始まりに向かって

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裏側の神と火・・・原発とかまど神(2)

2011-05-19 | 日本の不思議(現代)
収束の様子をみせない福島原発事故ですが、この壊れてしまった発電装置は、人類になにを訴えかけているのでしょうか?


原発の問題をめぐる歴史は、3・11以降、完全に転換したことは間違いないと思います。

原発の問題の歴史は、今、誰の予想をも超えて、驚くほどに新たな地平にあるのではないでしょうか。






飯島吉晴氏の「竈(かまど)神と厠(かわや)神」という本を読んでみました。

「かまど」の神の歴史などが書いていありましたので、少し紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

 
        ・・・・・


      (引用ここから)


家の神は土間、板の間、座敷と家屋構造が分化・発展するにつれて次々と新しい神々が増えていった。

家の表側(座敷側)の神は新しく導入された神々、一方台所の水神や、かまど神(火の神)はわれわれの先祖が土間で生活していた極めて古い時代から祀られてきた神といえる。

これらの「裏側の神」は、人形状の御幣や神像などイコン化した神体を持つものもあるが、たいていは御幣やお札を貼ったり、石や榊を供えて、神がいる場所を表示しているにすぎないことが多い。

しかし「裏側の神」は家付きの土着神が多いため、毎日の生活の中で親しく祀られ、多様な機能をもつ生活神としての性格を濃厚に持っている。

たとえば、「かまど」や「いろり」など家の火所に祀られている神は、火や火伏せの神としての他、作神や家族の守護神などとしても信仰され、稲苗や穀物の初穂を供えたり、赤ん坊や花嫁、家畜など家の成員として新たに加入するものを承認したり、旅に出るものを守護したりもする。


昔話の「大歳(おおどし)の火」でも、土間からいろりやかまどを経て、納戸に至る裏側の空間が、福分を受ける上で重要な場所とされている。



かまど神は穢れに敏感で、「荒神」と呼ぶ所も多いように、祟りやすく、恐ろしい神とされる。

否定的なイメージを持つ反面で、家の盛衰や人の幸福や寿命を司り、生活全般にわたって恩恵を施してくれる神ともされている。


          (引用ここまで・続く)

            ・・・・・



「大歳の火」という民話は、日本神話を原型として、昔話として、広く語りつがれているようです。

大晦日に火種を消してしまった嫁が、夜中に困り果てて、近所の家にもらい火に行くが皆寝静まっている。

そこで見知らぬ人から死体を預かる条件で火種をもらい、年を越す。

元日に見ると死体は黄金になっていて、その家は栄える。

というような民話で、たくさんの変形パターンがあるようです。



いろりの火種を絶やしてはいけない、という掟。

その掟を守れなかった人は、何をしなければいけないのか?


いろりの火種をめぐる伝承に、死のイメージが関わることからは、

人間が火と家を手に入れるために辿った、長い歴史の暗闇が垣間見られるように思います。





続いて筆者は、火の根源としての元来の自然物は「雷」であったとして、雷と火の関係を考えています。


            ・・・・・


     (引用ここから)


「かまど神」は、家屋の裏側の神々の代表といえる。

「かまど神」が山と結びついている例もある。



次の「竜頭太」の話は、「かまど神」と山の関連をはっきり示している。
 

「弘法大師行状記」の中の「竜頭太の事」を、近藤喜博氏によって示すと次の通りである。

(・・と書いてありますが、漢文の書き下し文なので、少しひらがなを加えて記してみます。)


             ・・・


「竜頭太」は和銅年中より以来、すでに百年におよび当山山麓に庵を結びて、昼は田を耕し、夜は薪を樵るを業とす。

その面、竜のごとし。

顔の上に光ありて、夜を照らすこと、昼に似たり。


人これを「竜頭太」と名づく。

その姓を「荷田」氏という。

稲を荷けるゆえなり。


しかるに弘仁の頃に、弘法大師この山にて難行苦行し給いけるに、かの翁来て申して曰く。


「われは当所の山神なり。

仏法を護持すべき誓願あり。

願わくば大徳常に真密の法味を授けたまうべし。

しからば愚老たちまちに、応化の威光を耀て、長く垂迹の霊地を盛りて、しずかに弘法を守るべし」と。


弘法大師は服応し給いて、深く敬をいたし給う。


これをもってその面顔を写して、彼の神体とす。

種々の利用れんれんに断ずることなし。


かの大師御作りの面は当社の「かまど戸殿」に安置される。


毎年祭礼の時、神輿相共に出し奉る。


すなわち、当社に「荷田の社」とて鎮座しましますは、かの社壇なり。

今の神宮肥前前司荷田の延種は「竜頭太」の余胤なり。


            ・・・

 (中略)

「かまど」が水、穴、山といった異界と密接に関連した特別の場であることがわかる。

             
       (引用ここまで・続く)

 
          ・・・・・




筆者飯島氏は、上記のように、空海が修行中に出会った「竜」のような姿の「山の神」についての近藤氏の文章をまとめて、

「竜頭太」なる生物は、「田の神」かつ「山の神」であり、
竜のような姿と光を発していることから、「雷神」的な性格をもつものであり、

また「地主神」でもあり、「護法」的性格も持つ

としています。

そして、「かまど神」は、そうした「山の神」の系譜のものであり、さらに、稲荷信仰と密接に関連していることを指摘しています。



「かまど神」は、家の中にはとても収まりきれない、はるかな森羅万象と共鳴しあっている存在であるようです。

また、稲荷という神も、非常に重い意味を持っているように思われます。





wikipedia「年神」より


毎年正月に各家にやってくる来方神である。

地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿(としどん)、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。

「年」は稲の実りのことで、穀物神である。その根底にあるのは、穀物の死と再生である。

古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。

現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。

門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。

また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。

農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。

柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。



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写真は埼玉の風景です。





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