とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

楳図かずおの社会的皮肉

2014-08-25 20:06:22 | 哲学・社会
ホラー漫画家として知られる楳図かずお氏がいる。
作風を見てもらうと分かるが、美麗なようでいて、生理的嫌悪感を出し、それでいて尚、惹きつけながらも、読者を突き放す。そんな絵柄と内容の漫画である。

どこに惹きつけられ、そしてどこで突き放されるか。それは登場人物の独特の描き方にある。
主人公たちは一見して美しく描かれるものの、真剣な顔立ちの場合はそのまま美しく、笑顔の時はとことん造られた人工的な匂いを醸し出す。この人間の不作為と作為、自然と不自然を皮肉的に描き出すのが非常に上手い。

現代の広告を見てみよう。
どこを見ているのか分からない、目の焦点の合わない広告の中の登場人物たち。そこに見える空虚とメッセージ性の虚空。それを楳図氏は、漫画の中の登場人物に演じさせることによって、その皮肉を社会からえぐり出すことに成功した。

本来自然に見えるテレビや広告の中にいるお前たちはとことん不自然なものだろうが。それをなぜ自然であるかのように振舞っているのだ。これは虚偽で、テレビの中の自然とは詐欺なのである、と。

楳図作品は度々不気味な印象を与えるが、そうしたものを意図的にえぐりだしてそれを絵にしたのであれば、もはや天才と言う他ない。
この世に伝えられているメッセージに意味はなく、テレビは大衆を扇動せんがための操作装置、その不気味を覆っていて尚且つそれが自然であるとするテレビ側の強引な主張、そしてそれに迎合する弱き大衆たち・・・

私はテレビを見ない。思考が停止し、魚群に加わることを恐れる。
かつて、東京03と言うお笑いコンビが流行ったとき、そのネタを職場のHさんがやっていて、それを知らなかった私は併せ笑いで笑っていたが、ある時、あまりに反応が薄かった際に、「テレビくらい見ろよー! 」と笑いながら注意された。無論この注意はそれを言った人の優しさからだ。

ただ、それは、何も考えない魚群の一員として加われ、と言うことなのだ。自分が好きなお笑いくらい自分で決めさせて欲しい。他人が笑うから自分も笑うと言うのは、社会において必要なことかもしれないが、お笑いでの送り手と受け手のがっぷり四つ真剣勝負で見た場合、他人が笑うから自分も笑うなどの、自分の好みでさえ自分で決定できない、自分がおかしいと思う笑いのセンシティブでさえ他人に委ねなければならないと言うのは、ある種軽度の知的障害なのではないか? と思うがいかがだろうか。自分が面白かったら素直に笑え、面白くなかったら笑わねばいい、ただそれだけなのに。

話しを戻すが、楳図作品は、そうした社会の虚偽性、薄っぺらさを知らぬ間にえぐり抜く。
その絵に隠された社会への批判と言うものを私は感じる。この感覚は一般的ではないと思う。下手をすると、私だけにしか分からないのかもしれないが、しかしだからこそここに書いておこうと思う。


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