引き続き、岩井宏實氏著「妖怪と絵馬と七福神」から、七福神の由来を紐解いてみたいと思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
お正月といえば七福神、と思って調べ初めたのですが、すでに2月になってしまいました。
室町時代には成立していたとすると、ずいぶん古い信仰と言えると思います。
古すぎて、ほこりをかぶっているような状態ですが、これがなかなかパワフルでもあり、本当に面白いです。
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(引用ここから)
このころまた、
一に俵ふまえて、
二ににっこり笑ろうて、
三に酒作りて、
四つ世の中よいように、
五ついつものごとくに、
六つ無病息災に、
七つ何事もないように、
八つ屋敷広めて、
九つ小倉を建てならべ、
十でとうと治まる御代こそめでたかりけれ
という歌が生まれ、旅芸人達がこの歌を歌って舞をして歩いた。
それが「大国舞」で、この「大黒舞」によって「大黒」に対する庶民の信仰がいっそう盛んになったのである。
そしてまた、室町時代末期には「大黒」の授福物語がさまざま語り伝えられた。
また、「大黒天」の神使を「ねずみ」とする信仰も広まった。
「家ねずみ」は古くから霊獣視され、中国では300才の「ねずみ」がいて、卜占をしたという話もある。
だから「ねずみ」はしばしば災害を予知する力を持ち、火事・地震など異変が起きる時はそれを察知して、家から姿を隠してしまうというのである。
この「ねずみ」の信仰を物語る話として、大和下市の「鼠長十郎」の話も語りつたえられた。
この男はたいへん裕福になったが、それはむかし伝教大師が刻んだという「三面大黒天」がこの家に祀られていたからで、
また、その眷属である「ねずみ」にちなんで、自らの名前も「鼠」の字を用いるほど「大黒天」を信仰したからであるというのである。
なお、家家に「大黒天」のお札や神像を柱に祀り込む風もおこり、その柱を〝大黒柱″と称したが、
室町時代末期から桃山時代、江戸時代初期にかけての間に、それに相対する柱を〝小大黒″あるいは〝恵比須柱″と称するようになった。
かように「恵比須」と「大黒天」は、室町時代末期にもっとも流行し、「招福の神」として「世間こぞりて一家一館にこれを安置せずということなし」と言われるほど、この二神の画幅が出回った。
その画幅たるや、まじめな神像もあるが、「大黒天」が「布袋(ほてい)和尚と賭博をしている図や、「恵比須」が「布袋和尚」と首引きをしている図など、おどけた図が多かった。
ということは、庶民に「恵比須」、「大黒天」が親しまれたということであった。
ところで「七福神」の成立以前から、すでに個々の「福神」の信仰は徐々に広まっていた。
竹生島の「弁財天」、鞍馬の「毘沙門天」などはその例である。
「弁財天」はもともとインド神話に現れる河川神サラスヴァティであったが、略して「弁財天」と称された。
サラスヴァティの河の流音が音楽そのものであるとの感覚から、音楽や弁舌の神として信仰され、その信仰が仏教とともに我が国に伝来し、すでに奈良時代から造像されるようになった。
東大寺法華堂の像などはその代表的なものである。
中世になって源頼朝の願意によって相模・江の島にこの神を勧請したことが「吾妻鏡」に見え、その江の島弁財天が室町時代になって福の神として民間に信仰され、
そこから「弁才天」も「弁財天」とされるようになり、「七福神」の中に入れられることになった。
この弁財天が「福神」として「七福神」の一神とされる以前には、「鈿女の命(うずめのみこと)」をあてたこともあった。
「鈿女の命」は、天照大神の岩戸籠りのとき岩窟前で滑稽の態を演じたため、のちに俳優の元祖と仰がれるのであるが、
また天孫降臨に従って、猿田彦命の苦り切った渋面もやわらげたというところから、
のちにお多福面にも見立てられたほどの道化者として、「福神」とも考えられたのであった。
「毘沙門天」は、もともと軍神として国家鎮護の神とされていたのであるが、室町時代末期にいたると、一転して、財産を授ける神として信仰されるようになった。
「布袋(ほてい)和尚」は、他の六神とはいささか趣を異にしている。
物事に拘泥しない風体が室町時代末期の世相と合致し、「布袋和尚」が多くの画幅の題材とされ、人々に受け入れられたのである。
そのさい、〝布袋和尚が弥勒菩薩の分身″とする思想が、「布袋和尚」を福の神たらしめたのであった。
「福禄寿」と「寿老人」は、もと同一の南極寿星化身の仙者であったが、室町時代に別個の仙人として描かれたため、二神に分離したのである。
そして「福禄寿」は背が低く、頭が長くて髭が多く、経巻を結び付けた杖を持ち、鶴を連れている姿にされた。
「寿老人」は頭が細長く白いひげをたらし、杖と団扇を持った短身の老人とされたのである。
そしてともに〝福をもたらしてくれる神″とされ、こうして室町時代末期に「七福神」が勢ぞろいしたのである。
(引用ここまで)
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最近、わたしは、人の顔を見ると、七福神に見えてくるようになりました。
人間というものの持つ、摩訶不思議さ、なぜそんなに強いのか、生きるとはどういうことなのか、生きるということほどミステリアスな事態はないのではないかと思われてなりません。
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