とめどもないことをつらつらと

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引用OKす。

NBAスコッティ・ピッペンの献身の話

2016-03-26 17:47:36 | 雑感
これを紹介している武田先生はどちらかというとIS許容派であるので私の立場としてはちょっとコメントに困るのだが、しかし下記の文章は大変面白かったのでメモ。


人生の鱗 第九話 : 武田邦彦 (中部大学)
http://takedanet.com/archives/1013798072.html

 もう20年ほど前になるだろうか?そのくらい経つと自分が何歳の時だったかも忘れてしまう。ともかく、NHKの3チャンネルで英語中級の番組があり、それを日曜日にボンヤリと見ていたときだった。

 アナウンサーがアメリカのバスケットボールの選手にインタビューしている。見るからにバスケットボールの選手らしい体つきと、私はスポーツマンですよと言っているような爽やかな受け答えだった。大きな体なのにボソボソと話すその仕草もとても好意が持て、話の内容も比較的単純であっさりしていて、私の英語力でも十分に会話を楽しむことができた。

 インタビューの半ばにアナウンサーがこんな質問をした。
アナウンサー 「あなたがバスケットボールをする理由はなんですか?」
質問は月並みだったが、この答えは私が生涯、忘れることができない言葉であった。

選手 「それはバスケットボールに対するdedication(デディケーション)です」

 アナウンサーはこの答えに満足しなかった。アナウンサーが聞いたのは「なぜ、職業としてバスケットボール選んだのか?」という意味に近く、アメリカのバスケットボールのNBAに憧れたとか、小さい頃からバスケットボールが好きだったとか、そしてあるいはNBAリーグに入ってお金を得て両親に贅沢をさせたいとかそう言う答えを期待していたのだろう。

 それから見ると「バスケットボールへの献身です」というのは違う。献身(dedication)は「理由」にはならない。いったん、NBAに入り、ある程度年齢が経てば、欲得も無くなって献身したくなるのは判るが、最初からバスケットボールにdedicationするためにNBAに入ったというのも本当か?

 私がそう思った瞬間、はたしてアナウンサーは食い下がる。
アナウンサー 「お聞きしたいのは、バスケットボールを選んだ理由ですが?」
と踏み込んで聞いた。それでもその選手の答えは同じだった。
選手 「ええ、バスケットボールへの献身です」
アナウンサー 「献身?dedicationって何ですか?」
選手 「はい、バスケットボールをすることです。」
アナウンサー 「はあ、バスケットボールをするって??」
選手 「私は、バスケットボールをすること以外は何も考えていません。なぜバスケットボールをやるのかも、NBAのことも、契約のことも何も考えていません。ただバスケットボールをやっています・・・」

 選手は椅子の上でその長身の体を二つに折ってアナウンサーに話しかけていた。穏やかに笑っている顔には厳しさが見られなかったが、それでもその姿には気品があふれていた。アナウンサーは「はあ・・・」といったままでしばらく黙っていた。

「バスケットボールへのデディケーションですか・・・それだけ、それだけですか?」
その選手の前で視聴者としての私も、そしてアナウンサーも凍り付いてしまう。その選手の言っていることはなにも驚くことはないことだけれど、私たちが遠い昔に忘れてしまっていたことである。

 あなたは何をしたいのですか?どの大学に入りたいのですか?会社は?結婚相手は??・・・すべては情熱的な答えか、名誉ややりがい、そしてお金などの答えが返ってくるはずであるし、それが正しいと思っていた。そして誰もがもし「お金ではありません。ただすることだけです。」「私の名誉とかお金ではありません。ただ正しい政治をします。」といってもまったく信じてもらえない時代である。

 でもこの選手の姿勢、言葉使い、そして目の光り、それが真実であることは私にもはっきりと判った。人が何かをしようとするとき、その理由はデディケーションだけで十分なのだ。そして試合に勝つとか、見事なゴールをいれるとかそんなことは問題ではない。ただバスケットボールをすることだけ、それ以外はなにもない、とその選手の顔には書いてあった。

 バスケットボールが好きだというのでもない、ゲームに情熱を注ぐのでもない、観客の励ましでもない、ただバスケットボールをすること、それが彼の全人生なのだ。

 私は爽やかな気分になり、英語を勉強していたことを忘れ、そしてこの選手の言葉が私の生涯の言葉になった。考えてみれば人間は利己的な生物だが、それでいて何かに身を捧げている時が一番、美しく、楽しく、充実している。それは決して自分の為に行動している時ではなく、自分が産んだ子供、自分の教え子、科学、美術、そして社会、自分ではない何かに熱中している時が人間を幸福にする。
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