から美しいと感じるようになった。
熊本生れの私ですがすっかり茨城県人である、私としては水戸浪士を弔う「浪人塚」を素通りする事は出来ませんでした。
10分ほど歩き橘橋茶屋本陣跡を通り過ぎ54番目の一里塚を通ったのはもう16時を過ぎていた。
下諏訪に到着する頃には暗くなる可能性がある。
歩きながら宿の手配をしなくては、通りかかった大きな道路に大きな看板がいくつかあった。
目についた宿へ電話をかけると1万円以上の上等な?宿、う~ん・・・
あれこれ言っている場合では無いと思いながらもパス
観光協会に電話で、安い宿を探していただくがなかなか手順が悪く時間ばかりが経ってしまう。
とりあえず2,3の宿の電話番号を聞き自分で交渉する事にする。
駅のビジネスホテルに電話して、素泊まり5000円に決定。
宿も決まり、気持ちも楽になり回りを見る余裕が出て来た。
すると温泉街を通過 これは先走ってしまったのだろうか?
温泉魅力あるなあなんて少々後悔しながら歩く。
16時半過ぎ木落とし坂に入る、諏訪神社の木落とし。
そう言えばTVで話題になっていたなあ,などと考えながら17時間近諏訪大社秋宮まで3.5k
もう少しだ頑張ろう
諏訪に到着した頃に、陽はとっぷりを暮れていて神社へのお参りは明日朝にする事になる。
スーパーで今夜明日の食料を買いホテルに到着18時を過ぎていた。