現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

沢木耕太郎「テロルの決算」

2024-07-10 13:47:18 | 参考文献

 1960年10月12日に起きた、まだ17歳だった右翼少年山口二矢(おとや)による、社会党委員長浅沼稲次郎の刺殺というショッキングなテロ事件を描いたノンフィクションです。
 1978年の出版当時の作者は30歳(その前年に、この作品のひな形を文芸春秋で三回の連載しているので、実質的には20代での仕事ということになります)で、この作品で大宅ノンフィクション賞を受賞して、その後新しいノンフィクションの書き手としてブレイクします。
 ノンフィクションの手法的には、1960年代のアメリカで確立されたニュー・ジャーナリズム(あえて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする手法)を取り入れて、山口二矢と浅沼稲次郎だけでなく、様々な事件の関係者の視点で描いて、読者はそれを追体験しているかのように読めます。
 また、時々作者自身の視点も現れて、その後作者が中心になって確立される私ノンフィクション(作者自身が主要な登場人物になっている事柄を描いたノンフィクションで、「一瞬の夏」(1981年)では作者は主人公のボクサーのカシアス内藤の友人でプロモーターにもなりますし、「深夜特急」(1986年)では作者自身が主人公です)の萌芽が感じられます。
 事件当時、私自身はまだ6歳でしたが、それでもこの事件が記憶に残っているのは、このような日本では他に例を見ないショッキングなテロ事件が、三党(自民党、社会党、民社党)党首演説会という公開の席で実行され、しかもラジオで生放送(テレビは録画放送)中で、毎日新聞がまさに刺殺するその瞬間をアップで撮影したスクープ写真(そのカメラマンは日本人として初めてピュリッツァー賞を受賞しました)を翌日の朝刊の一面に掲載したことによって、多くの日本人に目撃されたために、国民全体で共有される大きな事件になったことと、事件から三週間後に山口二矢がその日に移送された少年鑑別所で自殺し、弱冠17歳の少年が(右翼団体などに使嗾されたものではない)初めから自分自身の死も決意していた自立したテロリストだったというさらにショッキングな事実(作者もこの点に魅かれて山口二矢を描こうとしたと述べています)のために、非常に有名な事件になったからでしょう。
 この作品が最も優れている点は、主人公の山口二矢だけでなく、浅沼稲次郎についてもできるだけ丹念に描いて、年齢も境涯も思想も大きく異なる二人の人物の生涯が、いろいろな偶然が重なったために、1960年10月12日午後3時4分30秒の一瞬だけ交錯した瞬間を鮮やかに浮かび上がらせた点でしょう。
 また、作者が、山口二矢だけでなく、浅沼稲次郎にも少なからぬ愛着を持って描き出し、二人の魅力(長所だけでなく欠点も含めて)を読者に伝えることに成功しているからだと思います。
 今回読み直してみても、殺されなければならなかった浅沼稲次郎(本来は社会党の中では右寄りの人物でしかも庶民そのものの好人物として大衆に人気があったのに、いろいろな事情で当時国交のなかった中国寄りの発言をしたために、かえって右翼の標的にされるようになっていました)だけでなく、殺さなければならなかった山口二矢(60年安保闘争直後で、彼の眼には実質的には権力を持っていて国民を扇動して革命を起こそうとしているように見える左翼(実際にはそんな力はぜんぜんなかったのですが)を激しく憎み、それと同じ程度に口先ではテロなどの過激なことを言うが絶対にそれを実行しようとしない右翼に激しく絶望していました)にも、同情の涙を抑えることができませんでした。
 この作品が書かれる前までに、山口二矢にはすでに数々の神格化された伝説が、右翼を中心に流布されていて、それを検証(作者はできれば否定したいと思っていたかもしれません)するような形で書き始められたのですが、結果として神格化された伝説を追認するようなエピソードが多く書かれていて、いろいろな偶然も含めて山口二矢がこの事件を起こすのは必然(彼はこの事件のためだけに生まれてきた)だったというような読後感を読者に与えているのは不満でした。
 取材者への配慮があるのか、山口二矢の家族(特に父親)や右翼関係者(特に日本愛国党の赤尾敏)や当時の社会党幹部への、作者としての批判が不十分です。
 山口二矢が自立したテロリストであったことには全く異論はないのですが、彼の生育環境や社会背景をもっと掘り下げて描かないと、作者が描いたような運命論的な結末になってしまうのではないでしょうか。
 また、作者自身も認めていますが、山口二矢に比べて、浅沼稲次郎の方の描き方が不十分で、特に社会党内部の動きとの関連を、作者が少し触れている構造改革論も含めて、もっときちんと描かなければ、なぜ浅沼稲次郎が殺されなければならなかったかや、その時の浅沼の思いがよくわかりません。
 さらに、事件から作品化の間に起きた、米中国交正常化の動き(1971年のキッシンジャー訪問に始まります)や日中国交正常化(1972年)との関係(影響が少しはあったのか、それともまったくなかったのか)ももっと描かないと、この事件が二人の個人的な事件(右翼内部や社会党内部の問題は描かれていますが)なのか、社会的な事件だったのかが分かりません。
 個人的には、90年代まで続く55年体制(自民党と社会党を中心にした保守と革新陣営の体制)がここまで長期化し、高度成長時代の経済的な成功(バブル崩壊まで)とそれに伴う格差社会の出現(自民党の長期政権と革新勢力の弱体化が主な原因でしょう)したことに、この事件は少なからぬ影響を与えたと思っています。
 そうでないと、浅沼稲次郎だけでなく、山口二矢も、まったくの犬死だったことになってしまうと思うのは、感傷的過ぎるでしょうか。

新装版 テロルの決算 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

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