とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

神への感謝、神への怨嗟 複式簿記

2023-04-22 18:46:32 | 雑感
自分が生きていることにおいて、何かに感謝したり、あるいは何かに怨嗟を唱えたりするのは世の常だ。
これを複式簿記のように、貸方・借方、もしくは、資産や負債などのように、一旦私のことに関しての整理をしたい。
無論、私がそれを認識しないだけで感謝すべきものというものは多数に上るだろうが、一旦はそれは置いておいて、今は私の表層上の認識の整理をしたい。また、私をあまりに特定できてしまうような私の固有の状況を記載することはここでは排除した。

厳密には、複式簿記の記入として、貸方に資産が記入され、借方に負債が記入されると言う、一般的な直感とは逆の記載がされるのだが、今回はその会計技術も脇においておいて、単純に自分の人生において、運命的にプラスであったものとマイナスであったものを記載しておきたい。

1.運命的にプラス(感謝すべきこと)
・自分が自分のような偏屈な特性を持って生まれたこと。
・超長期的な思考をもって一つのことに10年ほど考える癖があること。
・超長期的な活動ができ、数年ごしの目標が達成できる。
・生育環境からの外部に脱出できた。これは大きな転換点だったと思う。あのままであったと思うとぞっとする。


2.運命的にマイナス(怨嗟を吐くべき項目)
・自分の生体的な育ちの悪さ。肺が弱い、体が弱い、心臓が弱い。
 (小学校の有煙の避難訓練で嘔吐したのは私だけ)
 認識能力が悪い。他者の反感を生来的に買ってしまう。
 それは親から受け継がれたものだが、なぜこの両親の元に私が生まれたのかを未だ疑問に思う。
・生育環境の悪さ。
 いじめ、騒音、排気ガス、振動など。
 やる気の低さ。自己動機づけとなるモチベーションは、外部摩擦がないことが前提だが、ありとあらゆる私をコントロールしようとする直接的な外部要因があり、それに私が適合できなかった。
 恐らく体力のなさもここから来る。
 以前までは、こうしたマイナス面はひたすら私個人の努力不足だと思っていた。
 小学校の有煙の避難訓練で嘔吐した時は、私個人の根性が無かったのだと思って自責をしていた訳だが、大人になって考えてみれば、あれは単純に煙が悪いのであって、かつ私の虚弱体質を形成した何某かの要因が悪いのではないかと考えるようになった。
 同時に、体力のなさやモチベーションの付与もここに含まれるのだと認識するに至る。
 言うて、小学校1年生の生活状況を小学1年生の児童が自分一人で何とかできるのか? 
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