とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

妄想代理人 視聴 追記

2024-09-14 12:31:22 | 映像作品視聴感想
・妄想代理人を視聴したが、妙なすっきりさ加減がある。
・無論、この映像作品における一般的な評価は真逆だ。結論が出ないし、もやっとしているし、あらゆるところが腑に落ちないし、カタルシスがない。

・で、私は「すっきりした」と言うのは間違いなくある状態なのだが、わざと一般的な論と真逆のことを言って、奇をてらいたいのではない。

・恐らくではあるが、「創作はここまでめちゃくちゃでいいんだ」と言う安堵感、どちらかというと、整然と理論立てて完成するヨーロッパ的な感覚より、雑然とした繁華街でどこまでもごちゃごちゃというのを、(映像面ではなく)脚本面で敢えてそうした手法を取ったことに、「なるほど、アサヒビールがコクとキレのバランスの内、キレに振り切ったスーパードライを販売したように、ある一定の尖った分野に振り切って創出すれば、その飛び道具によってその選手はきわどいプレーヤーになりうるのだ」と言うことを見せたからではないか。

・言わばサスペンスの種の純粋な部分はここですよ(伏線回収はしないけどね)と言うことに振り切ったのがこの作品であったと言える。

通常の作品は、サスペンスやミステリ部分に心捕まれ、そしてその経過に納得し、感動し、最後に結論を得て、溜飲を下げたり腑に落としたりする訳だが、その最初の部分だけを切り取って出した感じはする。

・言わば、飲み屋に行って、お通しからサラダ頼んで刺し身頼んで唐揚げ頼んで鍋頼んで、最後は雑炊かうどんというコンボを決めるのを期待していたら違う種類のお通しを敢えて「うちはお通し屋です」と言う感じで、凝ったお通しをとにか並べたのがこれだったと言える。

・それを私自身が踏まえているのかどうなのか、私自身も分からないのだが、しかしすっきりしている自分がまたここにいるのもまた事実だ。

・今監督は、我々に現実と虚構の融合における映像美を見せようとして、そして我々を混乱させようとした。決して納得や感動を与えたい訳ではなく、純粋な映像の振り出しのみを行ったのである。

・尚、意味有りげなオープニングもエンディングもアイキャッチも、そこに含まれた意味を考えれば、結果としてそこに含有される意味など全然無かった。
 完全に視聴者を満足させるような向きではなく、今監督が満足したい作品を今監督が作り上げたかっただけであったことが分かる。


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