とめどもないことをつらつらと

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引用OKす。

緩慢な債務奴隷としての日本人 子孫を債務奴隷としないために

2020-09-21 23:09:31 | 国内社会批判
現在の日本社会において、多くの日本人は既成概念に囚われながら生きている。
曰く、年金は働けなくなった時に貰うもの、曰く、労働によって生計を立てなければいけない、曰く、企業で長く勤めることが肝要で、それで身を立てるべき、曰く残業は当たり前で、曰く副業はせず・・・

それらの多くはこれまでの社会は間違っていなかったし、今後の社会もそれが適用されていく部分も存在するだろう。
しかし、それらがどうしてそうなったのか、どうしてそういう行動をしなければいけないのか、と言うことを考えていないのではないだろうか。

湾岸戦争を指揮したコリン・パウエル氏が著書で記載するに(マイ・アメリカン・ジャーニー)、米陸軍は30代後半で退職し、年金が貰えると言う(そして宝くじが当たった時であるかのように、退職のタイミングで名前も知らない遠くの親戚から電話がかかってくる)。

非定住生活を送るパプアニューギニアの原住民は、原初の生活をし、1日の労働時間はおおよそ3〜4時間であるという。
農業資本主義が登場した中世以降の欧州においては、農業の他に副業で手工業とその生産・製造・販売をしていた。

司馬遼太郎氏は新聞社を6回ほど転職したと聞いた(文藝春秋中のコラムだと思ったがソースが出ない)。

残業が当然と言う風潮はいつから出来たのだろう。昭和の頃はおおよその家庭が夜の9時から10時に就寝していたではないか・・・

ひどいのが、24時間での電話受付をせねばならない低給料の人間も現代社会に当然のこととして出てきたことで、昭和の頃は、そうした人間と言うのは上田ハーローくらいしかないかったはずである。

そんな中、常にローンに追われ、子供のために奴隷のような労働を深夜までこなし、上司におびえ、ストレスに耐え、タバコと酒が増えて健康を害す・・・
これは奴隷と言わずして何と言う? この現代社会の日本は病んでいて、社会的病理があるのである。
一方において、国内政治政策とくれば、大企業に有利な経済偏重の政策を打ち出し、それでいて、国内の長期雇用と国力を弱体化せしめた。
移民による経済政策の失敗と、その政策転換は今の欧州と米国を見れば明らかであり、失敗の前例があるのにも関わらず、その失敗の肥溜めに足を踏み入れようとしている。
日本政府には果たして記憶力が存在するのであろうか。

とは言え、そのような文句を言っているだけなのでは未来が開けない。
今の我々もそうであるが、将来の子孫がそうした困窮をしないで済むように、日本国国民全体の幸せを担保でき、母子家庭や障害を負った人などの不幸な人間はなるべく救えるようにし、かつ怠ける人間はそれなりに援助を停止するという社会を講じて然るべきものである。

現代の日本人は、その悪習に染まった既成概念から為る債務奴隷に陥っている。
これは比喩でもなんでもなく、それは実態のことだ。そこから国民全体を脱却させねばならない。
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