とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

幼少期の難読症 と父が持っていた本の記憶

2018-03-11 05:24:05 | 思い出
私の父は婿として入ってきた。父の旧姓は異なる。

婿入り道具として持ってきたのは、小さい電気ポットと1合炊けるか否かくらいの電気炊飯器とあとひとつの何かくらいだった。
その他は、本が大量にあったそうだが、その大半も捨ててしまったらしい。

家にある本については、私は全く読まなかった。

私の心の中であふれかえる情動こそが、私自身そのものなのだ、と自覚していた私にとって、文字と文章とは悪夢でしかなかった。
何故かと言うと、言葉や文章を読んで理解すると、自分の中の気持ちが整理されてしまい、元からあった情動がどこかに消失するのである。

文章を読めば心が整理され、そしてそれに伴う情動の消失は確実に到来しただろう。
情動の消失は私自身そのものの消失であり、そしてそれは私自身と言う存在の擬似的な死であるのである。
文章を読めば私が死に、色鮮やかであったはずの私の生きている世界は、あたかも味気のない灰色の空間に押し込められる危険性があった。

その危険を察知して、私は本と言う本を遠ざけ、文字と言う文字を遠ざけ、文章と言う文章を遠ざけた。



あるいは自己の自発性そのものが自分自身の存在を規定するということも、なんとなく察知していたので、他人の言うことも聞きたくなかった。
自我の発達に伴い、自己欲求の実現願望が強くなり、他人の言うことも聞きたくなくなる。
自我を通せば、自己の存在を規定できるのである。それができなければ自由人ではなく奴隷になる。

それが究極にまで達すると、他者が話している言葉ですらも覚えたくないのである。他者の認識はそもそも不十全で、間違っている可能性がある。
信号の色を見て、それは青だと言ったり(実態は緑)、鏡の向きが逆になっているの見て、それは左右が逆になっているのだと言ったり(実際に逆になっているのは「左右」ではなく「前後」)、時間の概念で過去と未来の実態があると思っていたり、1たす1は2と言うことを疑っていなかったり(1と言う数字は、人間が共通でもつ、数を数える時の分割と数えだしの認識のルールの最小単位のことなのであって、その最小単位がもう一つつくと2になるというルール。よってこれは定理ではなく定義になる。ペアノの公理は厳密に処しすぎていて、直感的ではない)・・・

あたかも天動説を信じているかのような人々の思い込みは疑って当然だろう。なので、私は私の理解を、他者の言葉に頼らずに構築する必要があったが、しかし「自分言語」を開発するに至るまでの頭の良さが私には無かったので、この点において構造的矛盾があり、自己の中にある疑問や、あるいは正当だろうと言う認識と、世間の中で共通して使用される誤認の認識の齟齬に日々悶々としていた。

そして誤っている認識を持っている人たちが、世の中のメジャーな認識のイニシアティブを持っていたので、私はバカにされるやら、それを説明できないやらで更に悶々とした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サディズム・イニシアティブ | トップ | 社会の課題に対する機械化・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事