とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

能力無特性と言う造語

2024-05-04 23:11:49 | 文章・日本語・言葉
能力無特性と言う言葉を考えてみた。
(私が個人で考えたもので、一般で使用されている言葉ではない)。

人と付き合うには生来で持つ多少の技術が必要となる。
他人の心を読む、上手く調整できるようにしゃべる、相手に会話を広げるように投げかける、自分からの報告は最初の一言で要約するなど。
それができない人間は、現代社会において重度のものは発達障害として分類される。

これ以外にも別個の分類を設けるべきだ。
つまりは上記のようなコミュニケーション技術とその生来獲得、あるいは生来における損失は「発達障害」として規定されることになったが、これは人が社会集合をなす近代以前は問題にならなかった。逆に言えば、近代社会になって過密な社会集合の規定のラインに到達できないことが問題視され、それが病気や障害と言う形で分類されるようになった創作された病気・障害の分類であろう(本人に痛みや苦しみの基本的な病識はないが、社会集合に触れることによって、心理内面における葛藤を二次的に感ずるようになる)。

こうした分類はまだある。
・時間を守れない。
・嘘をつく。
・規律行動が取れない。
・食事制限ができない。
・喫煙制限・飲酒制限ができない。
・過度な性交を好んだり、逆に性欲が全く無く、適切な頻度での性欲発生ではない。
・事実上の世界共通語となっている英語がしゃべれない。
・個人での生活が独立してできない。
・睡眠を十分に取れない生活で大丈夫だと思っている(生命維持における根本的な判断能力の欠落)。
・長期記憶能力がなく、周囲の短期的ムーブメントに流されやすい。
・近眼である。

と言うのを皮肉で挙げてみたが、これらは現代社会において新しい病気であるとも定義することは可能になるのではないか。
ちなみに20世紀半ばまではゲイであることが犯罪だった。
アラン・チューリングは1952年に同性愛の罪(風俗壊乱罪)で逮捕転向療法としてホルモン治療を受けたことから、当時のイギリスにおいては同性愛は精神障害であると考えていたようだ(そいだらギリシャ時代から発生していた同性愛の人間は全員精神障害だったのかっつー)。

で、こういう無茶な分類において、それはそれぞれの特質なんではないのか? と言う側面において、各バロメーターにおいて特質が獲得できているか、できていないかの分類と、それに倣う呼称があれば良いのではないかと考えた。

例えば、生来的に時間を守れない人間は「時間を守る」と言うパラメータにおいては、その能力における特性を獲得していない、と言う意味において、「能力無特性」と呼称する、など。

例)
「この人は時間遵守のパラメータの生来特性が能力無特性です」

そしてそれに対し、今まで努力と根性で何とかしていた運用を、近眼に対する眼鏡をつけるように、補助器具をつけて組織運用として対応する。

例)
「はい、ですので、私はスケジュール入りのアラートバイブ付きのスマートウォッチをつけて対応していますので、これの着用をしての作業となります」

こうした人間のパラメータごとの生来機能の特性の獲得・無獲得をサイエンスとして分析し、運用として対処していくということが、今後の未来に必要なのではないか、そう思う。

つまり補助器具や一定の訓練による獲得や向上が見込めるのであれば、努力と根性で何とかしていた運用はサイエンスで置き換えるのである。

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