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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

絵本における文と絵の関係

2016-11-14 09:03:25 | 考察
 児童文学の同人誌の合評会に参加していると、絵本のテキスト(文)が提出されることがあります。
 一般的に、同人誌に参加しているメンバーは、文章の書き手ばかりで、絵描きさんがいないケースが多いでしょう。 
 そんな時、提出されたテキストをどのように評価するかはなかなか難しいです。
 絵本の製作過程はいろいろあるのでしょうが、大きく分けると次の三通りになると思います。
 1.絵も文も一人で書いている(一見理想的に思えますが、文章と絵の書き手が別の場合は、二人の才能がお互いに触発し合ってて素晴らしい作品を生み出すことも多いので、一概には言えません)
 2.、文章が先にあって、絵描きさんがそれに触発された絵をつける(この場合、文章を書いた人に「文」の代わりに「作」と書かれていることが多いようですが、出版社によっても違い、必ずしも統一はされていないようです)
 3.先に絵ができていて、それに別の人が文章をつける場合(あまり多くないと思います)
 同人誌で合評するのは2のケースがほとんどなので、絵のない状態のテキストを読みながら一所懸命にその場面を想像するのですが、絵心がないのかあまりうまくいきません。
 そんな時、合評でよく出る意見が「絵がついたらきっといい作品になる」というものですが、みんながイメージしている場面はバラバラでしょうから、はっきりいってあてになりません。
 そうはいっても、あまり文章の方でその場面を説明するようなものを書くと、実際に絵がついたときには
過剰説明になってしまって、作品の完成度としてはいまひとつでしょう。
 そんな時、テキストの提出者が、テキスト以外に場面を説明する文章をカッコつきなどでつけることがあります。
 確かに、この方法では、作者がイメージした場面が分かるので、批評はしやすいかもしれません。
 ただし、こういった指定は、絵描きさんの自由な発想を阻害する恐れがあるので、絵描きさんに手渡す時はカットしたほうがいいでしょう。


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