引き続き、心理療法家・河合隼雄氏の「ナバホへの旅」のご紹介をさせていただきます。
ぬくみしほさんとの対談です。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
河合
ナバホの人たちはみな、調和を守るためには禁欲が必要なんだということを知っていたし、それを守ってきた。
逆に皆が取れるだけ取れるのが幸福なんだと考えて、何でもどんどん取ってきたのが近代西洋なんです。
しかし今それが終わりを告げてきて、本当の幸福にはある種の禁欲が必要なんだということがみな分かってきた。
家族がどんなに大事かということも分かってきた。
しがらみを切るばかりの奴は、実は損をするのだ、と。。
その辺を、もうちょっとみな賢く生きたらどうだ、というのが僕の考えです。
いやそんなことはやりたくない、という人は勝手に生きて、しがらみを切って、孤独に死にたい人はそうすればいい。
強制はできません。
しかしその点はよーく考えなさい、実はそれは下手なやり方なんですよ、と僕は言いたいですね。
ぬくみ
この辺が限界だと感じて止める、あるいは曖昧でもいいじゃないかということですね。
わたしは学生時代に、住んでいたニューヨークから初めてナバホに行った時に、ナバホの人たちと話せば話すほど、日本に帰ってきた感じがしました。
それは白か黒か、イエスかノーかをはっきりさせろ、というアメリカ社会ではなくて、物事には曖昧なこともあると考える人たちのところに来たからだと思うんです。
河合
曖昧の良さ、イエスノーでは割り切れないこともあって、それこそが本当の文化なんだということを、もっときちんと言語化して、彼らに説明する努力をしていかなくてはならないですね。
でも自然と繋がることができる、人とすっと関係を作ることができる、、そうした方法を人に伝えるのは難しい。
やはりいっしょに生きないと駄目です。
だから日本でもやはり氏神様にいって、森へ行って、正月に拝んだりするということ、お節句のような季節の決まり事をきちんと皆で行うことはものすごく大事だと思いますね。
それはどの神を信じているかという問題ではないんです。
どう生きているかという問題なんです。
どういう姿の中で生きているか?
その辺を、今、みんなサボっている。
旬のものは何なのかを知って、それを頂くことも忘れてしまった。
昔はきゅうりの時期はいつかみんな知っていましたが、今はきゅうりなんて一年中食べられる。
ぬくみ
ナバホが運営している小学校の農業の先生がおっしゃっていました。
先生が谷へ遠足に連れて行った時に、大きな木の下に子供たちを集めて
「お前たちはアメリカ人か、インディアンか、それともナバホか?」と聞きました。
子ども達は「ナバホ」と答えます。
すると今度は、「ナバホであるとはどういうことか?」と聞きました。
子ども達はわからない。
すると先生が
「この谷で採れる物を食べることだ」と教えました。
「この谷にどういう動物が生きているのか、どういうサボテンが生えているのか、どれが何に効く薬草なのかということをきちんと知っていることがナバホなんだ」と。
そして先生は子供たちに「君たちはインディアンにもネイティブ・アメリカンにもアメリカ人にもなるな」と言いました。
すばらしい授業でした。
わたしもそれを聞きながら、日本人であるってどういうことなんだろうと考えさせられました。
(引用ここまで)
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>やはりいっしょに生きないと駄目です。
>だから日本でもやはり氏神様に行って、森へ行って、正月に拝んだりするということ、お節句のような季節の決まり事をきちんと皆で行うことは、ものすごく大事だと思いますね。
>それはどの神を信じているかという問題ではないんです。
>どう生きているかという問題なんです。
>どういう姿の中で生きているか?
>その辺を、今、みんなサボっている。
という、河合氏の言葉は、心に響きました。
いっしょに生きること・・これは近代社会の生活にすっかり慣れてしまった現代人にとっては、最大の弱点かもしれないと思いました。
ある程度いっしょにいると、限界がきてしまい、早く一人になりたいと思い始める。
私もそうですから、だからこそ、ここに言われていることに心惹かれます。
どういう姿の中で生きているか、、私の課題でもあります。
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