とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

韓国船舶救助からのイチャモン事件

2023-09-02 08:05:06 | 海外・国内政治情報等


・そいだら自分らが助ければ良かったのに。
・多分自分ところの不備をごまかすために相手に怒ってるんだろうな、と。
・で、こういう人は日本人にもごく稀にいますが、そういう人は日本社会で絶対的に尊敬されない。
 本来は発声事実を基調として真摯にものごとの解決を両者が図るべきなのに、自分のミスや犯罪をごまかしてどうにかしようとするような、人として下中の下の行為だからだ。
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ハイジのオープニングめっちゃ語りたい2

2023-09-02 08:05:06 | 映像作品
と言うことで2記事目。

・まずオープニングのブランコは1往復半。
 行き(正面進む)で、ハイジのはつらつさを出す。
 途中の折返しで、歌の疑問符を歌詞とメロディーと絵の戻りで表現(素晴らしい! )
 帰り(正面戻る)で、鳥4羽がハイジについていく。
 で、視線がそっちに誘導されるので、ハイジがここでパンチラしているのは誰も気づかない。
 と言うか私はパンチラ大嫌い人間なんで、これどうして? と思ってたんですが(絵で表現したくないものはアニメにおいて絶対書かれない)、これ高畑さんの趣味がここに出たんじゃないの的な。いや、当時はわかめちゃんのように、パンツ出てて当然みたいな感じではあったからまあいいんかね。現代から見ると絶対やらん表現ですけれども。
 で、更に行き(正面再度進む)で、鳥がハイジに乗ってて、いやこれ本当こういうことあったらいいなあと言う感じを持たせるんですよね。野生の鳥は絶対こういうことせんでしょうけれども。

・ハイジのオープニングでの曲は不思議な構成になっている。
 そもそも短いと言う特徴があるが、日本の曲の80〜10年代の曲からすると、スタンダードを外しているのだ。
 普通は、イントロ〜Aメロ〜Bメロ〜サビ〜シメの構成なのだが、ハイジOPはBメロがない。またシメが一般的な曲と比較し、比率的に異様に長い(最後のヨーデルの部分)。シメに盛り上がりが来ているところもあるので、ある種サビが二回続いているような感じである。
 流れはイントロで曲の雰囲気紹介、Aメロでこの曲はこうですよ、と言う説明、Bメロでサビにかかる疑問(私たちはこのままでいいの? 的な自問)、それに対する回答をサビで歌い上げ、シメで自分たちの心に結論をつける、と言う具合である。で、このBメロがない。
 そもそもAメロでおじいさんに質問する構成になっているので、Aメロのメロディーは初期説明のものでありながら、歌詞がBメロで使うような疑問になっているという不思議構成である。
 言わば、ハイジのOP曲はイントロ〜Aメロ(兼Bメロ)〜サビ〜サビ(兼シメ)と言うよく分からん構成なのだ。それであるにも関わらずあの完成度である。

 ただ、曲はこういう風に自由に作っていいし、かつ、それに併せて素晴らしいアニメーションがあってもいいと言う再発見でもあろう。

・OP最後の秋→冬→春と言うのも素晴らしい構成だが、これもまた変則的だ。
 普通は春→夏→秋→冬ときて→春として、再び春が来て良かったね、と言う形にするのだが、どうして秋からスタートしようと思ったし。構成上の時間の制限もあっただろうが、しかし本当にセンスがズバ抜けている。

・岡田斗司夫さんの理論によれば、右を見ているのが未来、左を見ているのが過去を示しているらしいですが、このハイジの場合はOPラストに左向いてますよ。これどう説明するのか興味ある。
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神の差配する土地の外

2023-09-02 07:43:56 | 雑感
私はこれまで「運がいいなあ」と思ったり、あるいは逆に「運が悪いなあ」と思ったりしたことは様々にあったが、総合的に見てどうなのかが今ひとつ整理できない。

大局的に見れば、今の時代の日本に生まれたと言うのはかなり運が良いが(世界地域的に見て2%の当選確率、かつ歴史的に見て日本の歴史が1300年だとした場合、20歳の世代交代で換算した場合この時代に生まれるのが1.53%の確立なので、総合で0.0307%(おおよそ一万分の3)の確立の宝くじに当選したことになる)、一方、私が私の特性で生まれ、私の家に生まれたのはどうもその状態が明言できない。

そうした時、私は神様を想像したりする。
神様は運の差配を全員にやっているが、私は運が悪くていいだろう、と思ったのだろうか。

とここで私が思い返すことがある。
これまでの経験を総合すると、私はある意味神様の操作の範疇外なのである。

と言うのも、どうも運が良い人が世の中にいたりするのだが、それを後押ししたりあるいは原の立つことがあればそれなりにマイナスポイントをつけたりすることができるのだ。
恐らくこれは運の悪い人への行為も同様だろう。
こうしたことに対し、運が良くなったり、あるいは運が悪くなったり、そうした運における報奨と罰金がないのである。

神の差配する土地の外に私はいる。
そして運命を規定しているスケジュールがあり、それが書かれている石版があるとするならば、私はこれを削り取ることができる。実際私はそれをしたことがあるし、今もその一つは実行中だ。

よくこの長大なる、抗うことが能わざる運命に挑戦し、その運命の石版を削り取ると言う所作は、日本の創作物に現れる。私もそれを現実としてやっている、とも言えるだろう(今やっているのが成功するかどうかは分からないが・・・)。

運命は変わらない、しかし削り取ることができる - とめどもないことをつらつらと
https://blog.goo.ne.jp/booter/e/da0ea53d606ea87b65152b919f8802fc

・マルドゥックスクランブル(ハードボイルドSF小説:冲方丁)
 バロットとウフコックのペアが、難攻不落のアシュレイに対して「削り取り」で挑む。

・ドリフターズ(ダークファンタジー・戦略漫画:平野耕太)
 織田信長が不死のジル・ド・レイに対して「削り取り」を強行する。
 その時のセリフ:
 「万象は必ず滅びる!!殺せる!! 射て!!射て!!」

・鋼の錬金術師(中世錬金術ファンタジー:荒川弘)
 不死のホムンクルスに対して「削り取り」を敢行する。
 その時のセリフ:
 「ならば、死ぬまで殺すだけだ」

・デスノート(ミステリ・コンゲーム:大場つぐみ)
 正体不明の死亡事件に対し、探偵lが絞り込みにおいての「削り取り」を実行する。

・ショーシャンクの空に(刑務所ヒューマンドラマ映画:監督フランク・ダラボン)
 小さいツルハシを使い・・・

・天元突破グレンラガン(ロボットアニメ:中島かずき脚本)
 その中でのシモンのセリフ:
 「俺たちは一分前の俺たちより進化する
  一回転すればほんの少しだけ前に進む、それがドリルなんだよ!!」

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「憶えられないことは憶えられないでいいの」と言っていた母

2023-09-02 07:28:21 | 雑感
母が「憶えられないことは憶えられないでいいの」と言っていた。
これを丁寧に書いていく。

「憶えられないことは憶えられないでいいの」と突如母が言った。
ラジオでそう言っていたらしい。
一般的にはこれがどういうことなのかと言うのが類推できると思うが、これを言語化する。

元々母は、何か新しいことを憶え、それを生活に用立てたりハイソな生活を送れるようにすることに、自らのアイデンティティーを確立していたらしい。
そして、そこの知識的なマウントを取って、家族の中では場を支配することを好んだ。
その相乗効果として、それが自分のアイデンティティーの一部として更に組み込まれていった。
本人としてはサディズムを意識したことはないだろうが、家族としてはその支配と束縛に辟易していた。
例えば、「〇〇って知ってる? 知らないでしょう? 〇〇はねえ」と言った具合に、知らぬ人間に知識的供与をすることによる指導と場の支配、そしてそれを行えるボスとしての自分にアイデンティティーを憶えていたらしい。
本人としてはこれもまた、自分自身がボスだとは思っていなかっただろうが、傍から見ればその通りであった。
簡単に言えば、船場吉兆のささやき女将のような感じの女性だったのである。

が、加齢をするにつれ、段々と新しいことが憶えられなくなってきた。
知識の多寡により、場を差配することができなくなってきた。

そうした自らの能力とアイデンティティーの減衰を憶えた時、静かに煩悶を憶え、そしてラジオから聞こえてきた言葉に、自らの心を納得させ、呼応した。
ラジオ曰く「憶えられないことは憶えられないでいい」と。
本人はこうした明確な定義(ボスのサディズム・場の支配)は意識していないようだが、自然にそうした立場を諦めるようになったようである。

ただ、そこのニュアンスとしては、「本当はもっと過去の自分のように自分らしくありたいのに、そうでない自分を諦めきれない」と言う吐露があるようにも思われる。

私が思うに、生き生きとして、自分らしさを取り戻すのはいいとは思うが、それによって他者が何らかの被害を被るなら話は別だ。

老齢にさしかかるにつれ、普通なら様々なことから手を離し、隠居の生活に入るのだと思うのだが、高齢者があれやれこれやれ、俺の権利は若者の権利より優先すべきだと言っている間は、日本が一皮むけて新しい社会として再出発することは叶わないのではないかと考える。
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