現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

山中恒「ぼくがぼくであること」

2020-01-04 09:35:06 | 作品論
 教育ママにあまりにしぼられたために、衝動的に家出をした小学六年生の主人公の男の子が、偶然訪れた山村でのひと夏の体験を通して、「ぼくはぼくなんだ」と一人の人間として生きていくことを自覚する作品です。
 このよくありそうなテーマを単なる成長物語ではなく、一級のエンターテインメントにしてしまうのが、天性のストーリーテラー、山中恒の作家としての腕前でしょう。
 なにしろ、主人公の淡い初恋、ひき逃げ事件、替え玉母親、さらには、武田信玄の埋蔵金まで、エンタメ要素満載です。
 しかも、そこへ、受験競争、学園闘争、家庭崩壊、戦争体験などの、出版された1969年当時の社会問題までも、巧みに盛り込んでいます
 作者の文才は、早大童話会時代からつとに有名で、「山中恒がいたから創作はあきらめた。敵わないですよ、彼には」(「『早稲田の児童文学サークル』と現代日本児童文学」日本児童文学2011年7・8月号所収)と、児童文学研究者で翻訳家の神宮輝夫に言わしめたほどです。
 児童文学研究者の鳥越信も、同様の理由で(彼は強がりなので、公式にはケストナーのように幼少時代を鮮明に覚えていないから創作をあきらめたんだと言っていましたが)作家をあきらめて研究者になったといわれています。
 19歳だった私自身の1973年のレポート(早稲田大学児童文学研究会「ビードロ」所収)でも、古田足日や後藤竜二のテーマ主義が目立つ当時の作品に比べて、作者の優れたストーリー性と社会性のバランスを高く評価していました。
 その後1970年代に入ると、「おれは児童文学者ではなく児童読み物作家なんだ」と、作者自身が完全に開き直ってしまい、作品からは社会性が失われてしまいました。
 1974年に聞いた作者の講演の記憶では、自分の本が課題図書に選ばれないことをかなりひがんでいた面もあると思われます。
 なお、児童文学者協会の協会賞は1969年に「天文子守歌」で選ばれているのですが、作者は辞退しています。
 講演でも、「協会賞はいらないから課題図書に選んでくれ」と言っていました(今はそれほどではありませんが、当時は課題図書になれば家が建つと言われていました)。

ぼくがぼくであること (岩波少年文庫 86)
クリエーター情報なし
岩波書店

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウィリアム・アイリッシュ「... | トップ | 横山光輝「伊賀の影丸」 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

作品論」カテゴリの最新記事