とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

才能と努力、為末コメントの是非

2013-11-04 00:27:30 | 日記
<「産まれと才能 > 努力」だと思う人が、ひと昔前より増えていると感じるし、実際「努力が報われない世の中」になってると思う

為末 大認証済みアカウント ?@daijapan
成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。
アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。
やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。
https://twitter.com/daijapan/status/392419979707969536

為末大さんという人は、とても自己洞察が深く、とても正直な人だと思う。成功者というものは往々にして、自分の成功の要因は産まれや運や才能ではなく、努力にあったと思いたがるものなのに、
「産まれと才能 > 努力」ということを、平然と言ってしまう*1。

私ももちろん、「産まれと才能 > 努力」だと思っている。これは私だけでなく世の中の流れとして、ひと昔前に比べてより多くの人が、「産まれと才能 > 努力」だと思うようになってきていると感じられる。

この「空気」を作り出しているのは、よく言われる格差の固定化による「努力しても報われない社会」の影響なのかも知れない。DNA解析技術の進歩により遺伝の影響が想像以上に大きいことが周知の事実となってきたからなのかも知れないし、ネットで身も蓋もない「人生のネタバレ」が進行した結果なのかも知れない。

しかしなんにしろ、為末さんのような才能ある成功者が、「私が成功できたのは才能があったからです」と言ってしまうことは、「努力すればなんとかなる」ということを希望にして生きている人間からしてみれば、たまったものではないだろう。現に、このコメントにはいくつかの感情的と見える批判が寄せられている。
http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/10/22/132816
>

これは賛否両論コメントが入り乱れている。

私は思う。
まず、これがなぜ批判されているかというと、努力する意気込みを否定する論調であるからであり、そこに説得力もあるからである。

が、しかし、私はこれに補足したい。
兼ねてから、私は人間には必ず生まれ以ってできることと出来ないことがあるとした。そのデコを延ばし、ボコを埋めれば自然と勝利へ繋がる。
これには才能の多寡はあるけれども、自分が与えられた天命を一生懸命生きることが自分の勝利に繋がるのである。
自分に与えられる勲章は自分が与えれば良い。他から貰っても、それは他人の評価だ。

また、身体能力だけで言えば、黒人の圧倒的勝利が見込まれるのに、サッカーなどでアフリカ諸国が上位に食い込まないのはなぜか。
それは戦略や準備の差ではないかと考える。
単純な力比べであれば負けるけれども、実際には様々な戦略が身を潜める。スパルタがアテネに負けたのを思い返してみると、単なる力の集合は組織的機動力に負けるのである。

勝負に勝つには頭を使うことだ。
戦闘力200の戦士と、戦闘力180だが回復魔法を使える勇者はどちらが使い勝手がいいかを考えてみると良い。
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