とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

日常生活に怯え、壊れていた私

2023-07-30 18:19:06 | 思い出
思い出したのでメモ。
私が食べるご飯をどうもネズミが事前に食べていた跡があったので、それを周囲に伝えたら食べなくていいと言うことがすんなりと通った話。

何を言っているんだ? と思うところがあるかもしれないがこれを書いていく。

私の家では、ご飯が余った時は、茶碗か他の容器に盛り付けてラップをかけてそれで冷蔵庫に入れるか、寒い日であればそのままテーブルに出しておくと言う習慣があった。

それでとある日、テーブルの上に出されていたラップがけの私のご飯茶碗を見ると、どうも茶碗に黒ずんだ跡があり、それでラップも少し空いていたので、これはネズミが食ったのだ、と判断した。

と、ここまではいい。問題はこの後である。
普通の感覚であれば、「どうもネズミが食ったらしいから、このご飯を捨てていいか」と言う旨を周囲に伝え、それでそのまま廃棄と言うことになっただろう。
実際私もそうしたし、その主張は通ったが、その内面は別のことで葛藤をしていたり、あるいは思考を放棄していたりした。

なぜかというと、それを伝えた先の母がヒステリーを起こし、「そんなこと関係ないから食べなさい! 」と激が飛ぶ可能性があったためであり、それに怯えた。
あるいは私がその激の後にそのまま食わされて腹を壊すことも想定した。
一方、私の自己認識は崩壊の一途を辿っており、と言うよりもう既に崩壊していたので、私がどんな行動をしようが、自分自身もう構わないとそんな生育環境に自暴自棄になっていたこともあった。
なので、上記の激が飛んでも元々世界と言うものは崩壊しているのだから何をやってももう構わんでしょう、と言う具合に、「どうもネズミが食ったらしいから、このご飯を捨てていいか」と言う旨を周囲に伝えた。

そうしたら母はあっさり「やだ、本当だ、ん、そうね、捨てちゃいましょう」とそのまま私の主張を受け入れ、その分のご飯は廃棄となった。

私は何に怯え、そしてどうして壊れていたのか。
その理由が今となって明らかになっているが、しかし釈然としない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 後味悪い系のストーリーの映... | トップ | ウクライナと偽500円玉生... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事