発達障害のことを記事に書いていたら、その最中にその逆となる人を思い出したので書く。
その人とはHさんである。
Hさんは、私が2006年4月から2009年6月まで働いていた職場での、親分肌の体育会系のスポーツマンで、私の面倒を凄くよく見てくれた方だった。
最後は残念な形になったが、しかしそれでも当時のことについては感謝申し上げたい。
さて、このHさんは発達障害とは完全真逆の、完全リア充の明るいキャラで、色んな人との接点があった。
人に対して凄く良く気が利くし、人格も性格も本当にいい。
人の話はお笑いのノリで押し通し、悲しんでいる人がいれば共に悲しみ、落ち込んでいる人がいれば最初は離れて、タイミングを見て元気づけていたりした。
が、この人は完全無欠ではなかった。
Hさんはコンピュータの会社に勤めていたのだが、コンピュータの基礎中の基礎であるバイナリファイルとアスキーファイルの違いが分かってなかったのである。
こういう人はたまにいる。3年ほど前に私の上長であったTさんは基礎中の基礎であるhtmlファイルの作成もやったことがなかったというので私がレクチャーしていた(20年近くコンピュータ関連の仕事で勤続していたとは思えない)。
まあこういうことを言い出せば私もそういう感じではあるのだが、それでもちょっとなあ・・・と。
恐らくこうした発達とは真逆のドのつく定形の人と言うのは、理論的思考がかなり苦手なのだろう、と言うのが私の感想である。
それよりも人の心の機微を察知し、人との付き合いを円滑にする、と言うこの人ならではの得意技が発揮できて私は羨ましいなあと思ったこともあるし、こうしたスキルの方が社会的には重要なシーンが沢山あるだろう。
その人とはHさんである。
Hさんは、私が2006年4月から2009年6月まで働いていた職場での、親分肌の体育会系のスポーツマンで、私の面倒を凄くよく見てくれた方だった。
最後は残念な形になったが、しかしそれでも当時のことについては感謝申し上げたい。
さて、このHさんは発達障害とは完全真逆の、完全リア充の明るいキャラで、色んな人との接点があった。
人に対して凄く良く気が利くし、人格も性格も本当にいい。
人の話はお笑いのノリで押し通し、悲しんでいる人がいれば共に悲しみ、落ち込んでいる人がいれば最初は離れて、タイミングを見て元気づけていたりした。
が、この人は完全無欠ではなかった。
Hさんはコンピュータの会社に勤めていたのだが、コンピュータの基礎中の基礎であるバイナリファイルとアスキーファイルの違いが分かってなかったのである。
こういう人はたまにいる。3年ほど前に私の上長であったTさんは基礎中の基礎であるhtmlファイルの作成もやったことがなかったというので私がレクチャーしていた(20年近くコンピュータ関連の仕事で勤続していたとは思えない)。
まあこういうことを言い出せば私もそういう感じではあるのだが、それでもちょっとなあ・・・と。
恐らくこうした発達とは真逆のドのつく定形の人と言うのは、理論的思考がかなり苦手なのだろう、と言うのが私の感想である。
それよりも人の心の機微を察知し、人との付き合いを円滑にする、と言うこの人ならではの得意技が発揮できて私は羨ましいなあと思ったこともあるし、こうしたスキルの方が社会的には重要なシーンが沢山あるだろう。