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修験道とシャーマニズムとカラス天狗・・憑霊の人間学(5)

2013-06-07 | 日本の不思議(中世・近世)


引き続き、佐々木宏幹・鎌田東二氏共著「憑霊の人間学」からご紹介させていただきます。

これも佐々木氏の部分です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                *****

  
              (引用ここから)



仏教が日本に入ってきて約1500年たちます。

その間に仏教というものを実質的に支えてきたのは誰かというと、これは庶民大衆である。

この庶民大衆を牛耳りながら仏教を支えたのは誰か、というと、わたしはシャーマンあるいはシャーマン性を備えた職能者ではなかったかと見ているんです。

鎌倉時代に曹洞宗をおこした道元という僧が出ました。

この道元は「正法眼蔵」というおそらく世界に通用するだろうと言われているような書物を残した人です。


日本仏教にはさまざまなものがありました。

発達した大乗仏教には、様々なものがあったのですが、道元はあくまでも自己ということを厳しく見つめて、釈迦が菩提樹の下で座禅をすることによって悟ったのだから、
その悟りの姿そのままを実践することがすなわち仏道である、だから念仏したり、祈祷したりする必要はさらさらないという。

道元は永平寺に入り、座禅三昧をやる。


ところがだんだん曹洞宗が発展しまして、今日では約15000か寺、700万人位の檀信徒を抱えるに至っている。

ところがその道元の門下から出た寺寺の現在を見ていくと、教団のつっかえ棒になっている所が大きな祈祷寺院なんです。


これには、たとえば3つの大寺院がある。

大雄山最乗寺、これは小田原にある大きなお寺です。

次に迦葉山竜華寺というのが群馬の北にある。

それから円福寺妙厳寺というのがあり、これは豊川稲荷と称する大寺院です。


最初の大雄山最小時は小田原の南足柄にあって、末寺数4000。

ここの開祖が了庵彗明。

この人が開山する時に最も力を尽くしたのが超常的人物、妙覚道了です。

この妙覚道了は神変不可思議の霊力を発揮した。

小田原という所が、ちょうど大山など丹沢の山系が切れた南にあたり、山の中にお寺があります。

縁起を見ると、妙覚道了が現れて、大山明神、矢倉沢明神、箱根権現というような、いわば自然崇拝の山の神や箱根の権現様を自由自在に使役して、木を運ばせたり、井戸を掘らせたり、水を持ってこさせたりした、と書いてある。

これは何かというと、私はこういうのは「精霊統御型シャーマン」と呼んでいるのです。

つまりこれは先ほどのツングースの、守護神と一体化したシャーマンが様々な使役霊を使っていろいろなことをさせるのに極めて似ているわけです。

そこで堀一郎という宗教学者は、「修験道などのように護法童子を使ったり、眷属を使ったりするものに、北方シャーマニズムの影がちらつく」ということを「日本のシャーマニズム」という名著の中で触れているんです。


つまり私は、妙覚道了は修験者だろうと思います。

修験者で玄妙不可思議な力を身に着けて、それで土地神を駆使しながら助けていったおかげで最乗寺が建っている。


そして最後にどうなったかというと、やがて立派な境内ができ、了庵が遷化します。

すると妙覚道了が、お坊さんや信徒のいるところで「我の使命はここに終わった。これから以後、我は身を変じて未来永劫にこの山の守護とならん」と言ったと思うと、やにわに火炎が生じ、羽が出てきて、目がかっとばかりに見開き、くちばしが出てきた。


これを、「カラス天狗」といいます。

そして右手に剣、左手に策を持って、わーっとばかりに飛んで行って、その後二度と姿を現さなかった。

それがいま守護神として「ご真殿」というところに祀られているのです。


その大雄山最乗寺を見ますと、七堂伽藍があって、川があり橋がかけてある。

これを「結界橋」と呼びます。

一方が、「カラス天狗」の空間。

もう一方が座禅修行の空間と、二つに分かれるわけです。

そしてご利益の方には大会社の社長などがやってきて寄付をして、会社繁栄とか一族繁栄とかをお願いするのです。

本来の大雄山の方は、修行者は行っているけれども、非常に人がまばらなんです。

やっぱりこの世の幸せがほしい、ということになれば天狗さんの方に来ます。


この寺の構造は、神仏習合という考え方で捉えれば一番分かりやすいかもしれません。

たとえばスリランカでは、祈祷をやる霊媒と比丘は全く別な空間に住んでいるのだけれども、日本の場合は結界橋を渡って、行ったり来たりする。

この橋が、さっき申しました他のシャーマニズムでは、はしごをかけるのだけれども、日本ははしごをかけるよりも橋を架ける方が多いということです。

つまり天空に行くというモチーフより、どうやら横に行くというモチーフが強い。

この場合も異界に行くのに、橋を通って行っている。

そしてまた帰ってくる。

結論としていろいろと探っていくと、何が見えてくるかというと、人と神と自然の間が途切れていない、この三者が円環すると考えられる。

人が神になり、神が人になり、自然が神になり、自然が人になる。

あるいは人が自然に還る。

そういうようなものの間に、深い所では区切りがなくて、自在に行ったり来たりする。

その自在に行ったり来たりするというエネルギーを持った者が、他界とこの世を自在に梯子を架けたり、飛んで行ったりして、自由自在に経巡る。

シャーマンというものの行動、ものの考え方、技術、そういうものが複合してシャーマニズムが成り立つのですが、それは現代の宗教文化にとっても、見逃しえない力を持っていると言えると思います。


              (引用ここまで)


               *****

wikipedia「妙覚道了」より

妙覚道了(みょうかくどうりょう)は、室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧。妙覚は字。

出生地などについては不詳である。道了大権現・道了薩埵・道了大薩埵・道了尊などとも称される。

1394年(応永元年)曹洞宗の僧了庵慧明が最乗寺を開創すると、慧明の弟子であった道了はその怪力により寺の創建に助力。

師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られた。

庶民の間でも信仰を集めて講が結成された。また、江戸の両国などで出開帳が行われた。



wikipedia「烏天狗」より

烏天狗または鴉天狗は、大天狗と同じく山伏装束で、烏のような嘴をした顔、黒い羽毛に覆われた体を持ち、自在に飛翔することが可能だとされる伝説上の生物。小天狗、青天狗とも呼ばれる。


剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。

また、神通力にも秀で、昔は都まで降りてきて猛威を振るったともされる。

中世以降の日本では、天狗といえば猛禽類の姿の天狗のことを指し、鼻の高い天狗は、近代に入ってから主流となったものである。

和歌山県御坊市では、烏天狗のものとされるミイラが厨子に入れられて保存されている。

江戸時代から明治時代にかけ、修験者たちがこれを担ぎ、利益を説きながら諸国を回ったといわれる。

ただしこれは、2007年に保存事業の一環として行われた調査の際、トンビとみられる鳥の骨と粘土で作られた人造物であることが判明している。

天狗と迦楼羅(カルラ)天 [編集]

天狗は、仏法を守護する八部衆の一、迦楼羅(カルラ)天が変化したものともいわれる。

カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、金色の翼を持ち頭に如意宝珠を頂き、つねに火焔を吐き、龍を常食としているとされる。

奈良の興福寺の八部衆像では、迦楼羅天には翼が無いがしかし、京都の三十三間堂の二十八部衆の迦楼羅天は一般的な烏天狗のイメージそのものである。

信仰上の烏天狗

飯縄権現 - 飯縄山(長野県長野市、及び、上水内郡信濃町・飯綱町)や高尾山(東京都八王子市)など。


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