とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

なぜ過労死や自殺をするまで働いてしまうのか(個人的な一仮説)

2017-03-22 22:44:27 | 労働
私はとある事件が起きるまで、ずっと仕事についてこう考えていた。
一生懸命働くことは悪いことではなく、むしろ賞賛されることだ。時には無理をし、時には無謀をおかす。
そして全体のためになるならいいじゃないか。

しかし現実は全く違っていたように思う。
例え話をすると次のような感じだ。
親会社A、Aの下にある子会社B、Bの下に協力会社Cという会社構成の中、Aから発注した中の金額支払い条件に労働時間の基準達成項目があり、それをBが満たさないと金額が支払われない。よって、Bがその時間条件を満たす必要が出てきたが、プロパーのみでそれができない。
よってCの会社の人間に長時間残業を依頼することにした。
Cの会社の人間はそれを承諾。それがA,B,C全員が幸せになるのだと信じてそれをやった。
途中Aの社員が工法が変わったと通達した。その場合、工数が大きく膨れ上がる。
応援が欲しい意味もあってBの社員にそれを通達すると、Cの社員に「お前がやればいいじゃないか」と振ってくる。
仕方なくCの社員は一人でやって、その月は残業時間が104時間になった(だらだらやっていたのではなく、本当にパツパツの状態でやった)。
その数字を正直に上げたところ、Bからは「労働問題がうるさいので、100時間を超えないようにつけてくれないか」と言われる。
C社員は承諾。そのプロジェクトはCの頑張りもあって完了した。。。
というようなことがあっても、一向に誰からも感謝されない。礼も言われない。評価もされない。
むしろ労働倫理に違反した命令であり、BもAも、労働者にしわ寄せを行かせるような商契約を結んでいたことで多大なる迷惑をかけているのだから、侘びがあっても良さそうなものなのだが、一向にその気配も無い。
結果Cは言葉がしゃべれなくなり、10年弱を色んな部署を渡り歩いて日陰を歩くことになった。全ては上記の2007年8月のプロジェクトにおける、商契約を振っていたAと、それを請け負っていたBに帰結する。

全てはCの幻想と、BとAの虚実の理想を基にして作られた暗澹たる構造である。


さて、これはそもそもどのようにしてこういうことになったのか、いや、当事者たちはどのような意識や認識でこのようにしてしまっているのだろうか。
私なりの答えを先に書くと、恐らく日本人に特有な「忠誠心」や「忠義」というものが言葉にせずとも、暗黙の了解の内に組織構成にそれを求め、行動原理や組織原理にそれを組み込んでいるからなのではないか、と思っている。

何かあった時の、骨を拾ったり、あるいはケツを拭いたりするのが、個人が持つ忠義に対しての組織の正しい返報だと思うが、そういうものが一切無い時点で、「果たして忠義って何だろな」と思い、バカバカしくなってくる。
「きちんと組織に奉仕しろよ。でもお前に何かあってもその後の面倒は見ないからな」という態度ほど、忠義と返報の信頼関係において、裏切りが露見することは少なく、そしてその信頼における裏切りという意味の度合いが高いものはない。


タイトル「なぜ過労死や自殺をするまで働いてしまうのか」であるが、組織の忠誠や忠義が日本人特有にして働いているから、上からはそれを押し付けるし、下は暗黙の内にしてそれを守ろうとするのではないか。

本来は、死ぬまで働いたら組織はその後の遺族の面倒を見るというのが筋なのであるが、しかし現代版の忠義と忠誠は、その正しい返報がない。
殺したら殺しっぱなしでその後は何もしないという子供のような我侭がまかり通っているのが、今の日本社会のあり方であり、そこには、成熟した人間が構成する社会の倫理性というものがかけらもないし、非人道的な職場環境を構築しているのが現在の経営層なのである。

あるいは返報そのものをしないというのであれば、最初から死ぬ内容の仕事を割り当てなければ良いし、そうでなければこちらも従わなくて良いというのが常道だ。


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