とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

猪突猛進でとにかく失敗をしまくった話

2018-05-02 23:54:22 | 会社での出来事
結論を言えば、「若い頃は失敗をたくさんしろ」だなんて言うが、そういう話しは職場によりけりであって、職場によっては責任を押し付けられる可能性がものすごくある。
なので、私が若い人に言うなら「□□(とある企業)で働くなら失敗はするな、そしてチャレンジなんかも絶対にするな」と言う、私の経験論に基づく意見を言っておきたい。

しかしそれと同時に、私個人の理念として「致命的な失敗は避ける。しかしだからと言って自分のやりたいことのチャレンジは続けた方がいい」と言うことにもなる。


仕事を考える場合、人の人生におけるその比率は長くなるが、私が仕事人として輝いたのは僅か2年とちょっとである。

その間、私はとにかくがむしゃらに仕事をした。
成功についても、私個人の主観からすれば多かったように思うのだが、失敗もものすごくしたのである。

その当時の職場においては、とにかくマイナス1点をつけられると、マイナス一億兆万点をつけられるのとほぼ同義で「あいつはああいう失敗をしたから」と言うことを、在籍している限り延々と言われ続けると言う、今思えば超陰湿な職場であったように思う(そして、もしかしたら「昔こんなヤツがいてさー」と言う感じで今でも言われている可能性がゼロではないのが恐ろしい。)。

そんなこんなであらゆるところでバリバリ仕事をしたが、あらゆるところで失敗もした。
そこでの一つの失敗は永久に評価を受けないことに繋がる。私はこの出世の作法を知らなかったので、人生が破綻した。

私のした失敗は次のようなものである。

・先輩のSさんが「細かい作業記録をつけなくていいんじゃないか」と言っていたのを、最初抵抗して細かくつけていたが、二度三度と言われるので、「職場であまりカドをたてるのも良くない」と判断し、先輩同様おおざっぱにつけるようにしたところ、その数年後に親会社課長Iさんに「この付け方はよくない」と指摘された。当のSさんはその後退職。

・2008年1月に事故を起こした。
 その事故の直接原因は、私がテストをしなかったからなのだが、なぜテストをしなかったのかというと、親会社主任(当時)のIさん、小会社主任Iさんと私の三人で相談し、「ここの全体テストをしなければ工数が削減できる」として、テストをしないと言うことに決まった。
 その内容は親会社主任Iさん、親会社課長Iさん(Iさんが三人いるのもややこしいが)の承認を得た。
 なぜそうなったかというと、保守案件では限られた工数しかさけなかったからだ。そしてそれでも受注してしまったのはなぜかというと、それまでの慣習として依頼元への御用聞きを廃止できなかったからだ。
 つまり依頼元に御用聞きに行くにしても、私のレベルで「そりゃー難しいですね」と断っていれば丸く収まっていたらしい。

 この企業では、何か事故が発生した時には、再発防止として「なぜ」を5回繰り返して根本の根本たる原因を遡及し、その発端を理解し、抑止することで事故を防ぐ、と言う処置を行う。
 私自身は「御用聞きが廃止されるのかな」などと構造的問題まで遡及するのかと思ったが、結果は違った。
 I課長の後任であるO課長と、引き続き主任だったIさんと私の三者で行われた原因遡及の会合では、「作業者である○○(私)が、計画になかったテストを念の為にやっていなかったことが悪い」と言うのが原因として規定された。

 私自身は、今になって振り返ると、「この企業体の原因遡及の仕組みは機能していないな」とは個人的に思うものの、この企業体ではそれを良しとしていたので、それで機能しています、と言うことなのだろう。
 私個人から見れば、なぜを5回繰り返すと、長期的な時間の遡及と、より大きな構造や仕組みに行き着くものだと思っていたが、どうもこの会社で思っていることとは違ったらしい。どうも「なぜを5回繰り返す」と言う行為は、その範囲をできるだけ過少にして上に報告する仕組みだったらしい。


さて、そこで数年働いたが、途中、親会社と子会社の間での契約で取り決められている人月労働の単位に不足が生じたらしく、誰か一人長時間残業をやればそれが満たされるじゃないか、じゃあやろう、と言う話になって私に白羽の矢が立った(この時点で違法性のある判断だろう)。

私はそれを受け、仕事をしたところ、途中で工期が増えた。
この状態を報告した際「お前がやればいいんじゃないか」とハネられ、残業時間が100時間を超え、それを素直に出したら「労働の方で問題があるから100時間は超えないようにつけてくれ」と言われた。これも違法性のある発言だろう。
ちなみにその仕事は2007年の8月のことで、上記のセリフは、2007年9月に子会社課長のYさんが言ったものである。


厚生労働省労働基準局長通達によれば、『脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について』の中で、
http://www.mhlw.go.jp/houdou/0112/h1212-1.html
(2)発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる

と言及しているので、私個人の健康を害して人生が破綻することを是認し、企業の利益を優先して求めることをその企業体の思想として是認していたのだろう。


この違法性の疑われる判断と命令については、この会社は何らの対策をすることもまったくなく、暗黙の内に是認しているような、ある意味反社会性のある企業として今も存在している。

2007年9月から2007年11月の二ヶ月で私は体重が8キロ減った。
そして2008年1月に上述の事故を起こすことになる。これがとどめになったように思われ、その後私はまともにしゃべれなくなった。


その後、子会社主任のOさんと面談をした。
「○○(私の名前)、仕事から逃げるな」とOさんが言ったものの、私が人の15倍仕事をしていたことを話し、誰も認めてくれないのだと愚痴を言ったところ、「○○(私の名前)、それって□□(当時のその子会社の略称)は悪くないよな? 」と言って逃げた。

もう本当にね、何を信じたらいいのか分からない。
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決断力とは何か

2018-05-02 10:54:37 | 文章・日本語・言葉

決断力(ケツダンリョク)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%B1%BA%E6%96%AD%E5%8A%9B-490664

デジタル大辞泉の解説
自分自身の判断・責任で決断する能力。「決断力のある人」


大辞林 第三版の解説
けつだんりょく【決断力】
はっきりきめる能力。 「優柔不断で-に欠ける」



私が思うに、世の中で「決断力」と言うものを問われる場合、上記の説明では不足するように思う。
よってここに補足する。

決断とは、その瞬間的な重要な場の、瞬間的な重大な判断を下すと言う意味で使用されるが、
しかし現在の社会においては判断するだけではない。

1.総合的知体系を生かして、より低ダメージ、より高利得、より低リスクの選択肢を選択できているか。

「あの人には決断力があった」と言うのは、単純に「重要な場で誰もが震え上がるような場であるのに肝が座った判断をした」と言う使い回しで使用されるが、それだけではなく、過去に習得した知識や経験によって、長期的な未来で良い結果が出るように、現在において判断をした、と言うことになる。
よって、その決断の良さ・悪さには、その人個人における学習知体系や、経験知がその要素を大きく左右する。

2.集団におけるリーダーシップ

大きな決断をする時には、たいてい、長期的な結果をもたらしたり、あるいは膨大な人数の人間の運命を巻き込むことになる。
全員の運命を長期的に左右する決断をすることができるかという、
「集団をひっぱり、リードする精神」たるリーダーシップを、適切なタイミングで実行できるか、と言う点が問われる。

尚、これに失敗したり、あるいは適当に行って何の説明もない、もしくは対面での説明が無かった場合、配下の人間は運命を狂わされ、恨むことになる。

3.意志と決意を継続し、長期に渡って続ける力

通常、判断や決断は、その判断や決断を下す、その場その瞬間での選択肢の選択を指すことが多いがそうではない。
「決断力がある」と言うのは「将来に渡って、自分の人生の時間的コストを浪費し続けても、それをやり遂げる意志を持つことを誓う」と言うことなのだ。


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