政治において、体制改革をする候補についての注意点を挙げる。
それは例えば、「既存の体制の破壊と再生」と言うスローガンを挙げる候補についてである。
2001年に小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す! 」(正確には「古い自民党をぶっ壊して政治経済の構造改革を行う」)と過激なスローガンで気炎をあげた時には、民衆はやんややんやと手を叩いて歓迎した。
ではそこで訪れた未来がどうなったかというと、ぶっ壊れた日本であり、そこに被害を被ったのは手を叩いていた民衆である。
これは手を叩いていた民衆が未来に対して盲目であったと言う他ないが、これは総合して考えるとどういうことであったのか、と言うのを振り返って、そしてそれを整理し、未来への予防線としてつなげておきたいというのがこの文章の主旨である。
平たく言えば、当時の下位層である民衆は既得権益に収奪されている感覚があり、それに辟易していたので、その上澄みを吸う上位層を破壊してくれる政治家の到来を待っていたのである。
既得権益によって経済が停滞している。
古い自民党がぶっ壊れれば、既得権益によって停滞している経済も変化が起こり、不況も脱せるだろうとの見立てで小泉氏に人気が集まった。
ではそれによって何がもたらされたか。
日本社会の上位と下位にあえて分ければ、上位は壊されることなく、下位に破壊のひびが走り、それは10〜15年ほどかけて老朽化した日本社会と言う建物を傾けさせた。
破壊を期待して支持をしていたら、数十年かけて破壊をされたのは長期的に見て自分たちであったというなんともしがたい皮肉を被った訳であるが、今後は我々としてはこれを警戒せねばならない。
破壊する、破壊すると言っておいて、実際に破壊したのは自分の支持基盤であってそれらの国民は十年もすれば忘れていると言う性質であって、当の政治家は責任を負っておらぬのだから、少なくとも最低は今後の未来においてそうした政治家を支持しないようにする注意が我々には必要なのである。
それは例えば、「既存の体制の破壊と再生」と言うスローガンを挙げる候補についてである。
2001年に小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す! 」(正確には「古い自民党をぶっ壊して政治経済の構造改革を行う」)と過激なスローガンで気炎をあげた時には、民衆はやんややんやと手を叩いて歓迎した。
ではそこで訪れた未来がどうなったかというと、ぶっ壊れた日本であり、そこに被害を被ったのは手を叩いていた民衆である。
これは手を叩いていた民衆が未来に対して盲目であったと言う他ないが、これは総合して考えるとどういうことであったのか、と言うのを振り返って、そしてそれを整理し、未来への予防線としてつなげておきたいというのがこの文章の主旨である。
平たく言えば、当時の下位層である民衆は既得権益に収奪されている感覚があり、それに辟易していたので、その上澄みを吸う上位層を破壊してくれる政治家の到来を待っていたのである。
既得権益によって経済が停滞している。
古い自民党がぶっ壊れれば、既得権益によって停滞している経済も変化が起こり、不況も脱せるだろうとの見立てで小泉氏に人気が集まった。
ではそれによって何がもたらされたか。
日本社会の上位と下位にあえて分ければ、上位は壊されることなく、下位に破壊のひびが走り、それは10〜15年ほどかけて老朽化した日本社会と言う建物を傾けさせた。
破壊を期待して支持をしていたら、数十年かけて破壊をされたのは長期的に見て自分たちであったというなんともしがたい皮肉を被った訳であるが、今後は我々としてはこれを警戒せねばならない。
破壊する、破壊すると言っておいて、実際に破壊したのは自分の支持基盤であってそれらの国民は十年もすれば忘れていると言う性質であって、当の政治家は責任を負っておらぬのだから、少なくとも最低は今後の未来においてそうした政治家を支持しないようにする注意が我々には必要なのである。
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