前回の記事で紹介した鞍馬寺の祈りのことばを、数年前初めて見た時は、ほんとうに慄きました。
このお祭りは“魔王”と関わる儀式なのだと思うと、月夜のセレモニーとしてのすごみを感じると共に、まさにかくあるべき何かがあるようにも感じました。
また、地球の地軸とか、大異変とか、なんと唐突な言葉が唱えられているのだろう、ということも不思議でした。
調べたところ、昭和20年代に鞍馬寺の官長になられた信楽香雲(しがらきこううん)さんという方が、西洋の神智学の影響を受けて、鞍馬寺を、「鞍馬弘教」という新興宗教にしておられるということがわかりました。
「鞍馬寺の本尊の一つ・魔王尊は、「サナトクマラ」という神格の、もうひとつの名前である。」と解説がありました。
魔王尊がどのように祀られているかは、以下のウィキペディアにありました。
wikipedia「鞍馬寺」より
*****
京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった。
しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。
また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。
鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。
「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。
「お前立ち」の「魔王尊像」は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。
光背は木の葉でできている。
多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。
このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。
また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
(引用ここまで)
*****
魔王尊は、羽のある、鼻の長い天狗の姿をしているのです。
鞍馬山のお寺のご本尊ですから、“鞍馬天狗がもともと魔王尊だった”のか、あるいは、“魔王尊とはもともと天狗だった”のかは、難しい問題だと思います。
魔王という言葉の由来が知りたくて、魔王尊の「魔」と同じ字が使われているエンマ(閻魔)様の「魔」について見てみると、以下のような説明がありました。
Wikipedia「閻魔」より
*****
閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。
ヤマラージャ(यमराज, Yama-rāja、ラージャは王の意味)とも。
音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳は閻魔大王(えんまだいおう)。
略して閻羅(えんら)、閻羅王(えんらおう)、閻王(えんおう)、閻(えん)とも。
Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮正、平等などと和訳される。
“縛”は罪人を捕縛する意、“雙世”は彼が世中、常に苦楽の2つの報いを受ける意、“雙王”は兄妹一対で2人並びたる王の意、また“平等”は罪人を平等に裁くとの意から、これらの和訳がある。
(引用ここまで)
*****
エンマ(閻魔)の「マ」は、YAMA(ヤマ)の「マ」という音に、「魔」をあてたり、「羅」をあてたりしているのだと思われます。
そうであるとすると、「魔」という字には、悪魔といった意味は含まれていないのではないかと思いました。
しかし、“言い得て妙”な、何か“魔的”なものがあるような気もするのですが。。
それが神智学におけるサナト・クマラという神格の“魔性”と響き合っているのではないかと思いました。
(つづく)
写真は「魔王殿」(淡交社・古寺巡礼・京都鞍馬より)
関連記事
「神智学」で2件
「天狗」で2件
「地底」で15件
「地軸」で10件
「チベット」で11件
など、あります。(重複しています)
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また、地球の地軸とか、大異変とか、なんと唐突な言葉が唱えられているのだろう、ということも不思議でした。
調べたところ、昭和20年代に鞍馬寺の官長になられた信楽香雲(しがらきこううん)さんという方が、西洋の神智学の影響を受けて、鞍馬寺を、「鞍馬弘教」という新興宗教にしておられるということがわかりました。
「鞍馬寺の本尊の一つ・魔王尊は、「サナトクマラ」という神格の、もうひとつの名前である。」と解説がありました。
魔王尊がどのように祀られているかは、以下のウィキペディアにありました。
wikipedia「鞍馬寺」より
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京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった。
しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。
また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。
鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。
「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。
「お前立ち」の「魔王尊像」は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。
光背は木の葉でできている。
多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。
このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。
また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
(引用ここまで)
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魔王尊は、羽のある、鼻の長い天狗の姿をしているのです。
鞍馬山のお寺のご本尊ですから、“鞍馬天狗がもともと魔王尊だった”のか、あるいは、“魔王尊とはもともと天狗だった”のかは、難しい問題だと思います。
魔王という言葉の由来が知りたくて、魔王尊の「魔」と同じ字が使われているエンマ(閻魔)様の「魔」について見てみると、以下のような説明がありました。
Wikipedia「閻魔」より
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閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。
ヤマラージャ(यमराज, Yama-rāja、ラージャは王の意味)とも。
音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳は閻魔大王(えんまだいおう)。
略して閻羅(えんら)、閻羅王(えんらおう)、閻王(えんおう)、閻(えん)とも。
Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮正、平等などと和訳される。
“縛”は罪人を捕縛する意、“雙世”は彼が世中、常に苦楽の2つの報いを受ける意、“雙王”は兄妹一対で2人並びたる王の意、また“平等”は罪人を平等に裁くとの意から、これらの和訳がある。
(引用ここまで)
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エンマ(閻魔)の「マ」は、YAMA(ヤマ)の「マ」という音に、「魔」をあてたり、「羅」をあてたりしているのだと思われます。
そうであるとすると、「魔」という字には、悪魔といった意味は含まれていないのではないかと思いました。
しかし、“言い得て妙”な、何か“魔的”なものがあるような気もするのですが。。
それが神智学におけるサナト・クマラという神格の“魔性”と響き合っているのではないかと思いました。
(つづく)
写真は「魔王殿」(淡交社・古寺巡礼・京都鞍馬より)
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