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2000個の桃と、卑弥呼・・・果実のもつ力

2010-10-05 | 日本の不思議(古代)
先日の新聞に、卑弥呼の墓があるのではないかと言われている纏向遺跡から2000個の桃の種が発見されたという記事がありました。

桃を使った祭祀、と聞くと、「鬼道を行う姫巫女」の鮮やかなイメージがわいてくるような気がします。


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「桃のタネ2000個、「卑弥呼」有力地で出土」  毎日新聞2010・9・18
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100918k0000m040107000c.html


 邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、3世紀中ごろに掘られた穴「土坑(どこう)」からモモの種約2000個が見つかった。

モモは古代祭祀(さいし)で供物に使われ、1カ所で出土した種の数では国内最多。

卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の晩年から死後の時期に、モモを大量に使った国家祭祀が行われたことを示す成果と言える。

 17日発表した市教委によると、発掘調査は09年11月に確認された大型建物跡(3世紀前半)の南側465平方メートルで実施。

建物を囲む柵列がさらに28メートル東に長いことが確認され、土坑も見つかった。

 土坑は南北4.3メートル、東西2.2メートル、深さ80センチの楕円(だえん)形。

モモの種がまとまって見つかり一度に埋めたとみられる。

一緒に祭祀用具とみられる土器や竹で編んだかごなども発見。

果肉が残った種もあり、市教委は食べたものではなく、モモを竹かごに盛って祭祀に使った後、土坑に埋めたとみている。


 モモは、中国の道教で不老長寿や秩序を象徴する神、西王母(せいおうぼ)の食べ物。

日本には弥生時代に伝わり、食用以外に不老長寿や厄よけのため祭祀に使われた。

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、卑弥呼は戦乱の倭国を治めるため「鬼道(きどう)を行い、人々をひきつけた」とある。

辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は「鬼道は道教を反映したもので、モモを大量に使った祭祀で西王母をまつった可能性がある」としている。


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桃は、なかなか不思議な力を持っているようです。
桃太郎の桃も、考えてみれば、奇妙なものに思えてきます。


Wikipedia「桃太郎」より
 
  
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上流から流れてきた桃を食べて老夫婦が若返ったというくだりには、道教やさまざまな神話が影響していると見られる。

『山海経』や西王母伝説、或るいは日本神話のイザナギの神産み#黄泉の国に見られるように、桃は邪気を祓い不老不死の力を与える霊薬である果実とされている。

また、山奥に住む仙人にも桃は欠かせない存在である。

桃太郎を齎した桃は、こうした力のある桃が山から流れて来たものとも考えられる。

世界的には霊力のある植物は桃とは限らず、古くはギルガメシュ叙事詩での不死の薬草、旧約聖書の『創世記』における生命の樹と知恵の樹、田道間守の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘の実とされる)や徐福伝説の神仙薬などが挙げられる。

桃太郎の対的説話としては瓜から生まれた瓜子姫が指摘され、沖縄県久高島には黄金の瓜から生まれた男子が後の琉球王(西威王とされる)となったという伝説のバリエーションもある。


(桃太郎が)桃である理由は、桃は大昔より数少ない果物であり、匂いや味、薬用性および花の美しさがそろい、紅い小さな花と豊潤な果実を付けるところが不老不死のイメージにぴったりであり、人に利益を与え死の反対の生のシンボルを思わせ、その中でも特に桃の実が柔らかくみずみずしく、命の源のイメージが邪悪な鬼を退散させる力を感じさせるからであろう。


延喜式(927年)において、鬼の追難の儀式(鬼払い)に桃の木で製作した弓を使用したと記述があり、源流の中国の文献にも春秋左氏伝(BC480年)の昭公4年(BC538年)に-桃弧(とうこ)、棘矢(しや)、以って其災を除く。-の記録があり、桃の木製の弓、棘のある木で矢を作り鬼等の悪霊のたぐいを追い払えると信じられてきた。

これもまた桃の持つ霊力を暗に象徴している、とも言える。

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いざなぎが死者の国のけがれをはらうために投げつけたのも、桃の実だったようです。
そうとう強力なパワーがあったということでしょうか?


wikipedia「いざなぎ」より

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イザナミが、火の神であるカグツチを産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、

イザナギは、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗してウジにたかられ、雷(いかづち)に囲まれたイザナミの姿であった。

その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。

追いかけるイザナミ、雷(いかづち)、黄泉醜女(よもつしこめ)らに、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の実(意富加牟豆美命、オオカムズミノミコト)を投げて難を振り切る。

黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。

その時に岩を挟んで二人が会話するのだが、イザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」というと、「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」とイザナギは言い返している。


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古代中国で、桃の花の花園を取り仕切っていたのが、仙女「西王女」という女神さまのようです。

この女神さまの誕生日が3月3日だそうで、桃の節句とはこの女神さまの誕生日だったとは!


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wikipedia「西王母」より


西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)は、中国で古くから信仰された女仙、女神。

九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母などともいう。

王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方に住する女性の尊称である。
すべての女仙たちを統率する。東王父に対応する。


周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという。

また前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、仙桃七顆を与えたという。

現在の西王母のイメージは、道教完成後の理想化された姿である。


本来の姿は「天五残(疫病と五種類の刑罰)」を司る鬼神であり、『山海経』の西山経及び大荒西経によると、

「人のすがたで豹の尾、虎の歯で、よく唸る。

蓬髪(乱れた髪)に玉勝(宝玉の頭飾)をのせていて、穴に住む。」

という、半人半獣の姿である。

また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(海内北経)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(大荒西経)。


一方、『荘子』によれば、西王母を得道の真人としているし、『淮南子』では、西王母が持していた不死の薬を、姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。

人間の非業の死を司る死神であった西王母であったが、「死を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。

やがて、道教が成立すると、西王母はかつての「人頭獣身の鬼神」から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、不老不死の仙桃を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。

王母へ生贄を運ぶ役目だった怪物・青鳥も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。

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卑弥呼が2000個の桃で呼び出したのは、この半人半獣の女神だったのでしょうか?


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