とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

日本って世界的に起源となっているものはあまり無いよね、ということへの反論

2013-11-04 15:12:10 | 日記
実際問題、日本は何かをゼロから生み出すことは少ない。そのような体制と制度が整っていないのと同時に、知識的反復横とびを推奨する減点評価体制であるからだ。

例えば、Googleでは、法に触れるか触れないかというのは後で考え、とりあえず発明してみる、という体制を取っているようであるが、これは日本の企業からすると信じることはできないだろう。

もし、日本の企業でこうしたことを言い出そうものなら、失敗したときに誰が責任を取るんだ、という話しでもちきりになり、そして雲散霧消となる。
日本での少しでのキズというものは、日本人が最終目標とする安定した人生を生み出さないのである。これではアメリカに勝てなくても仕方が無い。
繰り返すが、減点方式の日本ではリスクのある新しい製品を生み出すことは出来ない。
あるいは、マーケティングや広告がいけなかったのかもしれない。
非常に辛口になるので、関係者には申し訳ないのだが、はっきり書かせて戴くと、ソニーは商品開発能力が無く、広告やマーケティング戦略だけが優れている会社となってしまった。その杞憂は、辻野晃一郎さんがその著作に書いたところと同じ気持ちである。
それは減点方式の会社体制による。また、日本人自身は「迷惑をかけない」ということを美徳としている為、少しのマイナスで大きなプラスを得る、というチャレンジに対してさえも挑戦しない。少しのマイナスを大いに恐れ、マイナスがあるのならやらなくてもいいや、という気持ちに落ち着いてしまっているのである。そうした国民的気質が、「多少の迷惑はかけても、自分の大目的を達成する」というアメリカ的気質に勝てぬのは自明であろう。

で、あるが、じゃあ日本が今まで何もしなかったかというとそうではないというのが今回のお題である。
意外にも商船の造船業は世界二位。ゲームも日本は世界を席巻しているし、自動車も然りだ。これは0から1の創作は苦手であるが、1から4,5の飛躍は得意とする日本人のお家芸である。

また、「日本にはオリジナリティが無い」というそのような外国人がいれば、各国の軍隊に導入されている柔道科目を全て無くしてくれと言ってみたいがいかがであろうか。

私は次のように考えている。欧米諸国では、個々の白兵戦における徒手格闘技術というものは余り発達しておらず、重要視されていない。
ルーズベルトがWW2前に海軍士官学校に柔道を導入したが、その内廃止されたのも海軍至上論で不要と判断された為であろう。
しかし柔道の投げ技などを格闘科目に組み入れた軍は多いのではないだろうか。ロシアにはサンボやあるいはシステマなどの軍隊格闘技術があるが、柔道のエッセンスも取り入れているのはプーチンの来歴を見れば分かる。
フランスは日本に次ぐ柔道大国だ。
格闘技術を学びに、アジア諸国に出向いているという例で日本以外の国があればそれを教えて戴ければと思う。

白兵における武術は間違いなく日本が参考にされている。無論、各軍隊でそれぞれの特色がある為、組み入れるものは様々だろうが、日本の柔道を外すことはできないのではないか。

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二次創作権論・二次創作史論

2013-11-04 13:40:38 | 日記
一般に考えられている通り、誰かがオリジナリティのある著作を発表した時、簡単には創造できないようなその独創性、神秘性に価値が認められ、その創作者を認め、そしてその対価が支払われるように社会的なシステムが整っている。

当然ながら、盗作というのは、その独創性や神秘性を創出していないのにも関わらず、その価値と権利と対価を求める行為であるので、それらは認められることはないし、社会的システムとしてそうであるべきではない。

しかしその完全なオリジナリティと盗作の間には中間地点がある。パロディ、オマージュ、リスペクト、インスパイア、フォロワー・・・。これらは世間に認められないどころか、かえってその価値が増して、大切にされた例や、その芸術性を昇華させた例すらある。これを各ジャンルごとに見ていこう。


<小説>
ヴェニスの商人/ウィリアム・シェイクスピア

あまり知られていないが、これは二次創作である。既にシェイクスピアがこれらを創作する以前に4つの民話が存在し、これを滑らかにつなぎあわせたのがシェイクスピアの功績だ。
ヴェニスの商人の巻末解説にこのことが詳しい。詳細は解説付きの書籍を当たってみて欲しい。

ウィリアム・シェイクスピア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2#.E4.BD.9C.E5.93.81
当時としては一般的なことであるが、シェイクスピアの戯曲は他の劇作家の作品に依拠しているものや、古い説話や歴史資料文献に手を加えたものが多い。例えば、おそらく『ハムレット』(1601年ごろ)は現存していない先行作品(『原ハムレット』と呼ばれる)を改作したものであることや、『リア王』が同じ題名の過去の作品を脚色したものであることなどが研究の結果明らかとなっている[16]。

<音楽>
これは項目別に見ていこう。
タイトルで検索すると、試聴できると思う。
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・変奏

 原曲:
 タイトル「Ah ! vous dirais-je maman - Lucienne Vernay et Les Quatre Barbus」

 メロディーのみ抜き出し:
 タイトル「 How to play piano 1. Twinkle, twinkle little star (right hand only) 」


 伴奏付:
 タイトル「 How to play piano: Twinkle, Twinkle, Little Star [Easy Piano Tutorial] 」

 変奏:
 タイトル「【hosnm4536】超絶技巧「きらきら星変奏曲」 」
 00:52より。

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・サンプリング

 原曲:
 タイトル「5:10 Eddie Johns - More Spell on You」

 サンプリング編集後:
 タイトル「Daft Punk - One More Time」

 サンプリング解説:
 タイトル「Discovered - Make "One More Time" from "More Spell On You" 」

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・サンプリング

 原曲:
 タイトル:「bobby glenn - sounds like a love song」

 サンプリング編集後:
 タイトル「JAY-Z - Song Cry」

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・サンプリング

 原曲:
 タイトル:「Bach "Air on G String" 」

 サンプリング編集後:
 タイトル「Sweetbox - Everything's gonna be alright」



以上のように、盗作についてはその権利は当然ながら認められないけれども、二次創作において、盗作とオリジナル創作の中間地点においては、その芸術的価値、文化的価値が昇華する例が存在する。

さて、ここで道義的に問題であるのが、オリジナルありきで二次創作が出来る部分があるので、オリジナル源流に当たる人たちの権利や利益は保護されなければならないが、上記の例はいずれもオリジナル創作をした人たちは権利を主張していないことにある。


====
製品加工は戦後日本の得意技であったが、文化的な加工も然りであろう。カレー、ラーメン、天ぷら、いずれもこれらの食文化は外来が起源であるが、いずれも日本風に全て昇華するに至った。
起源の場所が最高のものを出すというのであれば、インドに行ってカレーを食べればいいし、中国に行ってラーメンを食べればいいし、ポルトガルに行ってフリッターを食べたりすればいいのである。

世界とは文化の折り重ねで出来ている。影響を与え合う文化が、あたかも複数の蔦が同じスピードで曲がりくねりながら伸びて、そのラインを描いてきたのが現在の歴史である。

日本の北斎がいなければ、フランスの印象派は誕生しなかった。
日本の株価チャートのローソク足は各国へと広がった。
イギリスがなければ、各国に広がるユニバーサルジョイントや内燃機関は無かった。
アメリカがなければ、高層ビルや飛行機やインターネットは無かった。
中国は紙と火薬と羅針盤を発明し、インドはゼロを発見した。
これらの知識と素養は各国へ伝播し、駆け巡り、その上に更なる何かを生み出している。

日本という国は加工貿易国である。ならば、初出の人間の権利を保護をするべきと同時に、それを加工して昇華したものを作りうる二次創作を行う人間の権利を保護すれば、文化的な発展が見込めるのではないだろうか。
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フルーツ・グラノーラ レース順位

2013-11-04 06:15:16 | 日記
現在トップは NISSIN GooTa
続いて Kellogg's フルーツグラノラ
最後に Calbee フルグラ
の順位となっております。
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才能と努力、為末コメントの是非

2013-11-04 00:27:30 | 日記
<「産まれと才能 > 努力」だと思う人が、ひと昔前より増えていると感じるし、実際「努力が報われない世の中」になってると思う

為末 大認証済みアカウント ?@daijapan
成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。
アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。
やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。
https://twitter.com/daijapan/status/392419979707969536

為末大さんという人は、とても自己洞察が深く、とても正直な人だと思う。成功者というものは往々にして、自分の成功の要因は産まれや運や才能ではなく、努力にあったと思いたがるものなのに、
「産まれと才能 > 努力」ということを、平然と言ってしまう*1。

私ももちろん、「産まれと才能 > 努力」だと思っている。これは私だけでなく世の中の流れとして、ひと昔前に比べてより多くの人が、「産まれと才能 > 努力」だと思うようになってきていると感じられる。

この「空気」を作り出しているのは、よく言われる格差の固定化による「努力しても報われない社会」の影響なのかも知れない。DNA解析技術の進歩により遺伝の影響が想像以上に大きいことが周知の事実となってきたからなのかも知れないし、ネットで身も蓋もない「人生のネタバレ」が進行した結果なのかも知れない。

しかしなんにしろ、為末さんのような才能ある成功者が、「私が成功できたのは才能があったからです」と言ってしまうことは、「努力すればなんとかなる」ということを希望にして生きている人間からしてみれば、たまったものではないだろう。現に、このコメントにはいくつかの感情的と見える批判が寄せられている。
http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/10/22/132816
>

これは賛否両論コメントが入り乱れている。

私は思う。
まず、これがなぜ批判されているかというと、努力する意気込みを否定する論調であるからであり、そこに説得力もあるからである。

が、しかし、私はこれに補足したい。
兼ねてから、私は人間には必ず生まれ以ってできることと出来ないことがあるとした。そのデコを延ばし、ボコを埋めれば自然と勝利へ繋がる。
これには才能の多寡はあるけれども、自分が与えられた天命を一生懸命生きることが自分の勝利に繋がるのである。
自分に与えられる勲章は自分が与えれば良い。他から貰っても、それは他人の評価だ。

また、身体能力だけで言えば、黒人の圧倒的勝利が見込まれるのに、サッカーなどでアフリカ諸国が上位に食い込まないのはなぜか。
それは戦略や準備の差ではないかと考える。
単純な力比べであれば負けるけれども、実際には様々な戦略が身を潜める。スパルタがアテネに負けたのを思い返してみると、単なる力の集合は組織的機動力に負けるのである。

勝負に勝つには頭を使うことだ。
戦闘力200の戦士と、戦闘力180だが回復魔法を使える勇者はどちらが使い勝手がいいかを考えてみると良い。
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能力値ガン振り、時間割り当てガン振り

2013-11-04 00:18:40 | 日記
タイトルを見て何か分からない人は多いと思うので解説すると、テレビゲームの話しである。

その昔、スーパーファミコンにおいて「真・女神転生」というソフトが発売された(私はその当時知らなかったし、買わなかった。しかもプレイ画面は最近見たという)。
この「真・女神転生」では操作する登場人物にそれぞれパラメータがある。
力、知力、すばやさ、魔力、体力、運などである。
ゲーム開始時であるが、この能力値を、自分の持ち点範囲内において、任意でその数値を割り振ることができる。
例えば手持ちの18ptをそれぞれ上記6つのパラメータに割り振ってそれぞれ3ptずつ割り振ると一番バランスが取れているように見える。だがこれはいわゆる器用貧乏になってしまって一番弱い。

ここでガン振り(がんぶり)である。魔力なら魔力に18pt全部を割り振る方式だ。これは他が劇的に弱くなる反面、自前の長所を最大強化できる。
これは核兵器に集中投資した北朝鮮の戦略で、限られた資源をよく考えて戦略的に割り当てるこの作戦は無謀ではあるが、しかし金王朝を維持する体制の観点から見れば間違ってはいない。

戦争、及び社会の何らかにおける拮抗点の争奪とは、味方機動力による敵主戦力の撃破だ。この機動力、簡単に言えば、自分の飛び道具を磨かなければ戦争に勝てない。器用貧乏ではいけないのである。

現実世界も同様だ。自ら、この社会で生き抜こうと思った場合、そのスキルを見につけるのは何らかのプロフェッショナルにならなければいけないのであって、器用貧乏ではいけない。勉強時間などは特定の箇所にガン振りすべきなのだ。
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