ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

雪を楽しむ

2016-12-11 20:03:57 | 釣り
冬には雪と遊んでいました。小学校時代は、家の裏手の崖を滑り下りたり、飛んだりするのに明け暮れていました。近所の悪がき共と先生ごっこをして、転ばなかったものが先生役で、難しい坂や崖の下り方などで競っていました。曲がりきれずに木に顔面から激突して左の頬が腫れあがっても医者に診て貰えず、半年もその状態が続きました。中学になると、悪がき仲間とスキー部に入りました。回転は、苦手で小さなジャンプを飛んだり、長距離を走っていました。夏休み中は、高校になっても瀬越浜で泳いで過ごしました(写真上)、50年後、海岸の浸食が進み、砂浜はこのように変わりました、現在の瀬越浜。





レース用スキーにミックスしたワックスがけをして、鼻水垂らしながら、吹雪いても、走り回っていました。時間を競う競技ですので、あまり曲がろうとせずに、木の茂っている間を滑り降りている途中で木に衝突して2度スキーを折りました。上位の選手が全道大会に出かけた留守の間に、留萌管内の中学校対抗試合があり、1度入賞したことがあります。先年冬季オリンピックの距離の代表阿部選手と話す機会がありました。彼は、ライバル小平中学の代表と分かりました。

3度木にブツかりましたので、母から、もう危ないからやめなと言われ、潔く才能は無いとレースから足を洗いました。いつも、雪や低気圧の時に、TVで話題になる風の強い、吹雪の多い留萌に住んでいましたので、雪が降るとむずむずします。学校が休みだと!赤い旗が四つ角に立つと臨時休校です。

才能の有る数人は、後に体育大学を出て、体育の教員になりました。悪がきの仲間は、サバが來ると学校を早引きして防波堤に1本竹の竿を担いで走りました。ボラが来ると、一日中、御用篭を担いで留萌の南岸壁などで騒いでいました。スキーつながりで、循環器内科の当直室や、空き室を利用してオリンピック複合選手の体力を調べるトレッドミルテストを行い、健常者や心不全患者と比較する研究(英文論文)が米国循環器の雑誌CIRCULATIONに1983年に掲載されました。

大雪の中へ

2016-12-10 19:58:18 | 釣り
大雪の中、代診をしてきました。道もよく覚えていない上に、この雪。危険なので、病院のスタッフに吹雪の中、迎えに来て貰いました。

雪をものともせず、大勢の受診者が待っておりました。こちらのPCにも慣れてきました。友人は、無事手術を終え、リハビリを開始しておりましたが、もう1週間代診せざるを得ないでしょう。

帰りは、雪が一時収まっておりましたが、家に近づくにつれ、大変な吹雪になりました。このような雪でもD上さんの釣りバスは、出発するのでしょうか、案じております。窓の外を見ていると、娘の婿さんが雪にまみれてスノーダンプで車庫前から、玄関前、外の駐車スペースの除雪をして呉れました。ありがとう。



大雪を見ながら、先ず昼飯。を済ませました。ズボン、外着、帽子、防寒用手袋などを探しだし、50cmはある大雪の除雪に対面するに際し、釣りと同じく、私の流儀。形から入りました。車庫の中で、除雪機にガソリンを補給し、チョークを引きましたが、エンジンはかからず、スイッチを入れ2発目に始動しました。今年の冬初めての除雪機発進です。家の周りを済ませ、中通りの片側のほんのちょっとの雪を飛ばしました。ガソリンが心もとないので、適当なところで終わらせました。大雪の日に、小手調べ、成功。安心しました。嫁さんと孫がベランダの雪を降ろして呉れました。越冬の練習です。留萌線に降る涙雪、いや恨み雪が、汽車が止まれば、こんなことが続くんじゃと、札幌に降っているように感じました。写真上は、留萌の瀬越の浜と遠景は、増毛と暑寒岳。下は留萌の黄金岬。




ドンコとババ

2016-12-09 14:18:34 | 釣り
議論のテーマが変わって、元会長のGさんのお蔭で駐車スペースを十分持った集合場所も確保できて、ホッとし、休憩している時に、先日、南茅部方面にババガレイを狙いに友人たちと釣行してきたトチさんの話にぐ~と身をのりだしました。(手元の写真:数枚10年前後前のものです)写真下は、椴法華漁港手前の船上げの朝焼け、夏。



古部漁港界隈は、ババ狙いの釣り人で大賑わいだった。カジカは結構上がって場所によって、タカノハも上がっていたという話を聞いて、折があったなら、また行ってみたくなる魅惑的な話でした。この方面、恵山まで函館市になりましたが、昔友人が、こちらの方に一時的に応援勤務していた地に、訪れたこともありました。短時間の病院訪問でしたが、後に東京に去った友人の幻滅を肌で感じました。船上げから、遠景はババの聖地、銚子岬。



今日は、私自身の通院日、血圧は、140-70台、PT-INRは、1.8で安定していると、いつもの薬を30日分処方して貰いました。明日午前は、救急入院した友の代診です。吹雪かないと良いですね。
噴火湾の方面に向かう釣りバスもあるかと存じます。雷や強風、そのあとの大雪も懸念されます。無事を祈っております。写真下は、ドンコの寝床になる椴法華漁港の冬のへそ。



雪の有る時、3回椴法華近辺で釣りバスから降りて釣りをしました。何度か挑戦はしましたが、いつも、雪の上にドンコを並べていました。ここでおいしいコマセを使うとドンコに愛されてしまいます。外防波堤で釣りはしない、を原則にしていますのでババガレイは、まだ釣っておりません。銚子岬も魅力です。行きたいですね。遠景は、ババの漁場、椴法華外防波堤先端。


釣り会を続ける秘訣って

2016-12-08 23:29:10 | 釣り
今日は、医釣会の役員会。今まで、3月の総会で日程を決めてから釣りバスの会社と交渉していましたが、そのように、3月に入ってから日程を決めると、釣りバスの会社は会社で、日程を決めた早いもの順に、ほかの釣り会の日程を暦の上に埋めて行きますから、バス会社の空いている日程に従わざるを得なくなります。

やれ、会員の本職に関連する医学会などとバッテイングしてるとか、この釣り場では、干満の差では、どうのとか、理想的な潮回りで釣りがしたいという希望を、言えなくなります。写真は、増毛港内の内防波堤




釣会の存続を考える時に一番の問題は、経済的な問題です。会計担当幹事のA先生の素晴らしい金銭出納帳のまとめで決算、予算を協議して行きました。数名新しく医釣会に入りたいという嬉しいニュースも報告されました。収支決算に続いて、赤字を出さないための協議という深刻な話に移り、例会の回数、日程、釣り場、と議論が進むにつれて、制限があっても、釣りが出来る方向に流れていますので、笑顔が増えて行きました。

今後の釣り会をどのように、変えて行くべきか、飲み食いするのを忘れて熱っぽく話合いました。興奮して店を出ると、これから、食後のスイーツが出ますが、と声をかけられ申し訳ないともう一度、皆は、席に着きました。難題が前に横たわってもこの仲間なら、何とか克服して行けるんではないかと、安心しました。釣り会が存続する秘訣は、このような「会員みなの釣りが好きという熱意」。があれば、あとは何とかなるだろう、と楽天的に総括していました。

怪我(けが)外来、知っていますか?

2016-12-07 15:35:23 | 釣り
釣りに関する怪我の功名は、釣りバスで自分が入ろうと思っていた釣り場に、先輩が入ると言っているのを聞いて、別の場所に入らざるを得なくなって、たまたま入ったその場所で大漁することはよくある「怪我の功名」。実際に怪我をした場合、昨年の夏。雨が強くなってきたので、淡水の釣りを止め、道具を片付けている最中に、滑って土手から落ち、ひっくり返った際に右の拇指(親指)に切り傷と打撲傷を負い、適当に処理していたのがたたって化膿し、近くの救急外来にある怪我外来(札幌に此処だけかもしれません)を受診しました。写真の上は、指負傷の現場、次いで増毛別狩のカレイ場、下は、雨のGW,増毛港内






患者の数の割に、担当されている医師をはじめ、スタッフが少なかったせいか、5時間以上待たされました。受付してから4時間以内に出庫したなら無料の駐車料金が、5時間以上でしたので有料になりましたのは、不満でしたが。診て呉れた医師。整形外科の先生でしたが、長く待ったのを気の毒がって、次回は、私が外来に出ている日に予約してください。再来ですから、少しは早く診れるでしょう、と日程を調整して呉れました。今でも痛みますが、数回通って、釣りが出来るようになりました。

この先生との出会い。診察での態度は出色ものでした。診て呉れた先生とは大学も異なり、保険証は、後期高齢者医療被保険者証を使っており、私が医師であることを知っておりません。素晴らしい対応。自分にはないものと、感心していました。フアンになって、カミさんが手指の怪我をし化膿した時、この怪我外来に連れて行きました。

診られた先生は、違っていましたが、局所麻酔の注射も痛いですから、注射と怪我の処置で2回痛がるより麻酔無しで1回の方が良いと思いますがと、膿と一緒にトゲのようなものを抜かれ、無事、排液されて帰ってきました。これも有りかな、と私は思っていましたが、カミさんは、不服たらたら、「私は、麻酔無しで太い針を刺された。」と武勇伝のように、近所のおばさん方との集まりでぼやいております。怪我のような些細な、小外科の外来が見当たらない現在。素晴らしい応対をされたお二人の先生方を知ったのは、怪我の功名でした。


手書きの釣り場メモ

2016-12-06 23:34:55 | 釣り
賀状のあて名を下手な筆字などで、書いていた時もありましたが、出来上がった宛名が、中々上手に書けず、失礼にあたる。と何度も書き直したり、考え込んだことがあってから、プリンターで宛名を印字するようになりました。

その後、インクジェット用紙になったのも後押ししてくれました。パソコンで入力してある住所録からプリンターに打ち出すようになり、宛名を書いていたまでの憂鬱な感情は無くなりました。

今年大学を卒業する孫が、小学校の低学年時、インクで湿った賀状を、乾燥させるために、部屋の隙間に並べてくれました。考えてみると10年以上、今のプリンターを使っていたのですね。ガタの来る頃だったんでしょう、物持ちの良いことです。暗闇で撮影した噂のプリンター



高校2年の時、親友から見せられた彼女の返書の美しい文字には、惚れ惚れしました。あれは、トラウマになっています。中学、高校と碌にノートを取らずにいたためでしょう。暗号のような、かな釘流で、釣り場でメモを取っている手書きには、何故か、感情移入はないですね、不思議です。



時間泥棒に対するも修行のうち

2016-12-05 19:24:21 | 釣り
昨年の倍くらい喪中のハガキが増えています。歳を重ねると、友人や仲間も歳をとります。自身はもちろんのこと、彼らの両親や、伴侶も歳をとって亡くなっております。

プリンターがトリッキーなので、11月中に、折りをみて年賀ハガキの印刷を始めました。11月までの喪中のハガキを外して先ず、例年の半数のハガキの宛名印刷は終えておりましたが、11月の月末から今日までに前とほぼ同数の喪中のハガキが配達されました。既に印刷した内の10枚近くは、賀状としては送れませんので「書き損じハガキ」として、年明けに郵便局で処理してきます。

12月は、いろいろな予定が入っております。このほかに喪中のハガキが配達されたなら、その時はその時と、腹を括って、残りの年賀ハガキのあて名の印刷を半日かかりで今日仕上げました。このような、傍から見れば何とろとろしてるんだろうね、的な作業に切れないで全うしたのは、あくまでも釣りの修行と思えば苦にならないものです。宛名が確定しましたので、ゆっくりと、賀状に一人一人へのお礼などを書き込んで行きます。

交換の為の部品製作がストップした90XXという一番売れたらしいプリンターのヘッドノズルのクリーニングを続けながら、金食い虫のようなプリンターに、既に購入してあったインクをつぎ込んで機嫌の良い時にと、カミさんに嫌がられながら、作業を進めました。インク6色パック2ケ以上のインクを仕込んでいましたので、新しいプリンターとほぼ同じ値段になっていたらしいです。早くに、故障していて、状況が判っていたなら、こんな時間泥棒に遭わないで済んだでしょうね。

留萌ー増毛線偲ぶ

2016-12-04 14:03:37 | 釣り


1921年、留萌と増毛間が開通してから95年。今日最終運行になりました、寂しい限りです。上の写真は、昭和28年7月、96型SLが増毛駅を出発する際の情景です。先年、留萌高校第九期生の卒業50周年のスライドショーに使いました。旭川在住の木原君が、同級生の高木竹子さん(故人)より頂いたものです。スケッチの作者は、竹子さんのお兄さん高木勲さん。留萌在住でご健在です。下の写真は、ニシンで賑わっていた頃の増毛漁港。今は、春ホッケ釣りで賑わいます。GW頃はカレイ釣り場。







下は、近年の増毛漁港。港の右にある中歌の海水浴場へは、満員列車で賑わっておりました。



増毛からの汽車が到着する留萌駅1番ホーム。跨線橋を越えて羽幌行きホーム。その下は、当時の留萌駅






ピンチヒッター

2016-12-03 16:21:06 | 釣り
友人が急遽入院することになって、今日午前は、彼の予約患者の代診をしています。50年ほど前、支笏湖でチップ釣り中、三角波でボートが岸に吹き寄せられた時に、命からがら私の漕ぐボートを岸からロープで引っ張り助けて呉れた恩人です。奥様とも知り合いです。ピンチヒッターとして、とりあえず出かけたのです。

まだうっすらと暗い午前6時に、嫁さんの早朝勤務に、間に合うように、近くの駅まで送りました。午前7時過ぎには、孫の卒業試験にゆとりを持って学校に着けるように地下鉄駅まで送りました。

そして8時には、友人の病院迄、車を走らせていました。釣りを含めて、2度有る事は、3度有るのジンクスは、今日も健在です。今日は、有難いことに暖かい良い日和でした。



買い物に孫と近所のコンビニに入る時に、後ろから真田釣友会の事務局長D上さんから声を掛けられました。今日は、新琴似屯田の蕎麦打ち教室のある日。わざわざ、うちたてのおそばを、家まで届けに来られたのでした。いつもありがとうございます。

釣りはスポーツで良い?

2016-12-02 21:23:55 | 釣り
WEBでの検索の分類では、釣りはスポーツの項に入れられています。スポーツなのかよと、不服の方も多いことでしょう。が、遠投の距離を競うのは、スポーツでしょう。

また、投げ釣りを趣味にしている方も多いでしょう。魚を獲ることを業(なりわい)にしている漁師は、職業でしょう。釣会に入ったり、釣りバスに乗って行くのは、他人と競うという色合いが強いので、スポーツの仲間かな、と思いますが、スポーツは、平等な条件で競うものでしょうから、一寸違う気がしませんか?

釣り場が異なり、運も絡むので、条件を一定にしようと、時間ごとに釣り場を変えたり、努力をしている鮎釣りや鮒つりの大会は、スポーツに近いですね。



釣魚連盟の段位戦に出場したり、年季が効いて釣道2段の免状を頂いていると、その道に達しているわけでもないのに、その気になってしまうから厄介なものです。「釣道」と権威付けをしていますが、利尻岳の神さんやうちのカミさんから見れば、「遊び、遊び」・・・。