「日本人と福の神」のご紹介を続けさせていただきます。
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次は、布袋尊についてです。
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(引用ここから)
「布袋・運命と天候を予知する神」
我が国では「布袋」のことを「ほていさん」と愛称しており、七福神の一柱として信仰しているが、中国では唐代に実在した人物とされている。
禅僧であり、多くの人々から「哄笑仏」として尊称されていたという。
したがって「布袋」は七福神の中でただ一人、実在した人物ということになるが、その生涯はいかにも伝説的である。
「布袋和尚」の伝記で最も信頼できるのは、北宋の1004年に道原が編纂した「景徳伝燈禄」である。
本書は、禅宗史伝の根本的な全集であり、全30巻、その中の第27巻に「布袋和尚伝」が記されている。
その記録によると、次のようになる。
「布袋和尚は、明州・奉化県の人とある。
明州は唐の州名で、今の浙江省の北東部に位置する寧波(にんぽう)である。
寧波は、東シナ海に注ぐ河口港に発展した商業都市であり、日本の遣唐使が上陸した地として知られている。
また、室町幕府の勘合船が寄港するなど、古くから対日貿易港として栄えた地である。
次に、布袋和尚は自ら、名を「けいし」と称したが、氏も族も未詳である。
生まれた場所や家系、つまり氏素性は分からないと記されている。
「布袋和尚」は肥えて、鼻柱にしわを寄せて笑っている。
人々が「布袋和尚」のことを「哄笑仏」と称したのも、このようにいつも笑っていたことによるものと思われる。
次に、腹の大きい様である。
大きく突き出た腹を、今も「布袋腹」と言うが、このような外見を見れば、「布袋和尚」は普通と違って奇異な姿をしており、一般人からすれば異様な風体ということになる。
また、「「布袋和尚」の話すことは、一定の方針がなかった」と記されている。
おそらく、支離滅裂で筋道の通らないことをぶつぶつ話していたものと思われる。
そして「随所で寝伏した」というのは、布袋和尚が世俗を捨てて各地を転々と放浪していたことを示している。
つまり風来人の生活を送っていたのである。
大黒天や大国主命が大きな袋を肩に背負っているように、「布袋」も布の袋を杖にかけて担っている。
「七福神考」によると、ある時人々が、「布袋」が怠けているのを見て、ののしり、持っていた袋を奪い取って、燃やしてしまった。
ところが、翌日、「布袋」はいつものように袋を背負って去っていったという。
「布袋」の袋は、たとえ火で焼こうともすぐに元に戻る不思議な力があったのである。
それは「大黒」や「大国主命」の袋と同じことであると思われる。
(引用ここまで)
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次に、この「生きた布袋さまの再来」として、明治時代に大変有名であったという、仙台の人「仙台四郎」のことを記した本を見つけましたので、その本を紹介させていただきます。
大沢忍著「不思議な福の神「仙台四郎」の解明」という本です。
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まずは「あとがき」を見てみます。
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(引用ここから)
あとがき
人にとって運命的な出会いというものがあれば、私と「仙台四郎」との出会いもその一つであったと言える。
仙台のある取引先から突然「仙台四郎」の写真が送られてきたのを契機として、私はその時初めてそれが地元では有名な「福の神」であることを知らされた。
そしてその茫洋とした姿の中に、実に〝福相″のあることを感じ、丁重にそのその写真を取り扱い、接しているうちに、当然のごとく「仙台四郎」について、より詳しく知りたくなった。
それは奇しくも私の経営する那須の「ホテル西洋館」の東北に位置する縁起として、その経営状況の嬉しい進展と呼応するものであった。
まさに「福の神」の到来であり、少しでもその実際を見極めたく感じていた。
そこで私は畏敬と感謝の念を込めて、仙台での独自の取材を行った。
運よく巡り合うことのできた仙台郷土史家の先生から直接お話を拝聴し、その他いろいろな関係者の方々からもお話を伺い、わたしの取材旅行はおどろくほどにスムーズに進み、これも「四郎さん」のおかげかと思えるほどであった。
そうした私の「福の神・仙台四郎」への取り組みは、二つの方向で実現していった。
一つは、「布袋尊」の再来として、その縁起品を広く紹介し、福を拡散すること。
もう一つは、「布袋尊」に比肩する「仙台四郎」の解釈そのものを紹介することである。
本書を通じ、「福」を求める人々が共感をもって「福の神・仙台四郎」を知ることになれば幸いである。
そしてすでに「仙台四郎」を支持する人々に対して、その神秘の意味を示すことができれば、幸いである。
「福の神・仙台四郎」を通じ、多くの方々に「福」の訪れることを願って止みません。
(引用ここまで)
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「仙台四郎」さんという人のことは、はじめて知りました。
面白いですね。
続きます。
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