大規模災害の場合、仮設住宅が造られます。その仮設住宅には様々な問題がありますが、
その中に仮設住宅での「孤独死」があります。仮設住宅では、コミュニティが作られています。
でも、それは機能していないということなのでしょうか?
お互いが声を掛け合い、自治体がこまめにフォローしていけば、防げるのでしょうか?
共同体あるいは社会という言葉は、比較的最近の言葉です。
西欧の概念に、日本なりに言葉を当てた造語です。
ですから、共同体(コミュニティ)や社会(ソサイエティ)には、人間しか入れません。
ま、「機関」も入れるのかもしれませんが、それとて人間で構成されています。
その一方で、日本人は、自分たちをとりまくすべてを含めてイメージしています。
日本人は、人間を人間関係だけで完結させません。
ですから、我々が我々自身を関係性でとらえるときには、
自然(環境)や時間(歴史・過去)や神仏までも包括して考えます。
内山節氏の言葉を借りれば、これが「世間」です。
たとえば、「人に迷惑をかけない」というだけではなく、
「お天道様に恥ずかしくない」こと
「先祖に顔向けできないことはしない」ことが、生活の根幹にあります。
自分たちの血肉になるために失われた命に対して「ごちそうさま」と感謝する気持ちがあります。
我々は人間以外のたくさんの「ことがら」のなかで生かされています。
そして、様々なあるいはありとあらゆることがらと我々は
不可分であり、因果を結んでいるのです。
そこから、人間だけを抜き出したときにどうなるでしょうか?
そのつながりは、非常に脆弱なものに変化します。
ただでさえ人間偏重の現代においては、紐帯が失われつつあります。
集団移転は、それを加速させているのです。
ですから、集団移転せざるを得なかった人たちは、
自分たちを産み育てた様々な「ことがら」から断絶し、
自分たちの紐帯や一体感を失いました。
共同体をあらたに作ることは可能でも、
共同体が人を育てる様々なことがらを生み出すには
気が遠くなるほどの時間がかかることでしょう。
帰郷できない以上、空間的な連続はもう、どうしようもありません。
ただ、時間的な連続は、現在まだ一時停止の状態かもしれません。
少なくとも過去を共有し、過去に空間を共有していたという「記憶』は残っています。
もしかすると、過去を救うことが、断絶に橋を架け、未来を助ける。
そんなことがあるかもしれません。
ついでに言っておきますが、そういう理由からボクは
子供たちの集団移転(疎開)については、絶対に反対します。
子供たちが集団移転すれば、子供たちは三つ目のそして最大の断絶に直面せざるを得ないと思うからです。
もちろん、個人的に家族単位で、家族の意志で福島を離れることについては、何の問題もありませんが。
その中に仮設住宅での「孤独死」があります。仮設住宅では、コミュニティが作られています。
でも、それは機能していないということなのでしょうか?
お互いが声を掛け合い、自治体がこまめにフォローしていけば、防げるのでしょうか?
共同体あるいは社会という言葉は、比較的最近の言葉です。
西欧の概念に、日本なりに言葉を当てた造語です。
ですから、共同体(コミュニティ)や社会(ソサイエティ)には、人間しか入れません。
ま、「機関」も入れるのかもしれませんが、それとて人間で構成されています。
その一方で、日本人は、自分たちをとりまくすべてを含めてイメージしています。
日本人は、人間を人間関係だけで完結させません。
ですから、我々が我々自身を関係性でとらえるときには、
自然(環境)や時間(歴史・過去)や神仏までも包括して考えます。
内山節氏の言葉を借りれば、これが「世間」です。
たとえば、「人に迷惑をかけない」というだけではなく、
「お天道様に恥ずかしくない」こと
「先祖に顔向けできないことはしない」ことが、生活の根幹にあります。
自分たちの血肉になるために失われた命に対して「ごちそうさま」と感謝する気持ちがあります。
我々は人間以外のたくさんの「ことがら」のなかで生かされています。
そして、様々なあるいはありとあらゆることがらと我々は
不可分であり、因果を結んでいるのです。
そこから、人間だけを抜き出したときにどうなるでしょうか?
そのつながりは、非常に脆弱なものに変化します。
ただでさえ人間偏重の現代においては、紐帯が失われつつあります。
集団移転は、それを加速させているのです。
ですから、集団移転せざるを得なかった人たちは、
自分たちを産み育てた様々な「ことがら」から断絶し、
自分たちの紐帯や一体感を失いました。
共同体をあらたに作ることは可能でも、
共同体が人を育てる様々なことがらを生み出すには
気が遠くなるほどの時間がかかることでしょう。
帰郷できない以上、空間的な連続はもう、どうしようもありません。
ただ、時間的な連続は、現在まだ一時停止の状態かもしれません。
少なくとも過去を共有し、過去に空間を共有していたという「記憶』は残っています。
もしかすると、過去を救うことが、断絶に橋を架け、未来を助ける。
そんなことがあるかもしれません。
ついでに言っておきますが、そういう理由からボクは
子供たちの集団移転(疎開)については、絶対に反対します。
子供たちが集団移転すれば、子供たちは三つ目のそして最大の断絶に直面せざるを得ないと思うからです。
もちろん、個人的に家族単位で、家族の意志で福島を離れることについては、何の問題もありませんが。